FT短編
□もう少し甘えて
1ページ/1ページ
「ナツ、起きろ」
まどろむ意識の中で、耳障りのいい声が聞こえてくる。だんだんと意識が浮上して、うっすらと目を開いた。
「……グレイ?」
自分を覗き込む兄の姿が目に映って確認するように名前を呟くと、グレイは頬を緩ませた。
「ほら、学校遅れんぞ」
「んー……」
目を擦りながら、まだ眠いのを我慢して起き上がる。しかし、意識は温い布団の中に戻りたいと覚醒を邪魔していた。
何もない場所を見ながら、今にも再び夢の世界に旅立とうとしている意識が、不意に近づいてきたグレイの顔を捉える。
「………ッ!」
「早く支度しろよ」
にやり意地悪く笑いながら、グレイはナツの部屋を出て行った。
残されたナツは、触れられた唇を手で押さえながら、恥ずかしくて身悶えそうになるのを必死に堪えていた。兄の思惑通り、一気に血が上った頭は朝からフル回転している。
最近兄から、兄兼恋人になったグレイは、度々こういったことを仕掛けてくるから心臓に悪い。毎度のことに、こちらの身にもなってほかった。
混乱していた頭も、だいぶ落ち着いてくる。準備もしないといけないし、ついでにグレイに文句の一つでも言ってやろうと、ベッドから立ち上がった。
「……?」
一瞬、ふらりと視界が揺れる。
しかしそれは本当に一瞬の事で、気のせいかとあまり気にも留めずにそのまま部屋から出ることにした。
***
2限目の終礼が鳴るのを聞いて、ナツは力なく机にとっ伏した。
(なんか――やっぱりぐらぐらす、る?)
眩暈が収まる気配はない。
教室が揺れているように感じるし、人の声が遠くに聞こえる。気の所為か頭痛までしてきた。
こういうのを具合が悪い、というのだろうか。
(ぁー……なんだっけ、前にもこんなことあった気がする)
いつだっけ、と考えているうちに身体がだんだん重くなっていく。
耳元で誰かに呼ばれるような声がしたが、返事はちゃんとできていただろうか。遠のいていく意識の中、ガジルや他のクラスメート達の顔が見えた気がするが、それを認識する前に、視界がフェードアウトした。
***
夢を見た。
小さなグレイが泣きそうになりながら、自分を見ている夢だ。
『ナツ』
身体が熱くて、寒くて、気持ち悪くてたまらない。けど、そんなことよりもグレイがそんな悲しそうな顔をしている方が辛かった。
『気付けなくて、ごめんな』
違う、と言いたくても口から出るのはヒューヒューと空気が漏れるような音だけで、言葉に出せなかった。それがもどかしくて仕方なかったのをよく覚えてる。
腕にチューブが通されて、それが液体の入った透明な袋に繋がっている。気持ち悪いぐらいに白いその部屋は、余計に具合が悪くなりそうで嫌だった。
初めてグレイが泣いた所だったから、今でもそこは大嫌いな場所だった。
***
額に冷たいものを感じて、ナツは目を覚ました。
うっすらと見えた天井はナツの部屋のものだった。暫らくぼうっとしていたが、少し経つと意識がはっきりしてきて、ばっと飛び起きた。しかし、上体を起こした瞬間、眩暈と激しい頭痛に襲われて再びベッドに沈んでしまう。
「いっ……」
「起きたか」
思わず片手で頭を押さえる。ずきずきと頭に響く痛みが不快だ。聞こえた声の方にゆっくり視線をやれば、ベッドの横に座っているグレイと目が合った。
「大人しく寝てろ」
「グレイ、俺……」
なんで家に帰ってるのか、とか聞きたい事は色々あったのに呼吸するのが辛くて声に出せない。それを察したのか、枕を位置をずらしてくれた。
その手つきは優しかったけど、どこかピリピリとした雰囲気にナツは不思議に思う。
この様子だと、もしかしてグレイは学校まで迎えに来てくれたのかもしれない。迷惑をかけたから怒っているのだろうか。そう思うと、熱で朦朧としていることも相まって、気分が重たくなった。
「悪い、迷惑だったよな……怒ってるか?」
こんなことなら朝に眩暈がしたことを最初から言っておけばよかった。今更後悔しても遅いが、そう思わずにはいられない。
グレイは気落ちしていることに気付いたのか、ふ、と笑ってナツの頭を撫でた。
「別に怒ってねーよ。自分が情けないだけだ」
心地いい感触に目を閉じて、グレイの言葉に耳を傾ける。
「お前、嘘は下手なくせに誤魔化すのは得意だってこと忘れてた」
「?……意味わかんね」
「いいんだよ、俺がわかってれば」
困ったように笑った。けれど、その笑顔が何処となく悲しそうで、ナツは胸の奥が締め付けられるような気がした。
「グレイも具合悪いのか?」
見当違いな事を言っているのは分かっていたが、熱のある頭では深く考える事はできない。けれど、自分よりもグレイの方が辛そうに見えたから、そんな言葉が漏れてしまった。
そんなナツに、呆気にとられたように目を丸くさせたグレイは、次には噴き出して笑い始めた。失礼な。
「くっ、はははッ!……ッ悪い。そんな拗ねるなよ」
そんなことを笑いながら言われても、逆効果だ。ナツはむ、と子供の様に頬を膨らませてグレイに背を向けて枕に顔を沈めた。
「……小さいころのこと覚えてるか?お前が入院した時あったろ」
笑っていたのを止めて、まるで昔話をするようにグレイは呟く。ナツは壁の方を向いたままその話に聞き耳を立てていた。
「あんときもお前、自分が具合悪いのにも気づかないで遊んでる最中に倒れてさ……俺しかその場にいなかったから、すげー慌てたんだ」
