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□およそ5センチ圏内の境界線
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およそ5センチ圏内の境界線
『…何?お腹空いてる?は、今から帰るんですけど?』
『だってー。せんせー忙しいし。テストだの通信簿だの箱詰め状態なの。箱入り息子なの色んな意味で』
私の担任坂田銀八は私が通う塾が終わるのを見図い、よく電話をよこしてくる。
銀ちゃんのアパートが塾から家への通り道だという事もあり、こうやってよく面倒を言い付けくる。
『愛しい生徒が夜道を歩いているってのに気が退かない訳!?あんたそれでも担任!?先生として最低よ』
『あー、そうだな。すんませんね〜。…んじゃ、イチゴ牛乳とあんまん三個買ってきて』
『は、だから帰るって……』
と言い掛けると携帯の通話が一方的に切れた。
「……もう!何なの!?」
人気の無い夜道。ポツリポツリと灯る街灯が一層人恋しさを増すような気がして溜め息をついた。
12月になると教師は通信簿付けや、期末面談だの何やらに追われ死亡フラグが立つらしい。
年末年始の飴と鞭と銀ちゃんが言っていた。
「何で担任の世話しなきゃいけないの!?お母さんかよ!」
どう考えても理不尽である。
同じクラスの山崎を見ていて思うけどパシり程、理不尽な事はないと思うの。
それが片想いの相手だから尚更だ。
「あー、銀八の馬鹿」
と呟くが、銀ちゃんに弱い私が一番駄目なのかもしれない。
結局、私は近くのコンビニに向かって歩いていた。
ズカズカと大股歩きでコンビニに入る。
「いらっしゃいませー」
とサングラスに髭のおじさんが単調に私に言った。
私は一直線でコンビニのカウンターに向かい、そしてその店員に八つ当たりするかの様に乱暴言った。
「あんまん四つッ」
***
「おう、あんがとー。寒かろうに。それはそれは可哀想に。何ならちょっと上がってく?」
コンビニの袋を銀八に手渡すと、待ち構えていたかの様にイチゴ牛乳のパックを開け一気に飲み干した。
「ふー、やっぱこれだね〜」
某CMを彷彿させるライトタッチな歌声と、御満悦そうな笑みを浮かべる銀八は年上とは思えない程幼く見えた。
「お金は…えっと、ごめん。30円しかない。悪い、ボーナス出てからでいい?お礼として何なら炬燵にあたっていいよ。特別に」
1LDkの銀八のアパートは玄関先から見ても、足の踏み場が無いほど散らかっている。
飲みかけのペットボトルにお菓子、炬燵に上にはテスト用紙やら生徒の通知票の下書きが散乱している。
「期末テスト目の前だし、あたしだってそんな暇じゃないの。夕飯まだだし、帰る。
銀ちゃんだって忙しいんでしょ?」
「まぁね、忙しいけどさ、人間息抜きが大切なんだよ。心にゆとりがないとさ、人生つまらないじゃん。車のハンドルも遊びが無いと走れない訳ですよ。だから俺とウノしてみない?」
「え?何でウノ?ウノって正月やるモンじゃないの?てか、ウノのやり方知らない。それよりさ、御駄賃いらないからテスト用紙、ちょっと見ていいの?」
テストの点数が喉から手が出るほど欲しいって言うのに。
センターも目前に控えてるし、どうしても点数が欲しい。
そして、大学に入って銀ちゃんと同じ教師に。
しかも、同じ学校の教壇に立てたらって淡い夢を抱いていたけど、そんな事何か悔しいから絶対、銀ちゃんに言わない。
「ねえ、銀ちゃん。お礼にテスト教えてー」
そう言うと、銀八はあんまんを頬張りながら言った。
「ん?んなこと、むりっ。犯罪です」
むしゃむしゃとあんまんを頬張る姿が異様に腹が立つ。
「だったら何よ?内申点上げてくれる?」
「あ〜どうしよっかな〜。俺もさ、一応教師だし〜。んな愛する生徒達に不平等な事出来ないんですよ」
銀八は二個目のあんまんに口を付ける所だった。
「もういいです。帰ります」
銀八を背にし、アパートの玄関戸を向いた。
「あれー?、あんまん三個って言った筈なのに四個あるー!ラッキー」
……は、しまった!それは自分用に買ったあんまんだ!
