雑食

□スプートニク
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※一部流血表現を含みます


監視官と執行官。上司と部下。宜野座さんと私。いつだって境界線は鮮明に、当たり前のように私たちの間を隔てていた。ここからこっちは私の領域、そしてあっち側は宜野座さんのものである、と。私はあっちの世界に興味があって、爪先ぎりぎりのところまでラインに近付いた。けれどもし一歩でも踏み出そうものなら、アラームが鳴り響いてきっと私の脚は吹き飛んでしまうだろう。だから私は、ただそこから外の世界を眺めていたのだ。


「私、死んだら星になりたいんです」
「・・・まさか大事な話がそれとは言わないだろうな」

そのまさかですと、肯定の意を示すべく首を縦に振れば宜野座さんは眉を顰めて口から息を漏らした。屋上の手摺に二人で並んで手を掛ける。爽やかな初春の風が吹いていて、少しだけ髪を靡かせた。私と宜野座さんの間には、丁度人一人分程のスペースが空いている。話があるからとわざわざ呼び出して、結果本題がこれだと分かれば怒りが込み上げてくるのは至極当然のことだ。私だって逆の立場だったらそうするかもしれない。宜野座さんの眉間の皺はいつもの三割増しに濃くて、けれど冷や汗の代わりに口から言葉が溢れるのだった。

「だからね、宜野座さん。もし私が死んだら、宇宙葬にしてほしいんです」
「は?」

お願いします、そう言って軽く頭を下げれば、珍しく口を閉じることも忘れてこちらを凝視する宜野座さん。その心中は、何故俺にそんな頼みごとをするのか理解不能、といったところだろうか。だって、私たちはプライベートな話を出来る程に互いのことを知ってはいないのだ。けれども私は、どうしても宜野座さんでなくてはいけないような気がしていた。

「・・・宜野座さん、宇宙葬知ってます?」
「馬鹿にするな。耳にしたことぐらいはある」

茶化すように笑って見せれば宜野座さんは顔を顰めた。けれどもそれは本気で怒っているときのものとは少しだけ違っていて、そういえば私たちは同じ霊長目ヒト科の哺乳類であるのだっけと思い出された。

「遺骨は衛星軌道に乗せられて、何年かの間地球を周回するんです」
「・・・ななし、それはスペースデブリになるということなんじゃないか」

星になるのとは違うのではないか、宜野座さんの眼鏡の奥の切れ長の目がそう言っていて。そこに映る私は面白そうに口角を上げていた。ひょっとしたら、その一瞬だけ自分が優位に立ったつもりにでもなっていたのかもしれない。そんなことは決してない筈なのに。

「宜野座さん、まだ続きがありまして。後に遺骨は高度を下げて大気圏に突入して、そうして最後には燃え尽きるんです」
「ほう」
「私は、流星に、星になりたい」

宜野座さんはただ表情を変えずに私を見ていた。その顔に、得心の色は見られない。分からなくたっていい。端から理解してもらうつもりなどないのだ。そのときが来たらそうしてくれれば、それでいい。

「さて、そろそろ戻りましょうか」

何故俺なのか。次に宜野座さんが口を開けたとき私の鼓膜を揺らすのは、その言葉に違いなかった。先手を打って踵を返せば、悟ったのだろうか、聴覚器官に届いたのは別の言葉だった。

「ななし、おまえは何故星になりたい」

後方から投げ掛けられた疑問。立ち止まることも振り向くこともしないで、答えた。

「ごみ溜めにはもう、ごみが溢れているでしょう?」

返答を聞いて宜野座さんが何を思ったのか、どんな顔をしていたのかなんて私は知らないし、きっと知る必要もなかったんだと思う。

「もしも私が宜野座さんより先に死んだら、そのときは宜しくお願いします」

それだけ言い残して私はその場を去った。その刹那、背中を通して確かに宜野座さんの返事を聞いたのだ。覚えていたらな、とただそれだけ。


監視官と執行官。上司と部下。宜野座さんと私の関係はそれ以上でも以下でもない。境界線ははっきりしていて、そのライン上にあるのはいつかの約束だけだ。

「宜野座、さん。約束・・・覚えて、ます?」

まさか"そのとき"がこんなに早く来るとは思わなかったなぁ、頭の片隅ではそんなことを思って、片やどうか忘れたなんて言わないでねと、何かに縋った。傍らで膝をつく宜野座さんは馬鹿を言うな、もう喋らなくていい、なんて言って首を縦には振ってくれない。横たわる私の肩を抱いた宜野座さん。初めて触れた手は温かくて、涼しげな切れ長の瞳にもちゃんと熱が宿っていた。しっかりしろと、傷口を押さえられて。触れては汚れてしまうというのに。彼の手は徐々に赤に染まっていく。宜野座さん、境界線越えてるよ。彼の靴底に削られたラインは曖昧になって、今にも消えてしまいそう。宜野座さん、戻って。早く、ここは私の領域だから。

「約、束。ぎの、ざさん」

簡単なことだ。宜野座さんは跨いだラインを今度はあちら側へ戻って、そうして肯定の意を示せばいい。それなのに、あなたはどうしてそんな顔をするの。同じ霊長目ヒト科の哺乳類だと、思わせないでよ。息は切れ切れ、ナイフの刺さった腹からはどくどくと血が流れて、ああ、もう時間がない。

私は潜在犯だ。不適合者だ。居場所などどこにもなかった。必要とされたことなど一度だってない。つまりは、社会に弾かれたごみなのだ。収まりきれやしないんだよ。私はここでは眠れない。だから、飛ばして。宇宙へ。要らないごみだと蔑んで、遠い宇宙へほかってほしい。だから宜野座さんだった。だから彼でなくてはいけなかったのだ。抱いていたのは劣等感。ただ嫉妬して、羨ましいと思った。そんな私を惨めだと一蹴して、鼻で笑ってほしかったのだ。

「ななし、おまえは流星になりたいと言ったな」

宜野座さんの問い掛けに、最早頷くことさえ出来なかった。口を開けても情けなく喉から息が漏れるばかりで。それでも宜野座さんの姿は、声は。受容器から神経を伝わってはっきりと私の脳へ届くのだ。

「流星は地球に落ちることもあるらしい」

宜野座さん、境界線、もうなくなっちゃったよ。監視官と執行官。上司と部下。宜野座さんと私。隔たりがなくなった今、なにが判断基準になるというの。だから早く戻れと言ったのに。もたもたしているから。そう思って、けれどももう怒ることさえ出来なかった。

「ななしさん、またここへ、戻ってこい」

どうしてあなたがそんなに優しい目をするの。どうしてあなたは軽蔑してくれないの。私にも居場所があるのだと、勘違いしてしまうじゃない。こんなにも簡単に涙腺は緩んで、こんなにも簡単に崩れていった。気付けば口が動いていたのだ。はい、宇宙葬、お願いします、と。それはほとんど声にはなっていなかった。けれど、きっと宜野座さんには伝わったんだと思う。彼が頷いて優しく微笑んだのを確認しながら瞼はゆっくり下りていった。





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130209



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