短編

□ヘタレ
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私はげんなりした。新手の宗教勧誘だろうか。
だが振り向いて私はまたギョッとした。
そこにいたのは、真っ黒な少女だった。長い黒髪に黒い瞳、黒い髪飾り、たっぷりとした生地の黒いドレス、黒いエナメルの靴。そして背中に生えているのは、漆黒の羽…。
巷で流行のコスプレというものにしか見えなかった。
少女はずいと私に近づき、私の顔をのぞき込んだ。黒く潤んだ瞳と視線が合う。人形のような顔だ。その人形が唇を歪めた。…笑ったのだ。
少女の白い手が延びてきて、迷わず私のジャケットのポケットを探る。抵抗する間もなく、少女は黒い羽根をつまみ出した。
朝、自販機の釣り銭返却口に挟まっていたものだ。
「私の羽根」
少女は歌うように言うと、今度はそれを私の手に握らせた。
私はというと、混乱のあまりされるがままになっていた。情けないことだ。
「あなたには、これを使う権利があります」
少女は芝居がかった口調で言う。私は外国の刑事ドラマを思い出した。
「あなたの魂と引き替えに、願いを一つ叶えます」
私は夢でも見ているのだろうか。いや、これは夢でなければ説明が付かない。
意外に私は冷静だった。
「魂と引き替えって?」
少女は表情を変えずに告げた。
「あなたの死後、あなたの魂は私のものになります。だからあなたは転生することも、天国に行くことも地獄に落ちることもできない」
荒唐無稽にもほどがある。私は笑いをこらえて返した。
「残念だけど、私には魂と引き替えにするほど望んでいるものなんてないな」
少女は意外そうな顔をした。首を傾げると長い黒髪が揺れた。
「昼間あなたのことを見ていました。あなたは今の状態を心からのぞんでいますか?」
今の状態とは、会社を辞めたことだろうか。私はそれを心から望んだわけではない。だが、たとえ超自然的な力によって時間を巻き戻したところで何になろうか。
あの仕事を断れば、私は気まずい立場に立たされたに違いない。
「その羽根の力が私に必要だとは思えないな」
私はそっと手の中の羽根を少女に手渡す。
少女はまた首を傾げる。
「お金も力も、思うままに手に入れられるのに?」
私はうなずいた。
「私に今必要なのは休息なんだ。お金や力は…必要になったときに自分で調達するよ」
少女はふわりと一回転した。ドレスがバレリーナの衣装のように膨らむ。
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