短編

□葬列
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どろりとした濃い霧が視界を阻む。遠くからざぁざぁと波の音がする。
早朝の海岸近く、に私はいるようだ。
何も見えない。
手で靄をかき分けるようにして、波音のする方向へ歩く。
靄はまるで古い屋敷に張り巡らされた蜘蛛の糸のように、私の体にまとわりつく。
少し肌寒い。

ざぁざぁ。

波音が近くなる。霧も少し晴れてきたようだ。
すっかり湿った寝間着がうっとうしい。裸足が砂を踏む感触も、ずるりと引き込まれるようで不快だ。
黒い人影がぽつりぽつりと見えた。
海に向かって列をなしている。
何をしているのだろう。
私は彼らに近づいていく。
背の高い、低い。
細い、太い。
まっすぐな、曲がった。
黒い頭巾をかぶった人の列が、海に向かって進んでいる。

ぞろぞろ。

彼らは皆一様にうつむいて、表情はうかがえない。ただ海に向かっていき、波間をたゆとうようにして沈んでゆく。
一人がこちらを向いた。かさかさに乾いた、骨と皮ばかりの手が揺れる。
手招きしているのだ。
ああ。
彼らが羨ましい。
私は一歩、砂を踏みしめる。
靄が口から、鼻から耳から、入ってきては私を浸食する。
砂が触手のように足を絡めとり、私を冷たい砂の世界へ引き込もうとする。
黒い人影はまた一歩進む。
波打ち際で順番を待つ、黒い異形の者達。
灰色の霧と、鼠色の海。色を失った世界。
背を丸めた歪んだ人影がこちらを向く。
土気色の皮膚。眼窩には在るべき二つの光はなく、黒い虚無がこちらを見据えている。ひび割れた褐色の唇が、広がって、歪む。
――何か言っているのだ。
「オ」
「イ」
「デ」
おいで。
私はまたゆっくりと砂を踏む。

だが列に加わろうとしたその時。
「行ってはいけない」
肩に手が置かれた。
後ろを振り返る。
「兄様」
肩が暖かい。
「あれは死者の葬列」
兄様の声は低く、心地よく私に浸透する。
まるでこのどろどろとした靄に侵された体を、浄化するようだ。
「加わってはいけない。永久に彼らとともにさ迷い、ああして葬列を作り続けることになる」
彼らは黄泉の国の人びとなのか。
ああ。
だから私は彼らが羨ましいのだ。
この不自由な体という殻を脱して、意識など持たぬ存在となり果てる。
また一歩踏みだそうとした私の腕を、温かい手のひらが掴む。
「帰ろう」
兄様の声は甘やかに私を毒する。
そして現という煉獄に私を連れ帰るのだ。
私は名残惜しく、その黒い列を見送った。

【終】

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