「それ…あたしのっ!」
勢い良く振り返ると何故か銀ちゃんの胸の中にいた。
ドキドキよりも意味不明の気持ちが勝っているかもしれない。
強引に引寄せられると体制を崩してアパートの玄関戸に背を打ってしまった。
「ぎん…、」
不意打ちってこう言う事なんだろう。
抵抗出来ず銀ちゃんの胸の中で踞る私。
運動とは縁の遠い、ぐうたら人間だと思っていたけど、思いの他、筋張った筋肉質の腕や、胸板の厚さが男らしい。
徐々に状況を理解し、ゆっくりと見上げると苦しそうな銀ちゃんの顔が五センチ圏内目の前にあって。
それは時間が止まった様な不思議感覚だった。
だだ、何かを必死に抑えて苦しそうな銀ちゃんの表情が、波打つ鼓動と共に目に焼き付いて離れない。
その後は、銀ちゃんにされるがまま、唇を奪われた。
呼吸すら儘ならないキスは酸欠しそうで苦しく、ファーストキスの味は、甘ったるいイチゴ牛乳と小豆の味がした。
「ヤバい、どうしよう。とめらんない…」
銀八の吐息が乱れていた。
行き場を失った私の腕は自然と銀八の肩に回していた。
二人の息遣いが荒くなり、夢中でキスをした。
銀八に髪の毛をぐしゃぐしゃになる程乱暴に撫でられ、顎や頬も撫でられている私は意識が飛びそうだった。
「…ぎっぎ、……やめて、銀ちゃん…」
振り絞って上げた声に銀八は、はっとした表情で我に返った。
私も顔が真っ赤だったけど自分から仕掛けてきた銀ちゃんも顔が真っ赤だった。
「……わりー。つい、うっかり?」
苦笑いの銀八は頬の唾液を腕で拭うと、ふわふわで柔らかな銀髪の髪の毛を掻きむしっていた。
「センセーも大変なんです。ストレスやらほら、理性とやらの闘いとかなんとか?」
「だから?つい?」
言い返さないと負けた気がする。
悔しい。人の気持ちも知らないで腹が立つ。
「…ごめん。怒っちゃった?」
「…怒ってる」
下を向いて頬が染まっているのを銀ちゃんにバレないように必死で隠した。
すると、銀ちゃんはご機嫌を取るかのようにあたしの頭を撫でて言った。
「ななこが先生になるの。待ってるから」
銀八の大きな手が私の頭を撫でた。
「そして、大人になるまで待ってるから。そしたら…、なっ?」
優しい声だった。
「知ってたの?」
「そりゃあ、センセーですから。生徒の事はわかりますよ」
「ずるい…」
私達は教師と生徒との境界線を乗り越えられるだろうか。
私は夢を実現出来るだろうか。
大学に受かって。
銀ちゃんも何年も掛かって合格した教員試験に私も合格出来るだろうか。
「だから、頑張って勉強して大学受かれよ。銀さん特別特訓してあげるからさ。
…大学に入ったら、あんな事やこんな事や大人のチョメチョとかいっぱい教えてあげっからさっ」
そう耳元で囁かくと、銀ちゃんは私の頬に軽くキスをされた。
「んじゃ、ななこが卒業するまで彼氏の予約しておくわ」
銀ちゃんはへらへらと笑いながら言った。
「おっと、遅くなっちまった。途中まで送ってくか。あ、それからこの事は教育委員会に内緒な」
およそ5センチ圏内の境界線
(多分越えられるような気がする)
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