雑食

□神は死んだ
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『犯罪係数アンダー五十、執行対象ではありません。トリガーをロックします』

聞こえてきた機械音声に、ああ本当に効かないんだ、と口を歪めた。目の前の彼は槙島というらしい。まさしく例の男である。彼の犯罪係数は四十一を示していた。とてもたった今人を一人殺したばかりとは思えないほどに、彼は落ち着いているのだ。私の右の手にあるドミネーターは、ただ物質的に存在しているだけ。そう理解して、けれども依然としてそれで彼をマークしたまま、左手で地面に転がる短銃を拾い上げた。

「・・・それはハッタリなのかな」

リボルバー、三十二口径六連発といったところか。私は左手までも挙げて、槙島に銃口を向ける。それに対して槙島は面白そうに微笑んだ。このとき彼の犯罪係数は、二十を下回っている。

「何故そう思うの?」
「その右手に持ったものが象徴している。君は大衆社会に生きている、とね。違うかな、ななしさん監視官?」

口に蜜あり腹に剣あり、物腰柔らかに人のいい笑みを浮かべる彼からそういう印象を受けた。彼の突き刺さるような視線を浴びながら、左手で撃鉄を起こし引き金に指を掛ける。これを引けば、命が一つ奪われるのだ。槙島は一歩を踏み出し、そしてまた一歩とこちらへ歩みを進めた。その顔にはやはり笑みを張り付けて、まるで私を試すみたいに。

「『狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である』」
「ニーチェだね・・・」

私の言葉、すなわちニーチェの引用に、槙島はぴたりと足を止めて少し考えるような仕草をした。私は結んでいた唇を解き、そうして今度はそれで弧をつくる。

「ねぇ、いいことを教えてあげようか。私にとって右手のこれはただの飾りでしかないのよ」

言って、右手を振ってみせる。そう、ドミネーターはアクセサリーだ。大方羊の皮と言ったところだろう。騙すための、装飾品。それが少しだけ手に馴染んでしまった、たったそれだけのことなのだ。

「だから私は、あなたを撃てる。残念ながらハッタリなんかじゃない」
「ほう」

もう一度照準を定めれば、遂に槙島の犯罪係数はゼロになっていた。相変わらず笑顔の彼に私の意志は伝わったのだろうか。彼はまた歩き始め、私との距離は徐々に縮まる。

「君は、無神論的実存主義者なのかな」
「さあね」

問いに答えれば、槙島はくつくつと喉を鳴らして笑った。気付けば再び立ち止まった槙島と、私との距離は三メートルもないぐらいに詰められている。私は左手の人差し指をしっかりと引き金に掛け直した。

「槙島、殺す前にひとつ質問してもいい?」
「なんだい?」
「神に代わるのがツァラトゥストラでなかったとしたら、それは何だと思う?」

槙島の形の良い唇が言葉を紡ぎ、私の耳の中のリンパ液を揺らした。その数秒後、私は左手を降ろし、右手に持ったドミネーターを地面に投げ捨てたのだった。





ツァラトゥストラもまた、死んだのです



130210



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