FT短編
□くだらない嘘
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半年ぶりに帰ったギルドは何の変わり映えもしていなかった。ちらほらと新人を見つけて、少し挨拶するだけで、ナツはすぐにギルドを発つ。
数年前と変わったのはグレイと別れたことと、ナツに対してギルドの一部の面々の態度がぎくしゃくするものになったこと。あとは別れた日から、その年月を表すように伸びたナツの襟足位だ。
街を出る前に、ふと、教会の前で足を止める。
―――そういえば、指輪を渡されたのはこの教会の前だった。
教会は色とりどりの季節の花が咲き乱れ、昔と何も変わらない景色が残っている。花と聖女を模ったステンドグラスがかつての記憶を呼び起こして、ナツの心に重くのしかかった。
(……グレイはここで式を挙げるのか)
一度だけ祝いの言葉を送ろうと、ギルドに立ち寄ったのが今日のこと。
しかしグレイはギルドに来ていないようで、それを贈る事は出来なかった。手紙を残すにも、形で残るものを渡すのに抵抗があったために、結局諦めてギルドを出てきたのだ。
あの時は、たった二人で行った神への誓い。
しかし、数日後にはグレイと知らない女性が、皆に祝福されて神へと祈りを捧げるのだろう。
ナツは心に飛来した想いを振り払うように、教会に背を向けて街の外へ歩きだした。
たん
固い地面を蹴る音が聞こえる。はっと我に返って、音がした後ろを振り向くと、肩を掴まれてその痛みに眉をひそめた。
「ナツ」
至近距離からの声に、ナツは凍りついたように身体が固くなる。
「グレイ…」
久しぶりに声に出した名前は、震えていた。
一瞬あった目をすぐに反らして、ナツはグレイの手を払おうと腕を上げた。しかし、思った以上の力で掴まれているのか手が離れることはなく、それどころか余計に力を込められて痛みに舌打ちした。
「何の用だよ」
震えていた声は冷静さを取り戻し、硬質な音となって放たれる。
グレイは口を閉ざしたまま、ナツをじっと見たままだ。責めるような視線が突き刺さるようで居心地が悪い。
グレイはここ数年で身長が更に伸びていた。ナツも伸びたが、結局その身長を超す事は出来なくて悔しい。そんなに差が開いているわけではないが、見下ろされているのは癪に障った。くだらないことだが、そんな事すら今は苛立ちを増長させている。
「久しぶり……だな」
「……おう」
優しい声に、ナツは戸惑った。顔を合わせるどころか、二人きりで言葉を交わしたのはあの時以来のことだ。責められるのではないかと身構えていたのに、予測とは大きく外れて身体から力が抜けた。
それと同時に、もうあの時のことなんて忘れてしまったのか、と思う自分がいる事に気付く。まだ想いを残している自分が情けなくて仕方なかった。
「俺、結婚するんだ」
「……知ってる。ルーシィから聞いた」
グレイの口からでた言葉が、心を抉っていく。
ルーシィから聞いたときは、ひと言相槌を打つだけで済んだのに、他人から聞くのと本人から聞くので、どうしてこんなにも違うのだろう。たったそれだけのことが、ナツの心を大きく揺らした。
「―――おめでとう」
言葉をいうだけなら簡単だった。
自分でも驚くほどに言葉が滑り落ちて、音になる。
「っ……聞いてくれ、ナツ」
両肩を掴まれて、逃げられないように拘束される。数年前より幾分精悍になった顔が、痛ましく歪められていて、切羽詰まった様子だった。
聞いてはいけないような気がした。しかし肩を掴まれたからでなく、久しぶりに会ったことの情がナツを動けなくしていた。
「あんときは俺もまだ若くて――いや、これは言い訳だな。……自分の事で精一杯で、お前の事を考える余裕とか、全然なかった。だからお前の言葉を全部鵜呑みにしちまった」
