番外編

□本音を隠す
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とある昼下がり。
とくに大した用事もなく、杏奈がぼんやりと部屋でくつろいでいると、ふと廊下の曲がり角の向こうから小さな足音が聞こえた。ゆっくりと顔を向けると、曲がり角の向こうから姿を現したのは泰人だった。彼の手には何故か筆と透明な液体の入った容器が握られている。


「…なんだ、ここに居たのか。探したぞ」

「泰人さん……何か用ですか?」


不思議そうに小首をかしげる杏奈に泰人は「まぁ、な」と答えて彼女の隣に自分も腰を下ろした。そして、急に改まったような表情を見せると泰人は静かに口を開いた。




「……お前、ちょっと脱げ」




―――――刹那、スパーンッと乾いた音が周囲に反響した。


「――――…んなっ、何なんですかいきなり!急に変な事言わないで下さいよ!馬鹿なんじゃないですか!?」


茹で上がったタコのように顔を真っ赤にさせながら声を荒くさせる杏奈。そんな彼女に対し泰人は跳んできた平手打ちを平然とした面持ちでガードしながら「お前なぁ……」と呆れたような声をもらした。


「何でもかんでも疾しい方に考えを取るな。鬱陶しい…」

「い、今のは確実に泰人さんが悪いですよ!普通、女の子に脱げとか言いません!!」

「脱がんと意味がないだろ」

「だから何の話なんですかっ!……それに、その筆と液体だって気になりますし…。まずは詳しく理由を――――」

「あー、まどろっこしい。いいから、さっさと上だけ脱げ!」

「ぎゃっ!?ちょっ、止めて!止めてくださいってば!!…わ、分かりました!脱ぎます!自分で脱ぎますから、その手退けてーっ!!」




……この男、絶対に強姦未遂で訴えれるぞ…。

ゴソゴソと指示通り上の服を脱ぎながら杏奈が恐る恐る「下着もですか」と尋ねれば、当然だ、とあっさり返ってきた。
ちくしょう。なんだ、この羞恥プレイは…。


「はい、仰せの通り脱ぎましたよ…」


ボソボソと口の中で呟きながら脱ぎたての服を胸に抱え、泰人に背を向ける。


「………別に隠すほどのモノもないんだから、服で前を隠す必要はないだろ」

「うっさい!放っといてくださいよ!」


羞恥のあまり、声を張り上げて真っ赤になった顔を俯かせる杏奈に、泰人はやれやれと言わんばかりに溜め息をこぼた。そして、おもむろに手にしていた容器の中の液体で筆を濡らし、ゆっくりとそれを彼女の背中に走らせた。


「うひゃっ!?」

「いちいち声を上げんな。書きにくいだろ」

「そ…そんなこと言われても――――!」


筆が背中を走る感覚がくすぐったいのか、つい上体を捩ってしまう。うねうねと動く杏奈に泰人は小さく舌打ちをすると、空いている左手でガシッと彼女の首根っこを掴んだ。それに驚いて杏奈がまた短い悲鳴を上げる。


「動くな」

「は……はい、ごめんなさい…」


そのあまりの気迫に杏奈は大きく何度も頷いた。
ようやく大人しくなった(強制的に、ではあるが)杏奈に泰人は小さく息を吐いて、再び背中に筆を走らせ始める。
どうやら何かの文字を書いているらしく、杏奈はくすぐったさを堪えながら自分の背中を走る筆の動きを掌に真似てみれば、一つの文字が出来上がった。


「…“蘇”る……?」

「よく分かったな」


少し感心したように呟く泰人に、「馬鹿にしないで下さいよ」と口をとがらせる。


「……で、一体何なんですか、これ…」

「まぁ、一種の護法だ」

「護法、ですか…?」

「文字を書いた位置、一体何がある?」


トン、と人差し指で先ほど文字を書いたところを押さえてやると、杏奈は「えっと……」と小さく声をもらす。


「……骨?」

「馬鹿。心臓だろ」

「あ……」


…やっぱり馬鹿だったな、と鼻で笑い飛ばす泰人に杏奈は心底悔しそうな唸り声を上げて俯いた。


「……心臓は全身に血液を送る役割だろ。だから、そこに今回みたいに護法の術をかけてやれば、その効果が心臓によって全身に送り出される」

「じゃあ……蘇るっていう字は?」

「例えば、お前が妖怪に腕を食い千切られたと仮定する」

「…ずいぶん嫌な例え話ですね……」

「普通なら食い千切られた腕は元に戻らんが、“蘇る”という文字には蘇生の力がある。つまり、その字のおかげで一度だけ蘇る事が出来る」


―――それでも心臓を喰われたらお終いだがな。

…と付け足せば期待に輝いていた杏奈の表情が一気に蒼白になった。それを可笑しそうに泰人は喉の奥を鳴らして笑う。


「ま、喰われないよう気をつけろよ」

「はぁ……」


心配されてる感が全くないんですけど……。
モソモソと一度脱いだ服を着直しながら杏奈は内心ぽつりと呟く。そして、ふと気になっていた事を口に出した。


「……けど、なんで急にこんな事を…?今まで完璧に放置だったじゃないですか」


もしかして、私の身を案じて?
もしそうなら……ちょっと嬉しいかも。
なんて淡い期待を胸に抱く杏奈に対し、彼は「そんなの決まってるだろ」とぶっきら棒に口を開いた。


「班員が死んだら死亡届を書くのは班長の仕事だ。そんな面倒な事をするぐらいなら、こうしてお前を死ににくくする方が断然楽だろう?」

「………」

「何だ、他にどんな理由があるという」


不思議そうに小首をかしげる泰人に彼女は「お手数おかけしましたっ!」と声を張り上げながら勢いよく立ちあがり、そのまま早足に部屋を出ていく。一人ポツンと残された泰人はどこか呆けた表情で首の後ろを軽く掻いた。


「………何怒ってんだ、アイツは…」










「――――ホント腹が立つ!いきなり脱げとか言い出したかと思えば、まどろっこしいとか言って追剥みたいに人の事脱がそうとするし。ねぇ、酷いと思わない?」


溜まりに溜まった鬱憤を思いっきり吐き出してやれば、隣にいた玖旺は少し苦笑いを浮かべながら「それは大変でしたねぇ」と頷く。
杏奈は手渡された麦茶を啜りながら盛大に顔をしかめて見せた。


「泰人さんのアホ。唐変木。やっぱりあの人嫌いだ!人の事心配してくれてるのかと思ったら、結局は自分の事じゃない!班長ならそれぐらいの手続き面倒臭がらずにちゃんとやればいいでしょ!」


ブツブツと文句を垂れる杏奈に玖旺は可笑しそうに笑いながら、ふと小首を傾げた。




――――…そんな制度、ウチにありましたかねぇ…。






事実は誰にも分からない。





――――――――
素直じゃない泰人さんが大好きです。

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