■小説「恋色絵草子」

□第二幕・鴆、新婚を意識する
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 悪夢のような婚儀兼お披露目が終わり、鴆は出席していた幹部達を見送るとようやく緊張を解いた。
 化粧を隠す為に伏せていた顔を上げ、緊張で強張った全身を解すように大きな深呼吸を繰り返す。堅苦しい白無垢を着ているという事と、同じ姿勢で長時間過ごしていたので全身が凝ってしまったのだ。
 幹部連中の見送りを終えた鴆は広間に戻ってきた。見送りまではリクオも一緒だったのだが、リクオは総大将に呼び出されてしまったのである。
 鴆は婚儀兼お披露目が無事に終わった事にほっと安堵するが、こうして落ち着いたなら次は座敷の片付けをしなければならない。
 座敷内には至る所に酒瓶が転がり、それはまさに酒宴の後という状態なのだ。
 そう、先ほどまでの宴はお披露目という名目だったが、内容は酒宴と変わりなかった。
 今日からリクオの正妻として本家屋敷に住む事が決められている鴆は、座敷の片付けも自分の仕事だという事を分かっている。
 今まで薬師一派組長として片付けという雑用とは無縁な生活をしてきた鴆だが、正妻となったからにはそれが通じないのだ。
 何故なら、それが奴良組本家に嫁ぐという事だからである。
 もちろん本家には本家の雑用をこなす妖怪達もいるが、正妻の役目はそれらの妖怪達を束ね、面倒を見たりする事でもあるのだ。正妻とは、そうする事で内側から家を守っていくのである。
 だが、こうして鴆が片付けを開始しようとすると。
「奥方様に片付けなんてさせられませんっ。此処は私達に任せて、今夜は休んでください」
 そう言ってきたのは雪女だった。
 雪女は鴆の側まで来ると、「それに白無垢を着たままでは不便でしょ?」と鴆の現状を気遣ってくれる。
 確かに今の鴆は白無垢姿であり、片付けとはいえこんな姿でうろうろしては邪魔以外の何ものでもない。否、片付けだからこそ白無垢姿は邪魔だった。
 それに雪女や毛倡妓が片付けの指揮を取り、他の妖怪達とともに慣れた様子で片付けを進めてくれる。
 そんな場所に不慣れな者がいてもかえって邪魔になるかもしれず、それならば……と鴆は素直に甘えることにした。正妻としての仕事は明日から頑張れば良いだろう。
「分かった、そうさせてもらう」
「はい。湯の準備もできてますから、どうぞ入ってきてください」
「ああ、ありがとう」
 鴆は自分を気遣ってくれる雪女に礼を言った。
 正妻として本家へ嫁ぐ事に不安もあったが、だからこそ自分を気遣ってくれる馴染みの存在は心強かった。
 鴆は広間の片付けを雪女達に任せる事にすると、自分は湯浴みでもしようと浴場へ向かおうとする。
 だが広間を出る際、ある事をお願いしたくて雪女を振り返った。
 しかし振り返りながらも、鴆は言葉に困った様子で口篭もってしまう。
 雪女に「奥方様?」と首を傾げられ、鴆は躊躇いながらも口を開いた。
「その……奥方様っていうのを止めてくれねぇか……?」
 そう言った鴆の口調は申し訳なさ気なものだったが、響きは情けないほど切実だった。
 奴良組次期三代目であるリクオの正妻という事で本家の妖怪達に「奥方様」と呼ばれるようになったが、どうしても鴆はこの呼び名になれる事ができない。
 慣れるどころか呼ばれる度に背中がゾワゾワとしてしまい、どうしても受け付けることが出来ないのだ。
「慣れねぇし、……恥ずかしい……」
 そう、奥方様と呼ばれる事は何だか恥ずかしかった。
 正妻となり、他から見れば奥方という立場になるのは分かるが、それでも自分がそうなのだと意識すると恥ずかしいと思ってしまう。
 正妻になる事は自分で決心したのだが、これとそれとは別だと思うのだ。
 今夜のような公式の席では奥方と呼ばれる事は諦めるが、普段から使って欲しい呼び名ではない。本家に仕える妖怪達は馴染みの者達が多いので尚更だった。
「分かりました。鴆様がそうおっしゃるなら、そのようにしますね。他の妖怪達にも伝えておきます」
「悪いな。そうしてくれ」