ずっと考えていたと言うグレイ。あの時、というのは間違いなく別れを告げた時のことだろう。
グレイはただ、逸らされたナツの瞳を見つめていた。その瞳には真剣さだけが滲み出ている。まるで秘密を暴こうとするその視線がナツを落ち着かなくさせた。
「あの時言った事、全部嘘なんじゃないのか」
「……っ」
否定する事を許さないと言う声音が、ナツの肩を揺らした。その振動が伝わったのか、グレイは目を細める。
「嘘なんだろ?」
再度問われて、想いとは裏腹に面倒そうに溜息を吐いた。
「はあ?何言ってんだよ」
嘲るように笑って、勘違いするなと言った。
「……ナツ」
「思い上がんな。ちょっと祝ってやったくらいで、頭沸きすぎなんだよバーカ」
ずきりと、胸の奥に痛みが広がっていく。こんなことを言うのはもう沢山なのに、グレイに言っているはずの言葉は確実にナツの古傷を抉っていた。
沈黙するグレイにこの場にいるのが耐えきれず、今度は軽くではなく、本気でグレイの手を振り払う。難なく離れる事に成功して、ナツは身を翻した。
「―――ッ俺は!今でもお前の事が好きだ!!」
一歩踏み出す寸前。グレイの叫びに足が止まる。
ナツは目を大きく見開いて、呼吸すらも忘れてしまった。
「好きなんだよ……ナツ!」
グレイの声が、あの時とだぶる。
あの時と同じようにその声を背中で受け止めて、ただ違うのは、身動きが取れないこと。
「なんで、そんなこと言うんだよ……っ」
ぐっと血がにじむほど拳を握りしめる。視界がぶれて、目元が熱くなる。耐えきれなくて瞬きすれば、大粒の涙が瞳から溢れて地面に落ちた。
グレイの息を飲む音が聞こえたが、溢れた涙はとめどなく頬を伝い落ちて止まらない。
前と同じように酷い言葉を投げつけてそのまま街を出ればいいのに、どうしてかそれができない。
「なんで……ッ」
上擦った声が出た途端、後ろに引き寄せられて抵抗する間もなく暖かいものに包まれる。背中に感じる温もりが、凍りついた心を溶かしていくように触れてきた。腕を外そうともがいてもうまく力が入らなくて、逆にもっと抱き寄せられてしまう。
そんなに優しくしないでほしい。
グレイにそんな想いを向けてもらう資格なんて、自分にはないのだから。
「……俺のこと、まだ好きか?」
耳元で、呟くように言われる。
「嫌いだ、お前なんか……」
消え入りそうな声でもう一度嫌いだ、と言う。震える声で言っても、説得力なんてないだろうけど。
だって、結婚するんだろう?
好きだと言っても、どうせグレイは戻ってこない。それは自分が招いた結果だ。だからどれだけ意味のないものでも、この嘘だけは吐き通さないといけない。
「……理由を言えよ。俺はどうしたらいいんだ。どうしたら、お前は俺のところに戻ってきてくれる……?」
「―――結婚する奴が何言ってんだよ」
「んなの、嘘に決まってんだろ」
ぎゅっと、腕に力を籠められて言われた事に、ナツは目を見開いた。
「皆に協力してもらったんだ。そうでもしないとお前、俺がいるときにギルドに来ないから」
「……う、そ?」
「金持ちの譲さんに求婚されたのは本当だけどな。断った」
呆気にとられて言葉が出なかった。だって求婚されたなら、しかもそんなにいい縁談だったなら断る必要がない。
「結婚なんて出来る訳ないだろ。俺はお前の事しか好きになれないんだからよ」
「………!」
痛いほどにまっすぐな想いが、なんの障害もなく心に落ちてくるようだった。新しい涙が生まれて視界を歪ませていくのを、呆然と眺める事しかできない。
「―――ッ……俺、」
嬉しい。
駄目なのに、否定しないといけないのに。
ナツは震える手で、抱き寄せているグレイの腕にそっと触れた。
「お前に…、何も残せないのに……ッ」
