†胡蝶の夢†

□序章
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 暖簾で隔てられた奥より返事をする声が聞こえてくる。客人は息を吐き、かの人形を玄関へと座らせ一瞥をくべる。重くなる気持ちを切り替えるように客人は人形から視線を外した。



『ヤット戻ッテコレタ…』



 思念のようなものが渦巻く土地柄に、人と見まがう精巧な人形。心地よいはずのない空間に、客人が居住まいを正していると、奥から足音がし、黒い着物の袂が見えた。

 「お待たせ致しました…伊東先生?」

 昼だと言うの暗い廊下から出てきた彼に伊東と呼ばれた客人は少し眉を顰める。黒い喪服に白い肌理の細かい肌が映える。一瞬、もう一体人形が現れたのかと思うほどの容姿は、いつ見ても見ほれる前に畏怖の念を抱く。それでも、伊東がここへやってくるのは、海外からやってくる要人への手みやげに持たせる為の日本人形を、この目の前の彼ほど見事に作り上げる、人形師を知らないからだ。
 訝しげに彼が玄関に腰掛けている人形に視線を落とした。

 「この子がどうかしたのですか?」

 人形師【周】は尋ねた。流れるような仕草に伊東ののどが鳴る。見てはいけない光景を見ているような、真昼だと言うのに突然真夜中の空間にねじ曲げられて存在する場所へ落ちてしまったような、そんな感覚に伊東は身震いした。長居は無用と用件を手短に話す。

 「周先生には失礼な話なのだが、どうも娘が気持ち悪るがってね…できればお戻ししたいのだ」

娘の誕生日に購入したこの人形。最初は美しい人形に喜んでいたのだそうだが、日が経つにつれ、あまりにも精巧に造られた肌は、まるで生きているようで、薄く開かれた唇からは今にも言葉を発し、動き出すのではないのかと、そうなると美しさは恐怖の対象になり、父親へと泣いて処分したいと申し出たそうだ。父親も娘に泣かれては仕方がない、ただ、処分をするにはあまりにも美しかったので、本日こうして周の元へを返しにやってきた次第だ。

「そうですか…わかりました」

 視線を伊東へ戻し僅かに微笑むと、周は代金を伊東へと渡した。

 「周先生、代金はお受け取り下さい」

 そっと首を横へ振り周は人形の頭をなぜた。

 「お代は結構です。お気になさらずに…」

 さして気にした風でもなく、周は人形を見下ろす。伊東は頭を下げ、現実の世界に戻るべく黒い千枚通しの扉から出ていった。一瞬差し込んだ日の日差しを浴び…その人形、【竹千世】が微笑んでいた。


罪の色に彩られた世界で、夢をみるべく生きている。
 かの人との約束を果たすまで…夢の中で流るるように、滔々と…。




『夜ガ来ル…』




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