■小説「恋色絵草子」
□第一幕・鴆、本家に嫁入りする
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『昨夜交わした義兄弟の盃は、夫婦の盃です』
と鴉天狗は鴆に説明を始めた。
その内容は鴆の理解の範疇を軽く超えるもので、鴆は衝撃とともに信じ難い思いで一杯になった。
何故なら、義兄弟の盃は一般的主従を示す七分三分の盃とは違い、対等な関係を示す五分五分の盃なのだ。それは特別な盃という意味だが、奴良組では初めて五分五分の盃を交わした相手を生涯の伴侶にするという掟があったというのである。
だが、そんな掟の存在など鴆は知らなかった。祖父の代から奴良組に仕えているが初耳なのだ。
恐らく奴良組次期三代目であるリクオも知らないだろう。そもそも知っていれば義兄弟の盃など交わそうとしない筈である。
こうして鴆は混乱治まらない状態が続いていたが、鴉天狗に引き摺られるようにして本家に来てしまっていた。
鴆としては全力で抵抗したかったのだが、鴉天狗の息子達である三羽鴉まで出てきて「ご足労願います」と迫られれば問答無用の状態だろう。
武闘派の鴉天狗を相手に、奴良組切っての脆弱さを誇る鴆が敵う筈が無いのだ。あれはもう脅迫や強制連行の領域だ。
しかし今、本家に来てしまった事を鴆は激しく後悔していた。
眼前の姿見に映る自分の姿に眩暈を覚えたからである。
そう、全身を映す大きな鏡は鴆を映している訳だが、それが不味かった。
何故なら、そこに映っているのは白無垢を着て化粧まで施されている自分だからだ。
白無垢とは代表的な花嫁衣裳の一つだが、それを着るという事は間違いなく自分は花嫁になるという事である。
だが今の鴆は自分が花嫁衣裳を着ているという現実はどうでも良い。それ以上に受け入れ難い現実が眼前にあったからだ。
「何だこれは……」
地を這うような鴆の声色。
不機嫌を顕わにした声に、白無垢の着付けをしていた屋敷仕えの妖怪達が背筋をビクリと震わせる。
しかし鴆にとってそんな事はどうでも良かった。
何故なら、姿見に映る自分の姿があまりに酷過ぎたからだ。
そう、今の鴆は酷過ぎた。
まず素人に着付けされただけあって、白無垢の着付けが酷かった。
用意された白無垢は、純白でありながらも銀糸の刺繍が施されたそれは一級品だと分かるのだが、婚儀兼お披露目は急に決定したという事もあって玄人の着付け師を呼ぶ時間がなかったのだ。
正しい着付けをされなかった所為で、鴆が着ている白無垢は全体的にバランスが悪く崩れてしまっていた。折角の一級品だというのに勿体無い事である。
「普通の着物の着付けとあんまり変わらないと思ったけど、やっぱり白無垢は違うのね」
着付けを手伝っていた毛倡妓は「あらあら」とあらぬ方を見て惚けてしまう。
鴆としては、着付けした後の台詞じゃねぇだろと文句を言い返してやりたかったが、今は我慢する。今は、それ以上に追及しなくてはならない事があるからだ。
「まあいい。ところで、……さっきからどうしてオレから目を逸らす?」
そう、追及しなくてはならないのはこれだった。
鴆は、着付けをしたり化粧をしたりしている妖怪達が先ほどから自分と目を逸らしている事に気付いている。
否、目を逸らすなんて優しいものではない。中にははっきりと顔を逸らしている妖怪までいる程だ。
鴆を囲んで仕度をしている癖に、皆一様に鴆から、正しくは鴆の顔から目を逸らしていた。
自分の顔を見ようとしない妖怪達に、鴆の表情が引き攣り、眉間の皺が深くなっていく。
「おい、どうしてだ?」
鴆は再度問うが、皆は鴆からもっと目を逸らしてしまった。
皆の反応に、鴆はワナワナと拳を震わせた。
鴆とて、訊きながらも本当は分かっているのだ。
どうして皆が鴆の顔から目を逸らすのか分かっている。
その理由は、姿見に映る鴆の容貌が妖怪染みていたからである。
鴆は元々妖怪だが、今の鴆は妖怪もびっくりするほど妖怪をしていた。
素肌は能面のように真っ白に塗りたくられ、頬には朱色の紅が丸々と描かれている。他にも眉毛の形は崩壊し、瞼の彩りも明らかに間違った色合いだ。
もしこれが他人なら、鴆とて顔を逸らしていただろう。
しかし、こんな姿に変わり果てたのは自分である。
「…………お前ら、笑いたくてしょうがねぇんだろ」
「そ、そそんな事は……っ」
「そうですとも、とてもお似合いですよ!」
鴆の問いに、妖怪達は慌てた様子でちやほやと褒めだした。
だが褒めながらも、相変わらず鴆の顔を見ようとしない。これでは褒め言葉も台無しというものだ。
「言いたい事があるならはっきり言いやがれ! 笑いたきゃ笑えばいいだろ!」
鴆は自分の着付けや化粧をした妖怪達を睨み、声を荒げてそう言った。
しかし今にも食って掛かりそうな鴆に、今度は雪女が慌てたようにフォローする。
「わ、笑うなんてとんでもない! 本当なら髪結いや化粧を生業にしている方を呼ばなくてはならないところを、今回は素人だけで仕度したんですから!」
これでフォローしているつもりだろうか。
それは裏を返せば「素人だから仕方ないので我慢して」という意味を指していた。
確かに花嫁衣裳の着付けや化粧は素人が簡単に出来るものではない。しかしだからといってこれは余りにも酷いのではないだろうか。
そもそも一般的な化粧品や化粧方法は女性向けのものであり、男である鴆に施すのは無謀ではないかと思うのだ。
フォローにならないフォローに鴆は打ちのめされたが、唯一の救いは自分の旦那にされてしまうリクオが此処にいないという事だけだろう。
今は学校に行っているだけなので直ぐに帰ってきてしまう事は分かっているが、これをリクオに見られるのは何だかとても嫌だったのである。
こうして鴆は慰めにならないフォローなどを聞きながら仕度を進められていたが、不意に、仕度をしていた部屋の障子が開けられた。