悲痛の色に染まった声は、嘆くようにあたりに響いた。グレイは何も言わず、己の腕に触れているナツの手を覆い隠すように手を重ねてきた。
その手の温度が懐かしくて、塞き止めていた想いが溢れそうになる。
「――――なのにっ、…ぃくなって……思ってっ……」
行かないでほしいなんて、なんておこがましいことを思ってしまうのだろう。
自分は何も残せない。男だから。
グレイを包みこめるような柔らかな腕は持ってないし、この腹からは何も生まれない。一緒にいた所で何時か一人にする。自然の摂理に反している愛情はいつかきっと壊れてしまうから。
「……なんで、そんなこと言うんだよ……ッ」
好き、だなんて。
せっかく離そうと心に決めたのに。こんな途方もない、何も生み出さない想いからグレイを解放しようと思ったのに。そんな事を言われたら。
「何も残さなくてもいい」
黙って聞いていたグレイが、口を開く。嗚咽を漏らしながら、ナツはそれを聞いていた。
「お前が俺を好きで、傍に居続けてくれるなら後は何もいらない」
「……でも、」
心に染み渡るその言葉に、過去のある情景が脳裏を過ぎる。きっとグレイは覚えていないかもしれないが、ナツの記憶にはそれだけが切り取られたように色濃く残っていた。
そしてそれこそが、ナツがグレイと別れた理由だった。
「お前、家族が欲しいんじゃねーのかよッ……」
グレイが息をのむのが聞こえた。
一瞬訪れた沈黙が肯定を示していて、ああやっぱり、とナツは目を伏せて自嘲する。
「……ああ、欲しいよ」
先ほどとは正反対の言葉に、ナツはふと笑って遠くを見つめた。
グレイは時折、街中を歩く子連れの親子を物欲しげに見つめる時があった。
今では大分昔の事だが、デリオラの一件でグレイの過去を知って以来、彼が家族というものに憧憬を抱いているのだとナツは気付いた。幼いころに両親を失い、長い事本当の家族というものがいなかったことが起因しているのだろう。ギルドの仲間も家族という括りに入っているのだろうが、やはり血の繋がったそれとはまた別なのだ。
ナツは本当の両親というものを知らないから、グレイの事をすべて理解する事はできない。だが、願いを叶えるためには自分は離れた方がいいと、それだけは分かっていた。
もう、いいだろう。
解放して欲しい。これ以上、惨めな想いをしたくない。
「でもな」
グレイの声が大きく響く。それが、手を離そうとしていたナツを止めた。
「その家族に―――お前がいなきゃ意味ねーんだよ……!」
「…………!」
「頼むから……俺から逃げようとするな……ッ」
ナツは目を見開いた。
(ああ、なんだ……俺は……)
自分はただ、逃げたかっただけだ。
グレイは家族に憧れているのだと知って、怖くなった。幸せになってほしいなんて、建前で……本当は―――。
「……家族が、俺でもいいのか?」
「ああ。お前がいいんだ」
他の誰でもなく、お前が―――と本心から告げられているだろう言葉。
「俺、本当は結婚なんてなくなればいいって思ってた……!そんなこと思う、俺でもいいのか?」
「……そう思ってくれてたなら、逆に嬉しい。嫉妬してくれたんだろ?」
「――……っ」
喜色を滲ませた声が、それが本当のことだとまっすぐに伝えてくる。
ナツはグレイの腕を解いて正面から抱きついた。
背中に手を回せば、グレイが頬を緩ませたのがなんとなく分かる。そっと抱き返してくれた腕はナツの背中を抱きすくめるようにしっかりと回されていた。
暖かい――久しぶりに全身で感じるグレイの体温は、昔と何も変わっていない。
ナツは、嗚咽を漏らしながら何度もごめんと呟いた。
グレイはナツの背を叩き、それがまるで幼児をあやす様でおかしく思えた。
「愛してる、ナツ」
3年前の告白がダブる。
あの時は酷い言葉を返してしまったが、今度こそは本心から告げよう。
「俺も、愛してる」