■小説「恋色絵草子」
□番外幕・リクオ、鴆と距離を置く
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「考えさせてほしい……」
そう言って鴆がリクオの提案を保留したのは数日前。
そして今日、鴆はまたしても疲労とストレスで倒れてしまった。
鴆が無理をしていた事も簡単に想像できる。だから自宅で療養するように提案したのだ……とリクオは少し呆れてしまった。
しかし今回は二度目という事もあり、リクオとしても前回のような保留を許すつもりはない。
リクオは渋る鴆を説得し、自分の屋敷で療養するようにと話を進めたのだった。
そして今日、鴆が療養の為に本家を出る事になった。
リクオは側近の妖怪達に鴆の荷物を纏めて置くように指示し、鴆が身体を休めている寝所に向かう。
「鴆君、身体の調子はどう?」
リクオはそう言って寝所に入ると、鴆の枕元に腰を下ろす。
「顔色も少し良くなったみたいだけど、今度はちゃんと治るまで休まないと駄目だよ。朧車の用意をさせたから、もう少し待ってて」
「ああ、悪いな」
そう言った鴆は申し訳無さそうにしながらも少しだけ目を逸らす。
それらの仕種は何か物言いたげなものだが、鴆は何も言わずに黙り込んでしまう。
普段の鴆は煩いくらい物事をはっきり口にする癖に、極稀にこうして黙り込んでしまうのだ。
リクオも強引に聞き出すような真似はしないが、正直あまり気分が良いものでもない。
「リクオ様、鴆様、出立の準備が整いました」
襖の向こうから声が掛けられた。
それは鴆が本家を出る準備が整った事を知らせるもので、リクオは横になっている鴆に手を差し出す。
「鴆君、立てる?」
しかし鴆はリクオの手を借りずに自分で起きると、ゆっくりした動作で身支度を整えだした。
リクオはそれを見ていたが、鴆の準備が終わったのを見計らうと先立って促す。
「行こうか」
「ああ……」
二人は寝所を出ると、少しして離れ座敷と母屋を繋ぐ渡り廊下に差し掛かる。
リクオはそのまま廊下を渡ろうとしたが、自分の後ろを歩いていた鴆が立ち止まった事に気が付いた。
「鴆君?」
「悪い、何でもねぇ」
不思議に思ってリクオは鴆の名前を口にしたが、鴆は気を取り直したように歩き出してしまう。
しかも今度は先導していたリクオより前に出て歩き出した。
渡り廊下を歩く鴆の歩調は、静かながらも何かを振り切るような勢いがあるもので、リクオは首を傾げてしまう。
だが。
「リクオ」
廊下を渡りきった鴆は立ち止まり、リクオを振り返った。
「オレは、……また戻ってきていいんだよな?」
鴆はそう訊いてきた。
この時、リクオは「いったい鴆は何を言っているのだろうか」とそれだけを単純に思った。
戻ってくるなと言えば戻ってこないのだろうかとか、戻ってきてもまた倒れるだけじゃないかとか、いろんな事が頭を過ぎってしまった。
しかし実際はそんな事を口に出来る筈も無く、当たり障りの無い返答をするしかない。
リクオは模範解答のような返答をしようと鴆を見たが、言葉が出なかった。
鴆は泣きそうな顔で笑っていたのだ。
世間話の延長であるかのような口調と表情をしているのに、鴆は何かを必死に耐えているような表情をしていた。
先ほどは颯爽とした様子で歩いていた癖に、今の鴆の眼差しは揺れている。
笑みを浮かべているのに、その笑みは哀れなほど引き攣り、瞳の奥には怯えすら宿っている。
そして何より、軽い口調で紡がれた筈の言葉が、懇願に近い響きを持っていた。
「もちろん療養が終われば、だけどな……」
鴆は明るく言葉を重ねたが、瞳の奥の怯えは濃さを増したようだ。
「…………。うん、療養が終わったら帰っておいでよ」
言葉を重ねた鴆に、リクオは遅ればせながらも模範解答をした。
だが不自然な間を空けてしまった、とリクオは反省する。
不自然な間に関して鴆は追言する事はなかったが、居心地悪い……とリクオは内心で思ったのだった。