そういえばそうだった、と酷くおぼろげな記憶を辿る。ナツがはっきり覚えているのは病室いる時のことだけで、それ以外は靄がかかったように途切れているから、なぜ自分が病室にいたのかは分からなかった。
ああ、だからあの時のグレイはあんな顔をしてたのか。
夢に出てきた小さなグレイの悲しそうな表情の理由を、ようやく理解できて、胸につかえていたものが消えていくのを感じた。
「点滴打たれて、苦しそうなお前を見るたびに、死んじまうんじゃねーかって思ってた。もっと早く気づいていればって何度も思ったんだ……」
「……グレイ」
辛そうな声色に、泣いているんじゃないかと思ってグレイを見れば、涙こそ流していないが、苦しげに眉を寄せて視線を床に落としていた。
そんな視線に気付いたのか、グレイは自分を嘲笑するように笑い、ナツの熱い頬に触れてくる。冷たい手の温度が心地よくて、その手を挟み込むように自分の手を乗せた。
「暖かいな」
「……だって熱あるし」
「俺は、また気付けなかった……ごめんな」
その言葉に、ナツはゆっくり首を横に振った。
「グレイの所為じゃねーよ。俺が気付かないのが悪いんだ」
「そうだな、お前鈍いもんな」
「ひっで……」
切り返されたその言葉に、力なく笑う。
「鈍いよ。俺の気持ちにも気付かなかったんだからな」
「む」
「でも、自分の体調にまで気付かないのは、流石に勘弁してくれ。心臓に悪い」
言い返せなくて唸る。
「ごめんな、心配かけて」
こんなに気落ちしているなんて、自分はどれだけグレイに心配をかけたのだろう。グレイもグレイで少し心配しすぎだと思うのだが、心配させてしまった自分にも非があるのは承知していた。
「別にいい。でも一つだけ約束しろ」
「何を?」
「自分の体調を誤魔化すのはやめる事。体調だけじゃなくて気持ちもな。……もうちっと素直になってくれ」
「それは―――…………努力…する」
若干の沈黙のあと、顔を背けて呟く。そんなナツにグレイは不満げな顔をした。
「そーいうことは俺の目を見て言うべきじゃないか?」
「うー……わかったよ!気を付けるッ」
ただし、約束はできないと心に付け加えておく。それに気付いたのか気付いていないのか、まだ不満とでもいうような表情ではあったが、よし、という声が聞こえて一安心する。不意に意地の悪い笑みを浮かべると、思いついたように口を開いた。
「じゃあ練習しようぜ。とりあえず、そうだな………今何して欲しいか言えよ」
「……はあ?」
まだやるとも何とも行っていないのに、グレイの中ではもう決定事項のようだ。
「何でもやってやるよ。ただし、兄貴としてじゃなくて恋人として、な」
「なっ……」
恋人、と聞いて熱の所為で火照った頬が更に赤みを増す。まだそう言った色恋に免疫のないナツは、それだけで恥ずかしくなってしまう。先ほどまで兄としてしか見ていなかったグレイを、急に恋人として認識すると、落ち着かなくてぼふっと毛布を頭からかぶった。
「ば、ばか!急にんなこと言うなよ。無理!絶対やんねぇからなッ」
先ほどまでの雰囲気は何処へ消えたのか、ナツが意外と元気な事に安心したグレイは調子に乗って、布団をかぶった上から覆いかぶさってきた。
「ちょ、……ッ」
「何して欲しい?」
「ぅ……」
布越しではあるが、耳元に響く低音の声に肌が粟立った。こいつ絶対にワザとだ。
(暖かい……)
切り替えの激しいグレイに、少し憤りを覚えていたものの、布越しの体温が心地よく肌に伝わってくる。だんだん怒りが弱まっていくのを感じるが、今度はそれに対して苛立ちが沸いてくる。
時々免疫がないからと、グレイは自分で遊んでいる気がしていたのだ。どうにもからかわれている感が拭えなくて、頭を悩ませていたのはつい最近のことだ。
「じゃあ……キスしてくれ」
ほんの少しの仕返しの意味を込めて言ってやれば、グレイは目を見開いた。風邪を引いているから、うつると悪いし絶対にしてこないだろうと目論んでのことだ。ざまあみろと悪戯っぽく笑うと、今度はナツが目を見開くことになった。
ちゅ、と音を立てて離れていく唇にわなわなと震えが走る。
触れた個所に恐る恐る手を這わせれば、そこが唇である事に遅まきながら気がついて眩暈がした。
「うつるだろ!バカ!」
「お前が言ったんだろ。あとは何して欲しい?もっとしてやろうか」
何故か嬉しそうなグレイに、眩暈がする。寝ているのに、立ちくらみを起こしたように頭がくらくらした。
「……も、いい」
一気に疲れ果てて、力なく答えた。なんでこう自分はグレイに勝てないのだろう。だんだん上がってくる熱の所為で脳味噌が蕩けそうだ。もう何も考えたくない。
「もう寝るか?」
「ん…」
グレイの言葉に短く答えると、そうだ、熱に浮かされた頭がもうひとつ我儘を言ってみようかという気にさせた。
「グレイ……」
「ん?」
「手、繋いでて…ほしい」
沈みかけの意識の中で出た言葉は、紛れもなくナツの本心だった。ゆるゆるとシーツから出した手を、グレイは頬を緩ませ、ナツよりも低い体温を持つ手で握り返す。
徐々に蕩ける意識の中に、おやすみと心地よい声が聞こえてその安心感に身を委ねた。次からはほんの少し、素直になろう。そう思いながら。
END
遅くなりまして申し訳ありませんっ。宙様へ捧げます!クーリングオフ期間すぎても返品は全然OKです!