学校とは不思議な場所だ。
斜陽さす廊下を歩きながら、ロロは一人考える。
時間帯が違うというだけで、こうも見せる顔をころころと変えられるのか。活気に満ちた昼間とは違い、現在校舎内はひっそりとした静寂が辺りを包んでいる。
毎日毎日この変化を見る度、本当に不思議だと思ってしまう。
その中でもロロは今この時間が一番好きだ。
元より集団行動が不慣れな所に、今まであまり接触する機会がなかった多感な同年代の中で過ごすことは予想していた以上に苦痛だった。
どうして、同じ年だからと言って皆集まって学ばなければならないのか?
ロロには不思議で仕方がなかった。
一人の方がよっぽど気楽なのに……。
ふと、窓の外を見れば、茜色がさざ波のように秋の高くなった空とうろこ雲を染め上げ、遠く祖界の向こうまで広がっているのが見えた。
目に映るのは、光と影の狭間に沈む箱庭の世界。
自分にとって、全て偽りの世界だ。
心の中で何かがざわめくのを感じつつ、それに気づかないふりをして足早にその場を通り過ぎていった。



「きゃっ、」
ロロが教室の扉を開けた途端、トン、と予想だにしない衝撃に襲われ思わず体が後ろに傾いだ。
よろめく目の前に手がさし伸ばされる。
「大丈夫?」
「…あ、うん。…何だ、シャーリーか」
ぶつかった相手が見知った人間だと気付き、ロロは幾分か安堵した。こういう場合知らない相手よりは少しはましだ。
しかし、相手にはそんなロロの態度が気に入らなかったようだ。
「あ、ひどい。『何だ、シャーリーか』は、ないでしょう?そういうデリカシーの無さはは兄弟でそっくりなんだから」
「ご、ごめん…」
唇を尖らせムッとするシャーリーに、ロロは反射的に肩を竦め謝った。
内心失敗したと、ロロは舌を打つ。
ただでさえ苦手な同年代なのに、それの異性となると更に難解だ。
こちらが意識しないようなほんの些細な事で、すぐに不機嫌なるのだ。それは目の前の彼女も同様で、ロロには鬱陶しい事この上なかった。
それでも立場上邪険振る舞うわけにもいかず、ロロはどうしようか迷っていると、以外にも当事者から助け船が出された。
「探しに来たんでしょ?中にいるわよ」
たった今のまでの不機嫌さはどこにやら、シャーリーは、声に改めて視線を上げれば何故か彼女はクスリといたずらっ子のように微笑んでいた。
「あ、うん」
「ちょうど良かったわ。ロロ、後はよろしくね」
思わず頷けば、彼女は私部活に行くからとロロに何かしらを頼み、そのまま教室を出ていってしまった。
……何がよろしくなんだ?
やはり難解だと思いながら、ロロは遠ざかる彼女を怪訝に見送りつつ教室の中へ入っていった。




室内は西日の柔らかな光に満たされていた。
けれど、見た限り人影は見当たらない。
「…兄さん?」
呼んでみたが、やはり返事はなかった。
ロロは首をかしげる。
シャーリーにからかわれたんだろうか?
そう考えが浮かんだが、少なくとも彼女はそういう事をするタイプではないとすぐにかぶり振った。
いくらよく思っていない相手だからといって、ロロにだってそれくらいは解る。
しかし、現状ではどうしようもないので、ロロは仕方なく教室内を探索し始めた。



そして、
窓際の一番後ろ。
カーテンで隠れるように、彼はいた。
規則正しい呼吸。
きっと、シャーリーあたりが人目につかないよう気を使ったのだろう。すぐ傍で開け放たれた窓から吹き込む風に、カーテンと漆黒の髪がサラサラ揺れている。
ロロがすぐ近くまでやってきたが、それでも起きる気配はなかった。
……珍しい。
机を枕に自身を両腕で包むように眠りこむその姿に、ロロは素直に驚いた。
リヴァルから聞いた話では彼は居眠りの常習犯で、周囲に気づかれないように眠るのが得意らしい。
以前来た時に実際にその様子を目撃したロロはその時、妙な所で発揮されている彼の小器用さとよくそれで成績を常にトップクラスを維持できるものだいう事に感心したものだ。だが、当の本人としてはその姿を自分に見られたていう事が相当不本意だったらしく、その後すぐに何とか取り繕うとして慌てる様が可笑しかった。
あの時の事彼の顔を思い出すと、今でもつい吹き出してしまいそうになる。
思い出し笑いをしそうになる自分を軽く叱咤し、ロロはもう一度眠る彼の様子を窺った。
本当は用事があって探しに来たのだけれど……。
ここまで気持ち良く眠ているのを目の当たりにすると、さすがに起こす気が引けてしまう。
ロロはとりあえずその前の席に座りしばし待つ事にした。
そういえばこのクラス今日の体育はマラソンをしていたっけなと、机に頬杖をつき寝顔を覗き込み思い出す。
いつもは何だかんだで授業から逃げている彼だが、今日は逃走に失敗したのだろう。
どこか疲れきった感のある寝顔がそれを物語っていた。
(……あ、まつげ長い)
小さな、発見。
覗き込み白い頬にかかるそれに、ロロは何気なく指先を伸ばす。
やっぱり綺麗な人だな、といつも見ているはずなのに、改めて気づかされる。
制服の上からも解る華奢な体躯は一見儚さを感じさせるが、それに彼の意思の強さを表した深い夕闇を秘めた双眸が相まって、一言で言えば孤高に咲く一輪の高潔な花―――…なのだそうだ。
自分のクラスの女子が饒舌に語っていた賛美を思いだし、ロロの口許に苦笑いが浮ぶ。
良くそんな歯の浮いた台詞が出るものだと呆れ半分で耳にしていたが、聞きながらそれが過大評価ではないことをロロは知っていた。
ただ、この存在はそんな見かけだけで語れるほど、安くはない。
孤高で咲く花とて、無傷でなんの苦労もなく咲けはしない。雨に打たれ風に吹かれて、それでも地に根を張り美しい花を咲かすのだ。
同じように彼も傷つき痛みに耐えながらここまで来た。
運命というその一言で全てが納得いくはずもなく、抗って抗って、そして己の無力を知り嘆き、それでもまた抗って。
自分と似ているようで、まるで違う存在。
だから、惹かれる。
離れがたくなってしまう。
茜色を濃くする西日の眩しさにロロは目を細めた。
手のひらを包む暖かな光の世界をとても愛しいものに思えると同時に、急にひどくもどかしいものに感じた。
どんなに逃がすまいと強く握りしめても、いとも容易くすり抜けていく残光。
こぼれ落ちるそれは、否応なく闇の中へ溶けて消えていく。
それはまるで自分の現在を表しているようで―――……。


