■小説「恋色絵草子」

□第六幕・鴆、正妻の覚悟をする
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 リクオは十字路で鴆と別れ、夕暮れの中を本家に帰宅した。
 屋敷の門を潜ると、側近妖怪達が騒がしく出迎えてくれる。
 相変わらずのそれにリクオは「近所迷惑だよ」と苦笑しつつも返事を返していたが、私室に入ると鴉天狗が飛び込んできた。
「リクオ様、おかえりなさいませ。耳に入れておきたい話があるんですが」
「ただいま。話って、とうとう近所から苦情がきたとか?」
 本家には大勢の妖怪が住んでいる為、ちょっとした騒動なら毎日のように起きているのだ。
 そんな些細なトラブルを予想してリクオは訊き返したが、鴉天狗の神妙な面持ちがそれを否定していた。
 学生服から着流しに着替えたリクオは、普段とは違う鴉天狗の様子に不審を覚えて先を促す。
「どうしたんだよ。何かあった?」
「何かあったというか何というか……。まだ何も無いのですが、少し気になる事がございまして」
 鴉天狗はそう口火を切ると、三羽鴉から受けていた報告をそのまま知らせた。
 内容は見慣れぬ妖怪を見たというものだが、現代妖怪が原因でないとなると少し気になる情報である。
「不審な妖怪について調べさせておりますので、もう暫くお待ちください」
「頼んだよ。何も無ければいいけど、少し気になるな……」
「まったくですな」
 浮世絵町は妖怪の総大将が居を構えている事もあり、何かと騒動に巻き込まれる事が多かった。
 平和主義のリクオとしては、騒動は起きる前に片付けてしまいたいのだ。
 こうして鴉天狗の話は終わったが、その時。
「失礼する! 至急、若にお目通りを!」
 ふと、庭先に三羽鴉が降り立った。
 しかも焦った様子でリクオを探しているようで、それに気付いたリクオは鴉天狗とともに縁側に出た。
「騒々しい、若の前だぞっ」
 鴉天狗は三羽鴉を窘めると、「お恥ずかしい限りです」とリクオに頭を下げる。
「若、申し訳ありません。火急に知らせたい事がありましたので」
 鴉天狗に並んで三羽鴉にまで頭を下げられ、リクオは「気にしなくていいから」と苦笑した。
 鴉天狗の息子である三羽鴉はリクオに対して堅苦しいほど礼儀正しいのだ。
「で、急ぎの用があるんだろ?」
 リクオが用件を促すと、三羽鴉の一人が一礼して前に進み出る。
「はい、不審な妖怪についての報告です。先ほど入った目撃情報で妖怪の正体が判明しました」
「それは本当か!?」
 三羽鴉の報告に鴉天狗は驚いたように先を促す。
「はい。情報によると首謀者となっている妖怪の下に複数の妖怪が集まっているようです。妖怪達の形体は蛇や蛙などで、問題の首謀者は」
 三羽鴉はここで躊躇ったように言葉を切るが、意を決したように報告を続ける。
「首謀者は――――蛇太夫。確かにそう呼ばれておりました」
「蛇太夫……っ」
 この名前に、リクオは驚愕を隠しきれなかった。
 何故なら、蛇太夫はリクオが始末した筈の妖怪だからである。
「ど、どういう事だよ……っ」
 リクオは訳が分からず混乱した。
 蛇太夫は元々鴆一派の幹部だったが、謀反を起こして鴆に刃を向けたのだ。その時にリクオは危機一髪のところで鴆を救い、蛇太夫を自分の手で始末したのである。
 それなのに蛇太夫が生きているなど、リクオにとって信じ難い事だった。
「それが……、現在蛇太夫と呼ばれている妖怪はリクオ様が始末した妖怪とは別物のようです」
「別物だって?」
 意外な答えが返されて、リクオはどういう意味か訊き返す。
 蛇太夫と呼ばれる妖怪はリクオが始末した妖怪だけではないという事だろうか。
 そんなリクオの疑問に、三羽鴉は神妙な面持ちで頷いた。
「確かな詳細は分かっておりませんが、蛇太夫と縁のある妖怪である事は確かなようです」
「蛇太夫と縁がある妖怪……」
 詳細が明確でない事を前置きされたが、斥候などを得意とする三羽鴉の情報分析能力は優れており、その情報はほぼ正確なものだとみて良いだろう。
「鴉天狗、心当たりある?」
「いえ、残念ながら拙者も蛇太夫に縁がある妖怪など存じません。…………あっ」
 鴉天狗は申し訳無さそうに言ったが、最後に何か思い出したような声を上げた。
「あ、あれを! 直ぐにあれをリクオ様に!」
「あれって何だよ……」
 あれなどと突然言われてもリクオに分かる訳がないのだが、鴉天狗は興奮したようにアレという物を口にする。
「画図です! 本家はもちろん、末端の貸元まで描かれた組織図です!」
「そうか! 蛇太夫に縁があるっていうなら載っているかもしれない!」
 そう、鴉天狗が思い出したのは奴良組百鬼夜行画図だった。
 この画図は奴良組の組織図が描かれたもので、本家に属する妖怪はもちろん、貸元に仕えている妖怪達まで描かれているのだ。
 当然ながら鴆一派の幹部だった蛇太夫も描かれており、蛇太夫に縁が有るというならその妖怪も載っている筈なのである。
 リクオは側近妖怪に急いで画図を持ってこさせ、蛇太夫に関する部分を重点的に目を通す。そして。
「蛇太夫に縁がある妖怪……、それって実弟の事だ」
 リクオが見つけたのは蛇太夫の実弟だった。
 リクオが始末した蛇太夫には弟がいると画図に描かれており、ならば弟が蛇太夫の名を襲名していても可笑しくないのだ。
「ええ、考えられない事ではありませんな。蛇太夫の弟が、兄の仇討ちを目論んでいるという線が濃厚かと」
 蛇太夫に弟がいたなど知りませんでした……、と続ける鴉天狗にリクオも頷く。
 だが不意に、リクオは嫌な予感を覚えた。
 突然の嫌な予感にリクオは表情を顰めるが。
「――――鴆君!」
 ハッとしたように鴆の名前を口にした。
 嫌な予感の原因を考えた時、直ぐに鴆の事が頭に浮かんだのだ。
 何故なら、蛇太夫が絡んでいるなら鴆が巻き込まれていても可笑しくないからである。
「リクオ様! どちらへ!?」
 背後で鴉天狗が驚いているが、リクオは走り出していた。
 鴆が巻き込まれている可能性が浮かんだ瞬間、考えるより先に身体が動いていたのだ。
 最悪の事態を想像すると背筋が震撼するほどの恐怖を覚えてしまう。そんな想像など打ち消してしまいたいが、鴆の安否を確認しなければ気が済まない。
 得も言えぬ恐怖は理屈でなく、それらを伴った強い感情が心を支配する。
 だが、リクオは恐怖の理由に気が付いていた。
 心を支配する感情が何なのか気が付いてしまった。
 気が付いた事で、今まで形がなかった感情が形作られていく。
 形作られ、名付けられた感情はリクオの心にすんなりと受け入れられた。
 まるで最初からそこに存在していた感情だったかのように、やっと気付いたのかと自分でも呆れてしまうくらいに、自然に心に溶け込んでいった。
 そう、こうして鴆への想いが確かに形作られたのだ。
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