■小説

□ゆず湯の効能
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 北風が吹き抜け、冷たい空気が肌を刺す季節。
「手土産だ」
 そう言って夜のリクオから渡されたのは、黄色く実った柚子(ゆず)だった。
 袋一杯の柚子を受け取り、鴆は不思議そうに首を傾げる。
 夜空の月が輝きを増す頃、夜のリクオが鴆の元を訪れる事は珍しい事ではない。それはほとんどの場合は酒持参の来訪なのだが、今晩は酒と一緒にたくさんの柚子を持参してきた。
「手土産ってこれが?」
「ああ、いつも酒だけじゃ芸が無いからな。柚子は柚子湯にでも使えばいい」
「柚子湯か……」
 柚子湯と聞いて鴆は表情を輝かせた。
 柚子湯といえば冬の風物詩であり、まさに冬至の湯というものの代名詞である。
 冬至の季節に柚子湯の風呂に入ると『一年中風邪を引かない』という言い伝えがあるくらいなのだ。
「それも悪くねぇな」
 鴆は柚子湯に思いを馳せてそう言うと、袋の口を少しだけ開けてみる。
 すると中からは柚子の甘酸っぱい香りが溢れ出し、爽やかなそれは鴆の鼻腔を心地良くくすぐった。
「いい香りだ」
 喜ぶ鴆の姿に、リクオも優しく目を細める。
 たまには酒以外の手土産も悪くない、とリクオはそう思ったのだった。




 翌日の夜。
 鴆は入浴前にリクオから貰った柚子の準備を始める。
 丁寧に柚子を輪切りにし、浴槽の湯の中にそっと浮かせた。
 柚子湯の準備など本来なら側使いの妖怪達に任せても良かったのだが、リクオからの手土産だと思うと自分で準備したいと思ってしまう。
 そんな自分自身に鴆はくすぐったい気持ちになったが、脱衣所で入浴の準備を終えると、待ちに待ったという気持ちで浴場に入っていった。
 そして身体を丁寧に洗い終えて浴槽へ入る頃には、丁度浴場内には柚子の香りが広がっている。浴槽から上がる湯気にも柑橘系の香りが染みており、それが鴆の鼻腔を心地良く刺激した。
 香りに誘われるようにして、鴆はゆっくりと浴槽へつかっていく。
 湯に浸かった部位からじわりと温まり、鴆は大きく息を吐いて肩まで浸かった。
「リクオに感謝だな」
 本当に良い手土産を持ってきてもらった。
 もちろん酒も良いのだが、たまにはこんな土産も悪くない。
 柚子湯に浸かった鴆は、柚子の香りに包まれてうっとりとした表情で目を閉じた。
 甘酸っぱいながらも上品な香りに、この柚子が良い品である事が分かる。
 わざわざリクオが用意してくれたのだろうか、と思うと鴆はくすぐったい気持ちになった。
 だがこうして柚子湯を楽しんでいた鴆だったが、ふと。
「鴆様、リクオ様がお見えになりました」
 衝立で区切られた脱衣所から側仕えの妖怪が声を掛けてきた。
 その内容はリクオの来訪を知らせるもので、夢心地だった鴆は現実に引き戻される。
「リクオが?」
 リクオの来訪に鴆は少し驚いたように目を瞬いた。
 夜のリクオは頻繁に鴆の元を訪れるが、毎晩という訳ではないのだ。
 その為、昨夜も来訪があったのに今夜まで姿を見せるとは思わなかった。
「はい。既に奥へお通ししておりますが、どうされますか?」
「どうするもこうするもねぇだろ。直ぐに行くと伝えてくれ」
「承知しました」
 わざわざ本家から出向いてくれたリクオを無碍に帰すほど鴆は不義理者ではない。しかもリクオと鴆の立場から考えれば、例え特別な関係にあったとしても本当なら鴆の方が通うべきなのである。
 それなのにリクオは「無理をさせたくないから」という気遣いだけで、鴆の元に通ってきてくれるのだ。
 それを思うと、早くリクオの所に行かなければと鴆は気持ちが逸る。
 鴆は柚子湯の心地良さに未練を覚えるが、未練を断ち切るように勢い良く浴槽から立ち上がったのだった。
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