ポタリと、滴が。


濡れた感触に、ロロは息を飲んだ。

寂しい、なんて。

最初この感情の示すものがロロには解らなかった。ただ、わけも解らず悲しくて胸が痛くて心の痛みにただ泣いていた。
大勢の人間の中で自分は常に一人きり。
そうであって、それが自分の望みだった。
けれど、波立つ感情が自分自身を狂わせていく。
「…………っ」
両の腕で掻き抱く肢体は小刻みに震え、ロロは更に強く自身を抱き締めた。
偽りはいつか終わってしまうものだ。
その時、自分はどうなってしまうのだろう?
底知れぬ寂しさの恐怖に、目の前が絶望の闇に沈みそうで。
その瞳に夕闇に消えていく陽光はあまりに寂しすぎて。ロロは一人、声を押し殺して泣いた。





…闇の中で誰かが呼ぶ声がする。
温かい優しい、声音。
何故だろう?聞いているだけで悲しくもないのに、泣きそうになってくる。
それなのに少しも寂しくない。
今自分は闇の中にいるはずなのに……。
そして、微睡みからゆるやかに覚醒していく意識の先で、待っていたのは―――。


「…に…いさん?」

青白い月明かりを浴びた、柔らかい微笑。
「…やっと起きたか」
「…え…っと…」
言われ、起き抜けの頭でロロは自分がどうして兄に起こされているのか、必死に記憶の糸口を探りだそうとする。
いつの間にか太陽は完全に沈み、辺りは夜と呼ぶ時間にかわってしまっていた。
「驚いたよ、目が覚めたら目の前で弟が寝ていたんだから」
ああ、そうか。
その一言でロロは全部思い出した。
「いや、そのっ、会長に兄さんが携帯電話に出ないから、直接呼んでくるように頼まれて―――」
そして待っている間に、泣き疲れて眠ってしまった、と。
辺りが暗いお陰で、さすがに気づかれてはいないだろうが、泣いた気恥ずかしからロロは語尾を曖昧に濁す。
「そうか、すまない。ずっとマナーモードしてたから気づかなかった」
「そんな、僕の方こそごめんなさい。呼びに来たくせに、寝ちゃって」
「別にいいさ」
申し訳なくて俯く頭を軽く撫ぜま兄は笑う。
「会長は人をこき使いすぎだからな。ロロもあまり言うことを聞いてると後が大変だぞ?」
気をつけろよと、冗談めかした口調が何だか嬉しくて、それにロロも笑って頷いた。
この言葉も向けられる優しさも、今は間違いなく自分のものだ。
それだけでとても嬉しかった。
「じゃあ、一応生徒会室を覗きにいくか。後々面倒な事になるのも嫌だし、行ったという既成事実をつくっておかないとな」
「なにそれ」
「いいから、ほらロロ行くぞ」
そう自分を促し先に行く兄に、ロロは迷うことなく後に続いていった。



貴方が微笑んでくれるだけで、闇は寂しくはない。
貴方がいるだけで僕は歩き出せる。


貴方が、いれば。


夜闇に浮かぶ月明かりに淡く照らされる背中を見つめ、ロロは心の底からそう思った。
寂しさと孤独の向こう側にある、今ここにある自分の意味にロロは少しずつ気づき始めていた………。









居待月(いまちづき)
秋口の夜が長くなる頃、座って待っているうちにのぼる月なことをさします。
ちなみに逆に初夏あたりは立待月(たちまちづき)。
季節は置いといて、R2本編前くらいをイメージしたようなしないようなお話でございます。

小説(シリアス編)

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