その他

□・「白い影」
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「白い影」

いつもまでもお前と二人、このままずっ…。

「眉目秀麗かつ優秀な外科医でありながら、婚期をみすみす逃してしまった研究バカの見解を聞きたい。」
そう言って、憎らしい程に図々しく俺の前に現れておきながら…。

あの日からどれだけの月日が流れたのだろうか?
俺はまだ、お前との約束を未だに追い続けている…。

「これは…。」
「…お前もそう思うか?」
「ああ…。」
しばらくの間、無言のまま検査のデータと数枚のレントゲン写真を食い入るように見つめていた男は、やがてある結論に達したかのようにフーンと納得すると、身体を反らして座っていた椅子の背凭れをギイと揺らした。
「あのさ、この検査結果を見てこの俺に何を言えって?こんなのイチイチ俺の見解なんか聞かなくたってこの手の専門はお前も一緒だろう。」
片眉を上げてそう言うと、出されたまま手付かずだったコーヒーを口元まで運ぶ。無骨な指先ではあるがそこには無意識に指を庇う繊細な動きが感じられた。
泉田総合病院五階、院長室奥にある院長専用の仮眠室改め研究室。
そこに若くして院長の座に落ち着いた泉田純也の姿があった。そして今日は、人間嫌いで通っている客人の姿がもう一人。
「それともウチと違ってお前のとこは患者の話し相手程度の症例しか扱わないのか?確か救急指定受けてたよな?すっげぇ矛盾してるけど、平和ボケでもしたのかよ?久しぶりにお前から連絡が来た時には嬉しさより驚いたもんだが。やはりなぁ、わざわざこんな手土産持って…。一体何考えてるのか分からないが俺の頭を試すつもりなら、えらく失礼な話だ。ったく、まぁいい。お前の聞きたい見解とやらを言わせてもらおうか。さて、と・・・さっき見せてもらったファイルをいいか?ああ、これだ。ここに表示されているように骨髄腫細胞の値と言い、レントゲンに写っているコレ、この鎖骨んトコの黒い点、骨破壊だよな。他にもあちこち見受けられるって事は…間違いないな。多発性骨髄腫だ。しかし、骨が若いな。一体患者はいくつなんだ?四十代…いや、もっと…。直江、この患者はお前が担当してるのか?珍しいぞ。この年齢での発症は。それで今はどんな治療を…。直江?どうした?」
「…。」
一人捲し立てる様に話していた泉田は先ほどから一言も口を挟まずに、ただ宙を睨みつけるようにして向かいの席に座っていた直江に気が付いた。
「直江?どうした?俺の話を聞いていたのか?そんなにボーっとして…。」
直江はその声にピクリと身体で反応するとゆっくりと視線を泉田に移した。
「…二十代後半での発症なんだ。」
「…え?」
ボソリと直江が口にした一言に泉田は目を見開く。
「お前が驚くのも無理はない。体調の不良を訴えた時には既に…。今ではもう、いかに進行を遅らせるか、それだけだ。」
淡々とそう語る直江には既に諦めにも似た微笑が浮かんでいる。
「おい、ちょっと待て。二十代後半だと?もう一度検査データを見せてみろ!」
考えられた病名は多発性骨髄腫。抗体の種類によっていくつかの病型に分類されるのだが、これは骨の中心にある骨髄で癌化した骨髄腫細胞がまわりの骨を破壊しながら増え続けて行くというもの。最も多い症状として、腰、背中、肋骨などの骨の痛みが上げられ、進行するにつれ、腎障害などの様々な悪影響を身体に及ぼしてしまう。そして数ヶ月から十数年の時を経て…。
溜息と共に泉田の何度もデータを捲っていた指がようやく止まる。
「…可哀想に。これじゃもって3年、イヤ…。告知は?してるのか?」
「ああ。」
「…そうか。それじゃ治療は進んでるわけか。」
治療。
治る見込みの無い、ただ進行を遅らせるだけの…。
「…。」
「…どうした?急に黙りこくっちゃって。辛いのは分かるが患者の為なんだ。俺達は患者の為に出来るだけ手をつくす。そうだろう?」
泉田は直江が救えない命を惜しんで悲しんでいるのだと思った。直江が何を志して医者になったのかは分からないが、いつも真摯な瞳で患者に接していたその姿を泉田は知っていた。専門外の研究にも積極的に取り組み二人で競い合いながら勉強した。師事した先生からは実の息子の自分より信頼され可愛がられてしまうほどに…。
だから泉田は次に発せられた直江の信じられない言葉に酷い憤りを感じてしまう。
「…イズミ。お前に頼みがある。」
「頼み?俺にか?」
「患者は、その患者はお前に主治医として治療にあたって欲しいと言っている。」


続く
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