パタパタと木々の葉を叩く雨音のリズムは次第に早くなり、大きな広葉樹の根本に辿り着いた時にはどしゃ降りの雨となっていた。
「ついてないな…」
濡れた頭をかきあげて、スザクは重なりあう葉の隙間から見える黒い雲を仰ぎ見た。
雷鳴が遠いから大丈夫と思っていたら、油断した。
急いで手近にあった大きな樹に逃げ込んだが、思ったりかなり濡れてしまったようで、濡れた布地が肌にはりつく感触に、スザクは顔をしかめる。
「ほら」
少しでもその気持ち悪さから逃れようと格闘しているとその眼前に、白いハンカチが差し出された。
「使えよ。無いよりマシだろ」
言われ隣に視線を向ければ、こちらに差し出しているものとは違う、別のハンカチで自身を拭うルルーシュの姿があった。
自分と同じく、濡れそぼった黒髪からは水滴が音もなく白い頬に伝い落ちていき、そして―――。
「……?何だよ、使わないのか?」
「あ、うん…」
ルルーシュの焦れた声に水滴の行方を目で追っていたスザクは我に返り、急いでそれを受け取った。
「お前って…」
「?」
「いつもハンカチ二枚持ち歩いてるのか?」
何となく尋ねれば、あっさりと彼は言った。
「違う、三枚だ」
「もう一枚かよ!?」
平然とズボンのポケットから新たにハンカチを取り出すルルーシュに、スザクは勢いあまって突っ込んだ。
確実にコントである。
「冗談だ。花を素手で持って帰るのもあれだから、多めに持ってきたんだ」
「…お前のは微妙に冗談に聞こえない…」
そんな真面目な顔で冗談と言われても…。
スザクは脱力し半眼で呻く。
「で、まだ遠いのか?」
が、いぶかしむスザクの視線などつゆとも気にしないルルーシュは大地を跳ねる上げる激しい雨に尋ねてきた。
「いや、後ちょっとのはずなんだけど…」
この森を抜けた先が、目的地のはずだ。
そう思いスザクは目を眇るが、森の出口どころかあまりの雨足の強さにすぐ前の景色さえ霞んでしまっていて何も見えない。
夕立なのですぐに止むとは思うのだが。
…この雨で花が散っていたらどうしよう。
スザクの心に不安がよぎる。
「ここまで来て花が散ってたら、とんだ無駄足だな」
そんな自分の内心を見透かしたようなルルーシュの言葉に、スザクの肩が僅かにびくりと跳ねた。
気がつかないルルーシュは、なおも言葉を続ける。
「せっかくナナリーが楽しみにしてるっていうのにな」
「……てない」
「スザク?」
「散ってないっ。見てもないのに勝手にそんな事いうな!!」
苛立ちのままに声を荒らげたスザクは、言ってしまった次の瞬間直ぐ様後悔した。
だが、言ってしまったものは、二度と戻らない。
案の定、訳もわからずいきなり怒鳴られたルルーシュは最初こそ瞠目していたものの、その表情は見る間に険しいものへと変わっていった。
「何だよっ、そっちこそ見てもいないのに決めつけるなよ!!」
「そ、それは…」
「良い香りの花がたくさん咲いてる場所があるって言うから、遠くてもわざわざとりにきたのにっ」
何とかしてルルーシュの怒りを解こうと、スザクは試みるが、狼狽ばかりが先を行き中々良策が思い付かない。
「もういい、帰る!!」
その態度が更に気に触ったのだろう。ルルーシュはまごつくスザクを尻目に、雨足がおさまらない中来た道へ飛び出していってしまった。
「おい!!」
スザクは反射的にそれを追いかける。
雨で出来たぬかるみは思った以上に足をとり走りにくく、跳ねる泥は容赦なく自分の靴や衣服に付着する。
その不快さにスザクは内心舌打ちをするが、そんなものに構っている余裕は無かった。
「おいっ、待てって!!」
いくら悪環境でも同条件ならば、体力面で軍配が上がるのはスザクの方だ。
雨宿りしていた大樹から100mも離れずルルーシュに追い付いたスザクは強引にその腕を引っ張った。
「離せっ!」
「離せるか、バカ!!」
抵抗するルルーシュよりも大きな声でスザクは怒鳴り声を上げた。
その声に驚いたルルーシュが、弾かれたようにスザクを直視する。
髪も衣服もぐっしょり濡れ、まさしく濡れ鼠という感のルルーシュがスザクには痛々しく映った。
それが自分のせいだと思うとますます申し訳なくて。
「…ごめん。オレが悪かったから、戻って」
考えるより先に、言葉が口をついた。
「これ以上濡れたら、風邪ひくし…」
ルルーシュは何も言わないし、動かなかった。
スザクは俯きそうになる自分を叱咤し、とにかくこの場から移動しようと、ルルーシュの腕を掴んだまま、雨宿りしていた大樹へと踵を返すことにした。



