■小説

□約束
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「減っていた薬品は足しておいた。当面の間はこれでいいだろ」
 鴆は薬棚の管理を終えると、側にいた毛倡妓にそう伝えた。
 ここは奴良組本家にある一室で、薬などが保管されている部屋である。
 本家にある薬類の管理や備蓄を一任されている鴆は、今日は朝から薬師としての勤めのために本家を訪れていたのだ、
 此処の薬棚は鴆の屋敷にある壁一面の薬棚に比べれば小規模だが、それでも本家だけあって一般家庭の薬箱とは比べ物にならない。
 鴆は朝から薬品のチェックをしていたが、足りない薬を備蓄したり、新たな種類の薬を追加したりしているうちに結局昼過ぎまで掛かってしまった。
「鴆様、ありがとうございます。薬師直々に管理して頂いて助かりますわ」
「気にするな、此処は本家なんだから当然だろ」
 鴆はそう言うと、仕事を終えた開放感に大きく伸びをする。
「そういやリクオはまだ学校から帰ってきてないのか?」
「リクオ様ならさっき帰ってこられましたよ。今日の学校は昼までだったようです」
 部屋にいると思いますけど……とリクオの在宅を知らせてくれた毛倡妓に、鴆は思わず笑みを浮かべていた。
「分かった。ついでだし顔を出してくぜ」
 仕事が終われば後は自由だ。
 しかも朝から根詰めていて気付かなかったが、昼食の時間は少し過ぎてしまっている。もしリクオもまだ昼食を取っていないなら、一緒に食べるのも良いだろう。
 丁度小腹が空いてきた鴆は昼食の準備を毛倡妓に頼むと、そのままリクオの部屋に足を向けたのだった。




 リクオの部屋の前まで来ると、鴆は少し驚いた表情で立ち止まった。
 部屋の襖の前には納豆小僧など屋敷に仕える妖怪達が集まっており、部屋の中を覗き見しているようなのである。
「……何してんだ?」
「ぜ、鴆様、しーーっ」
 不審に思いつつも鴆が訊ねると、妖怪達はギョッとした様子で振り返った。そして口元に指を当て、焦った様子で鴆に静かにしろと注意する。
 その様子に鴆は少しムッとしてしまうが、結局好奇心には勝てずに「いったい何事だ?」と側まで寄って行った。
 鴆は妖怪達を押し退け、僅かに開いている襖から中を覗き見る。
 室内の光景を目にした途端、鴆は大きく目を見開いた。
「リクオ……?」
 驚きが隠しきれず、鴆は呆然と呟く。
 しかし、その表情には徐々に笑みが浮かび、室内のリクオを凝視したまま感激に打ち震えた。
 何故なら、昼のリクオが刀の手入れをしていたからである。
 リクオが手にしている刀は総大将から譲られたという祢々切丸で、刀身を見据えるリクオの面差しは真剣そのものである。
 刀を扱う手捌きも堂に入ったもので、その姿に鴆は喜びを噛み締めた。
 そしてそんな鴆と同様に、一緒に覗き見している妖怪達も喜びを噛み締めている。
「若もようやく自覚なされた」
「あの真剣な表情は、三代目を継ぐ決心をされた表情だ」
「きっと明日には全国の妖怪がリクオ様に平伏すに違いない」
 口々にリクオを称賛する妖怪達。
 中には褒め過ぎだと思うものもあったが、感激している妖怪達はそんな小さな事は気にしないのだ。
 こうして鴆まで一緒になって覗き見をしていたが、ふと、刀身を見据えていたリクオの面差しがくるりと向きを変えた。
「こらっ、覗き見なんてするなよっ」
 そう、リクオに覗き見していた事が見つかってしまったのだ。
 鴆以外の妖怪達はわーっと蜘蛛の子を散らしたように逃げていったが、鴆は悪びれた様子もなく襖を開ける。
「そう怒るなよ。皆、嬉しいだけなんだからよ」
「鴆くんまでいたの?」
 覗き見メンバーの中に鴆までいた事をリクオは驚いたが、「いらっしゃい、来てたんだね」と直ぐに笑みを浮かべた。
「ああ。朝からここの薬の管理だ」
「そうなんだ。ごめんね、気付かなくて」
 鴆が姿を見せた事で、リクオは手入れ途中だというのに刀を片付けようとする。
 しかし片付けようとするリクオに、鴆の方が慌ててしまった。
「オレの事は気にせず続けてくれ。邪魔なら出て行くからよ」
 そう、鴆はリクオの邪魔をするつもりはない。
 部屋を訪れる前は一緒に昼食を取れればと思っていたが、刀の手入れをするリクオの方が貴重だったのだ。しかし。
「邪魔じゃないよ。もう直ぐ終わるし、ここで待ってればいいよ」
 リクオに笑顔とともにそう言われ、鴆も「そうか?」と遠慮を見せつつ嬉しそうに頷いた。
 遠慮を見せてはいても、鴆はリクオの側にいられる事が嬉しいのだ。
 鴆は邪魔にならないようにリクオの視界に入らない位置を選び、少し距離を置いた場所に腰を下ろす。気配も可能な限り消すことで、刀と対峙するリクオの集中が切れないように気を遣った。
 こうして鴆が傍に座した中、リクオの刀の手入れは続けられる。
 室内は緊張感に張り詰めるが、かといってそこに攻撃的な荒々しさなどなく、それどころか心地良い静謐さを伴うものだ。
 真摯な面差しで刀の手入れを続けるリクオからは、普段とは違った硬質さと圧倒的な存在感さえ感じる。
 それは昼のリクオでありながら夜の匂いを含むもので、鴆は心地良い緊張感に身を委ねたのだった。
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