 納得してくれた雪女に鴆は安堵すると、広間の片付けは他の妖怪達に任せて自分は浴場へ向かうのだった。




 湯浴みを終えた鴆は、ようやく白無垢と化粧から開放されて上機嫌になった。
 湯浴み後の気持ち良さは当然だが、今は白無垢と化粧から開放された喜びの方が大きい。
 白無垢は身体を締め付け、化粧は肌が窒息しそうで嫌気がさすものだったのだ。
 こうして鴆が脱衣所で薄い夜着を着ていると、本家仕えの妖怪が衝立越しに声を掛けてきた。
「鴆様、お部屋へ案内しますので、仕度が整いましたら声を掛けてください」
「ああ、頼む」
 鴆は返事をすると上着を羽織り、さっぱりした様子で脱衣所から出てきた。
「待たせたな。良い湯加減で長湯してしまった」
「それは良かった。ですが長湯にはお気を付けください。もし鴆様の身に何かあれば大事ですので」
 身を案じてくれる妖怪に「それくらいで大袈裟だな」と鴆は苦笑するが、本家仕えの妖怪は恭しく頭を下げて今後の事について話し出した。
「今後、鴆様のお世話は本家屋敷に仕える妖怪達で行ないますので、不自由があればなんなりとお申し付けください」
「分かった」
 説明によると、本家に嫁いだ鴆の世話をするのは本家仕えの妖怪全てのようだった。
 本家仕えの妖怪は数が多い事もあって、特別に誰かが世話係をしなくても、常に近くには誰かがいるからという理由である。
 そして鴆にとっても異存はなかった。
 本家仕えの妖怪達は鴆にとっても馴染みが多いので、特定の側仕えなど不要だと思えたのだ。
「では、お部屋に案内します。どうぞ」
 鴆は側仕えに先導されて部屋に向かう。
 だが暫く歩き、ふと向かっている方向に首を傾げた。
 鴆はてっきり母屋の奥へ案内されると思っていたのだが、奥から遠のいているようなのである。
「ん? こっちは離れ座敷がある方じゃねぇのか?」
 そう、向かっている先は母屋の奥ではなく離れ座敷がある方だった。
 鴆はその事を不思議に思うが、側仕えの妖怪は「こちらですよ」と迷う事無く先へ進んでいく。
 そして鴆の眼前には一本の渡り廊下が現れた。
 この渡り廊下は母屋と離れ座敷を繋ぐ唯一の屋外廊下である。
 屋外の渡り廊下は庭園造りの庭に囲まれている事もあって、情緒溢れる静かな庭園を楽しめるようになっていた。
「離れ座敷がリクオ様と鴆様の新居になります。食事などは母屋で取って頂く事になりますが、離れ座敷をお二人の居室として自由に使ってください。側仕えの妖怪も近くに常駐しますので、呼んで頂ければ直ぐに参ります」
「離れか……。オレは母屋に入るのかと思ってたぜ」
 鴆は率直に思った事を口にした。
 だが、そんな鴆の言葉に側仕えは苦笑する。
「これは総大将のお心遣いです。新婚初夜の邪魔をするほど本家の妖怪は野暮ではありませんので」
「し、しし初夜……!?」
 鴆は一瞬にして顔が真っ赤になった。
 初夜という言葉は鴆にとってあまりに直接的過ぎたのだ。
「……っ」
 顔を真っ赤にした鴆は側仕えを睨むが、側仕えは何を妄想しているのか意味深な様子で笑っている。
 鴆としては「何を想像している」と問い詰めたいが、とんでもない答えが返ってきても困るので訊くのが怖い。
 鴆は思わず立ち止まってしまいそうになったが、側仕えに促されてゆっくりと渡り廊下を歩き出した。
 前を見れば一本の渡り廊下が先へと続いている。
 この廊下は、これからリクオと暮らす離れ座敷に繋がっているものだ。
 何処にでもあるような普通の廊下なのに、一歩一歩進む度に不安と緊張が高まっていく。
 しかし引き返す訳にはいかず、鴆は躊躇いを覚えつつも進むしかなかった。
 そして離れ座敷に着くと、自分をここまで案内した側仕えは「ごゆっくり」と一礼して母屋に戻っていく。
 取り残された鴆は心細げな様子で側仕えを見送ったが、今は選択肢など無いも同然だろう。
 鴆は大きく深呼吸をすると、離れ座敷の中に入る。
 リクオはまだ総大将に呼ばれたままのようなので、気分転換に離れ座敷を見て回ろうと思ったのだ。
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