それからしばらく、二人は気まずい空気の中で時を過ごした。
雨足はピークを過ぎたが、まだ止む気配はない。
どうしよう……。
樹の根本に腰を下ろしたスザクは空とルルーシュを交互に窺い嘆息をもらす。
ルルーシュをどうにか連れ戻すことには成功したが、あの後から会話はぱったり途絶えてしまっていた。
こちらから声をかけようかとも考えたが、一度怒らせた手前、正直声をかけづらい。
スザクは先程の不安とはまた別の意味で、すっかり気弱になってしまっていた。
「っくし、」
スザクは急に寒さを感じ、くしゃみをした。
一応借りたハンカチで拭いたとはいえ、雨に濡れた衣服を着たままなのせいで体が冷えきってしまったようだ。
更にそれに追い打ちをかけるように、雨に冷やされた空気に剥き出しの素肌を撫でられ、思わずブルリと体が震えてしまう。
これでは自分の方が風邪を引きそうだなと、スザクは自身の体を抱きしめ自嘲の笑みを浮かべた。
「わっ!?」
そう自身の体をさすっているスザクの背中に、何の前触れもなく急重みがのし掛かってきた。
驚き背後を振り向けば、そこには黒い頭が。
「こうしてれば、少しは温かいだろ」
ルルーシュは憮然とした声が耳をくすぐる。
「ルルーシュ」
「…まあ、俺も悪かったしな。あいこな」
「うん」
何で謝るのにそんなに偉そうなのか。
少し呆れたが、背中から伝わる温もりのせいか不思議と腹は立たなかった。
葉を叩く雨音と大地を叩く雨音、それと背中越しの体温と。
どうしてだろう、今の今まで不安をもたらしていたものが安らぎを与えてくれる。
スザクはその心地よさに、ゆっくりと目蓋を閉じた…。



うつらうつら夢心地に浸っていた次の瞬間、ゴンと頭に鈍い衝撃が走った。
「―――痛っ」
突然の痛みに意識は一気に覚醒され、スザクは幹にぶつけた頭をさすりながら顔を上げた。
「…あれ?ルルーシュ?」
背中越しの体温は消え、背後にいたはずの少年の姿が見当たらない。
再び過る不安に、雨が上がり森に日がさし始めているのにも気がつかず、スザクは辺りを探し回った。
程なく木々の間を抜けた先でルルーシュは見つかった。
その背中が見えた瞬間、スザクは安堵の息を吐いた。
「―――ったく、心配させるなよ」
だが、自分が近づいてくるにも関わらず、ルルーシュは空の一点を見つめそこから視線を外さない。
「ルルーシュ…?」
首をかしげ、見つめるその先を辿ったスザクは―――、
「うわぁ………」
そこにあった鮮やかな光景に大きく目を見開いた。
青と白と灰色がが入り交じったい空に、綺麗な楕円を描き広がる七色の光。
雨の水滴で濡れ光る森の遥か上空にかかるそれは、この世のものとは思えないほど幻想的で美しかった。
これは感嘆以外の何ものでもない。
「きれいだな」
呟けばルルーシュはああ、と言葉少なに同意を示す。
きっと、この妹想いの少年の事だ。あの目の不自由な幼い少女にも見せてやりたいと思っているのだろう。
スザクには見入るその瞳が悲しげに見えた。
「あー、そういえばさぁ」
気をまぎらわすため、スザクは努めて明るい口調で切り出した。
「虹って色んな逸話があるよな。ほら、根本に宝物が埋まってるとか幸せの国があるとか」
「そんなの所詮は絵空事だろ」
「うわっ、可愛くなっ」
「無くて結構だ」
ふん、と鼻先を鳴らすルルーシュにスザクはカチンときたが、先程の二の舞を踏まないよう、仕切り直しに小さく咳払いをした。
「それで学校の授業で読んだ詩を思い出したんだけど―――」
それは特に歴史に大きく名を残す有名な詩人が書いたものではなく、授業でもさらっとやって終わったような、たった見開き二頁の短い詩だった。
「詩としての文章はあんまり覚えてないんだけど。作者がバスに乗ってて、その窓から通りすぎる街がすっぽり虹に覆われているのが見えるんだよ」
「虹の街…?」
「うん。で、作者が窓からその街の人たちに向かって、今虹の中にいますよーって叫ぶんだけど、誰も気づかず家の外に出ようともしなかったんだって」
「?意味が解らないんだけど?」
困惑に眉を潜めるルルーシュに、スザクも困った笑みをつくる。
「つまり、虹の中にいる人たちには自分が虹の中にいる事が解らないって話」
思い出したから言ってみたものの、微妙に収集がつかなくなったスザクは目を泳がせ別の話題を考える。
「…花。そうだっ、花をとりに行くんだろ。雨も上がったし、日が暮れないうちに戻らないと」
「そうだったな」
「うん。すぐそこだから早く行こう!」
促され、のろのろと歩き出したルルーシュを確認したスザクは先だって森の中へ消えていった。



虹の中では気づかない、か……。
確かにそうかも知れない。
ルルーシュは名残惜しげにもう一度虹を振り返り思った。
きっと後からあの時は、と人間は思い知る生き物なのだ。
もう、どうにも手に入らなくなったその時に……。
もしかしたら、今この時もいつかそうなるのだろうか―――?
「ルルーシュー、早く早くっ」
「今行くって、そんなに急かすなよ」
そんな予感を胸に抱き、ルルーシュはスザクの待つ森の奥へと向かっていった。









昔、国語だかに載ってた詩なんですよね。
虹の中にいる人たちには解らない。そういうものなんだなぁ〜と、そこが印象的で覚えています。
何でもその当時って気づかず、後になってから気づくもんなんだよなという、そんなお話。

小説(シリアス編)

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