FT長編&シリーズ

□伝わる温もり
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※元拍手文






雨の中、ゴミ捨て場に捨てられていた仔犬は酷く衰弱していた。

急いで動物病院に駆け込んだ先で言われたのは、もう少しで死んでしまっていたということと、健康を取り戻させる為には暫く入院させることが必要だということ。

確かに、この調子から健康を取り戻させるには専門の知識を持った医者にしかできない。びしょ濡れだからと言い訳できないくらい仔犬は痩せ細り、呼吸も荒かった。個人の力ではどうしようもないくらい弱っているのは誰の目からみても明らかだ。絶対に助けてくれと言い、ナツは仔犬を任せる事に決めた。

それから学校が終わる度にナツは動物病院へと通い詰めた。土日はずっと病院にいることもあった。ケージの中で眠っている仔犬が目を覚まさないかと今か今かと待ちわびる日々。そんな一人と一匹の微笑ましい光景が、小さな病院の中で名物になっていた。


ようやく仔犬が目を覚ました時には、ナツは勿論の事、今まで見守っていた院内の人々も大喜びしたほどだ。


腕の中に収まった小さな仔犬に優しい笑みを向けて、以前と違う柔らかな身体を撫でる。この時のナツは、これから仔犬と共に過ごす時間に淡い期待を寄せていた。



***



「グレイ、飯だぞー」


仔犬はグレイと名付けた。

いつもの決まった時間に、ナツはグレイ専用の銀の皿にミルクと一般よりも値段の張るドッグフードを入れてやる。グレイは意外と味にうるさい様で、安いドッグフードは食べてくれない。以前栄養失調だった事もあり、ナツも食事に関してだけは妥協していた。食べてくれないと、またあんな弱々しい姿になってしまうと思ったからだ。

呼び掛けに気づいた黒い塊が離れた場所からやってくる。足元に来ると下に置かれた皿とナツを一瞥し、淡々と口をつけ始めた。
そんな様子に軽い溜息を吐かずにはいられなかった。

そんな時、玄関からインターホンの軽快な音が聞こえる。ナツはやっと来たかと言う思いと、来てしまったと言う複雑な感情で足を運んだ。扉を開くと、そこには少し大きめのピンク色のケージを持ったルーシィが立っていた。

一言二言交わし、ナツはルーシィをリビングまで案内する。


「本当にいいの?」

「んー……おう、もうしょうがねーよ。グレイの為だしな」

「あんた、猫にはすぐに懐かれるのにね。うちのロキが懐く位だし。犬は駄目なのかしら」


ロキはルーシィが飼っている猫だった。女の子にはすぐに懐くが、男は大嫌いと言う難しい性格をしている。けれどどうしてか自分にはすぐに懐いてきた。


「わかんね。でも犬と接したことあんまねーから、そうなのかもな」


思えば周りにいた動物は猫ばかりだ。実家でも猫を飼っているし、その近くに住んでいる兄妹同然に育った幼馴染達の家も猫を飼っている。確かにその猫達には懐かれていたと思う。

未だ足元で飯を食べているグレイは、こちらをちらりとも見ない。視線を変えたのはルーシィがリビングに上がってきた時くらいだ。その様子にもう一度溜息を吐く。


「じゃあ、この子貰っていくわね」

「ああ。大事にしてやってくれよな」


グレイがいなくなってしまう。それは自分で決めた事だが、寂しさを感じずにはいられなかった。

どうやら自分はグレイに嫌われているようで、いつも触れようとするたびに噛みつかれそうになったり、低く唸られたりする。飼う事を決めたのは自分で、世話をしたのも自分。だから嫌われていても最後まで面倒を見る気でいた。いつかきっと心を開いてくれると信じて。

けれどグレイはどうしても懐いてはくれなくて、ルーシィに引き渡すという決断をしたのだ。このまま自分が一緒にいてもグレイにとってはストレスになるだろうし、かえって具合を悪くさせてしまうかもしれないから。父のイグニールに面倒を見てもらおうとも思ったが、その前にルーシィが引き取るといってくれた。

幸いルーシィの家は広いし、猫がいるとしてもあんな広い家では遭遇する事もあまりないだろう。広い庭で元気に遊べた方がいいに違いない。それに、ナツが住んでいるマンションからルーシィの家は歩いて行ける程の距離だ。気になった時にすぐに遊びに行けるから、引き取ってくれると言ってくれたときは嬉しかった。


「グレイ、今日からルーシィが……って、あれ?」


紹介をしようと下に視線を向ければ、そこには空になった餌箱だけが放置されていて、肝心のグレイが見当たらない。辺りを見渡してみても、それらしい影はなかった。


「あれ?何処に行ったのかしら」

「またあいつは――いっつもふらっとどっかに行っちまうんだよな」

「猫見たいな性格してるのね」


確かに、とナツは乾いた笑みを浮かべた。本当に気まぐれで、いると思ったら何処かに消えてしまっていたり、機嫌が悪くなると悪戯しまくったりと厄介な事この上ない。

まあ何処かにいるだろうと高を括って、とりあえず玄関先へと足を向けた。

靴箱の下を覗き込んだ時、ルーシィが悲鳴を上げた。


「私のミュール!」

「げ」


頬を両手で挟んで、ルーシィが青くなっている。その視線の先にはボロボロになった靴があった。勿論最初からそんな状態であるはずがない。足首に巻かれる筈のリボンはボロボロに引きちぎれ、ヒールにも噛み痕が付いていた。エナメル部分は引っかいた様な傷が盛大についている。


「わり、グレイの奴が悪戯したのかも」


というか傷跡の具合からしてそうとしか考えられない。


「はあ……まあいいわ。そろそろ買い替え時だと思ってたし」


グレイの所為だと分かると、がくっと肩を落とした。元々動物好きのルーシィはどうしても動物には甘くなってしまうのだ。


「ねえ、思ったんだけど。あの子、ナツと一緒にいたいんじゃないかな」

「え?」


ルーシィがぽつりとつぶやいた言葉に、ナツは目を丸くした。


「だって私の靴をこんなにしちゃうってことは、連れてかれる事が分かったからじゃない?きっとナツと一緒にいたいのよ」


グレイが自分と一緒にいたいと思っている。

その言葉をもう一度頭の中で繰り返してみる。それはただの予想でしかないけれど、何か胸の中でじんわりと温かいものが滲み出てくるような気がした。

本当にグレイはそう思ってくれているのだろうか。


そうだとしたなら。


「ごめんルーシィ。俺、もうちょっとグレイと一緒にいてみたい」


気づけばそんな事を口にしていた。




***




「ごめんなグレイ。もう家から出そうなんてしないからな」


ルーシィが帰っていった後、ひょっこりと顔をのぞかせたグレイ。足元で大人しくしているグレイに恐る恐る手を伸ばせば、いつもすり抜けられていたのに今日は大人しくしていた。ふわりと触り心地のいい感触が手を伝う。


「グレイ……」


病院で撫でたとき以来の感触だった。言い様のない感動がナツの中に溢れて止まらない。

これからもっとグレイと仲良くなりたいと、諦めかけていた心がまた芽吹いていく。まだまだ広いけれど、ようやく少しだけ縮まってくれた距離。胸ががぎゅうっとなる位嬉しくて、ナツの目にはうっすらと涙が滲んでいた。





END














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