アホリズム

□それもまた証
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一度目の衣替えの時期を待たずして、朝長出は死んだ。噂によると殺されたとかいう話だったが、まるで安らかに眠るようにして彼は死んでいた。結局彼は夢から覚めることはなかったのである。勿論その訃報を聞いたクラスメイトは快哉を叫んでいたようだ。暴君が死んだのだから当然であろう。例に漏れず私だってそういった反応を示すべきであるのに、それなのにどうして目の前が霞むのだろう。あの"夢"の蝕が終わってから三日も経つが、私はその間一度も学校へは行っていない。

「ともなが、いづる」

震える声で彼の名前を呟いてみたけれど、それは夜の闇へと溶けていった。まるで居なくなってしまった朝長くんみたいに。その名前さえも消え行くのである。

彼は私達から自由を奪った男であった。自分の都合で動く男で、そのためならば手段を選ばない男であった。彼に従わないものは皆死んだ。殺されたのだ。他クラスにまで及ぶ被害もあった。最低だ。彼は私が今まで出会ったどの人よりも最悪な人間であった。当然憎むべき相手であったし、当初は憎んでいた筈なのに、その思いはいつからか消えてなくなった。

彼の過去と野望を知ったとき、私は彼に同情せざるを得なかった。ただ単純に、可哀想だと思っただけではない。彼の人間的な部分を見たと同時に、朝長に従い、行動することには少なからず意味があると思った。その時から、私の従順な行動の理由は"生きるため"から"彼の願いを叶えるため"に転化し始めた。

彼の優しさに触れたとき、私の彼に対する見方は明らかに変わった。彼は始めに口約した通り、自分に従わない者には容赦なかったが、そうでない者には優先的に手を貸した。それを私は優しさとは呼び得なかった。けれど、彼が死にかけの私を助けてくれたとき、確かに私は優しさを感じたのである。

「ん・・・っ」

目を覚ますと同時に、視界の違和感と腹部に走る激痛に思考が急速に回転し初めた。どうやら私は誰かに背負われているらしい。蝕中に攻撃を喰らったから、恐らくそれから意識を失っていたのだろう。

「ああ、ななしさん目が覚めた?」
「ひっ」

私を背負う"誰か"を確認したとき、背筋に嫌な汗が伝った。朝長出、だ。

「はは、そんな怖がらないでよ。せめて保健室までは我慢して。ね?」

そう言って人の良さそうに笑う朝長くんを私は好きではなかった。暴君である彼を知っているからか、どうにも偽善的な感じがして嫌だった。状況を把握するにつれて気分は落ち着きを取り戻していったが、それに反比例するように腹の痛みは増していった。

「なんで・・・助けたの」

掠れた声で問いかけたそれは当然の疑問であろう。恐らく彼の人を殺すか生かすかの判断基準は使えるか使えないかなのだから。

「そりゃあ、ななしさんは俺に従ってるから」
「でも、命令、果たせなかった。死にかけ、だし。たいして・・・使えも、しない、し」

今日の蝕は"水"だった。私はそれに少しだが対抗できる文字を持っている。朝長くんに倒すように言われていたが、果たせなかった。当然死を覚悟していたのだが、事実は逆である。

「仕方がないよ。ななしさんの文字じゃ"水"には完璧には叶わない」
「じゃあ、」
「でも殺さないよ。元々無理言ったのは俺だし。ごめんね」

なんで謝るの。朝長くんは非情で冷徹で自分勝手な男でしょう?それが、どうして。腑に落ちない。そもそもこの命が助かったって役に立てることなんて少ないんだよ。あなたは利益を最優先にする男じゃないの?

「俺の所為で死ぬことなんかないんだ。本当は、俺のしてきたことに後悔するときもある」
「え?」
「ほら、着いたよ。保健室」


そのとき彼が言ったことを、私は確かに聞いた。そのときの彼の今にも泣きそうな顔を私は確かに見た。その後彼がその事について言及することはなかったけれど、私は確かにそれを"優しさ"と名付けたのだ。

恐らくそれ以来だ。私が彼へ抱く感情は、憎しみよりも寧ろ逆のそれへと変化していった。

「ねぇ、」

ねぇ、朝長くん。あなたはきっと知りもしないのでしょうね。私があなたに抱いた恋心を。好きだったよ。好きだったんだよ。いつも視線はあなたを追っていた。どうせ気付いてなかったんでしょう?なんで死んだんだよ。巻き込んでおいて勝手に置いていかないでよ。悲しいよ。辛いよ。苦しいよ。これは証だ。

「ねぇ、」

ねぇ、朝長くん。悩んだこともあったんだよ。果たして本当にこれを恋と呼んでもいいものか、とか憎むべき相手を好きになるなんておかしいんじゃないか、とか。やめようと思ったことだってあったけれど、やめられなかった。それでまた悩んで。悩んで悩んで苦しかったけど、それは確かにあなたが居たということの証だった。

「大好きだったよ、」

呟いた言葉はやはり溶けた。これもまた証だ。彼は私の気持ちを掴んで持って行った。それはここにもまだ残っているけれど。証は彼が存在していたという事実を、私が彼を愛していたという事実を証明するものだ。

ねぇ、朝長くんはもう戻っては来ないんだよ。客観的な誰かの言葉が、頭の中で響いた。

「うわぁぁあぁあぁっ、あぁああぁぁあ」

堰を切ったように私は叫んだ。叫んで、泣いて、声を枯らした。そうしてそのまま眠りにつけば、次の日目を覚ました時には瞼が何倍にも腫れ上がっているのであった。






あなたが居なくなったという事実を裏付けるもの





120716

捏造朝長。



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