■小説「恋色絵草子」

□番外幕・リクオ、鴆と距離を置く
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 鴆が本家を出て三日が経過したが、リクオの生活に変化はなかった。
 鴉天狗からは「奥方の見舞いに行くのも夫の務め!」などと言われていたが、学校の試験日が近付いていた事もあって見舞いに行く暇も無かった。
 否、本当は見舞いをする時間くらいは作れるのだが、鴆が自分に好意を寄せていると知っているだけに何となく行き辛かったのだ。
 そう、鴆に好意を寄せられている事くらいリクオは気付いている。
 しかしリクオの方にその気はない。相手が妖怪とはいえ男と恋愛する趣味はないのだ。
「ただいま〜」
 リクオが学校から帰ると、屋敷に住んでいる妖怪達が明るく出迎えてくれる。
 これはリクオが物心ついた時から変わらぬもので、この騒がしさもリクオにとっては当たり前のものだ。
 鴆が本家にいない生活というのは、リクオからすれば元々の生活に戻っただけという事なのである。
 こうして妖怪達に出迎えられたリクオは自分の私室がある離れ座敷に向かった。
 鴆は本家を出たが夫婦関係は継続しているので離れ座敷はそのままなのだ。
 だが賑やかな母屋から離れ座敷に移ると、離れ座敷の静寂さが際立つようである。
 鴆がいた時も静かだったのだが、座敷内には薬草の仄かな匂いが漂い、薬を調合する鴆の気配が常にあったのだ。
 それは静かながらも確かな存在感があったもので、それに気付く度にリクオは鴆がいる事を意識したのである。
 しかし今は鴆の気配はせず、薬草の残り香が微かに漂っているだけである。
 離れ座敷に入ったリクオはその香りを大きく吸い込んでいたが、そんな無意識の行動に気付かず私室に入っていったのだった。




 それから二日が経過し、鴆が本家を出てから五日間が過ぎた。
 普段と変わらぬ日常を送るリクオは学校から帰ると妖怪達に迎えられる。
 賑やかな妖怪達に「近所迷惑にならないようにね」と注意しつつリクオは母屋を過ぎ、離れ座敷に向かった。
 だが渡り廊下を進んで離れ座敷に入った瞬間、ふと、違和感のようなものを覚える。
「…………」
 リクオは思わず立ち止まるが、違和感の原因が分からず首を傾げてしまう。
 気のせいかと思って歩き出したが、離れ座敷の奥へ進めば進むほど違和感は大きくなっていった。
 そして、ようやく気付く。
 今まで微かに残っていた薬草の香りが、時間の経過によって消えてしまったのである。
 鴆が本家を出てから少しずつ薄れていた香りだったが、五日目にして完全に消えてしまったのだ。
 それを意識した時、リクオは別の空間に迷い込んだかのような錯覚をした。今までの日常を逸脱し、空虚な空間が支配している感覚だ。
 リクオはそれを不快な違和感だと思った。
 そう、酷く不快だと。
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