FT短編
□深界の牢獄
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連れてこられた牢獄の中は酷く冷たく嫌なニオイが充満していた。
当り前だ、囚人に絢爛豪華な部屋が与えられることなどない。冷たい格子に石畳の堅い床。光すら届かない地下。そこには人の声すらなかった。
罪人に絶望を送るためだけの籠の中は、入口を閉じてしまえば深い深い闇の中。孤独のニオイが満ちるそこは、なんて自分にふさわしいのだろうと、ジェラールは喉の奥でくつりと笑った。
『ジェラール!』
差し伸べられた手が、今でも瞼の裏に残っている。
罪深い自分に、それでも救いを与えてくれていようとした彼が、瞼を閉じればいつだってそこにいた。その手を掴む事はできなかった事が悔やまれる。悔やむ資格も恐らく自分にはないのだろう。
とても酷い事をしたというのは分かる。記憶のあったころのジェラールが、酷く冷酷で卑怯で残忍な人間であったことも。
しかし、覚えていない事を償うなんて、到底無理な話なのだ。記憶のない人間が悔やんでも、そんなことは何の償いにもなりはしない。なぜなら、理解はできても自覚はできないのだから。そんな人間が何をやったところで、どうにもならない。
罪を償いたいなんて、そんなものは建前でしかない。大人しく捕縛されたのは、本当に自分勝手な理由からだった。
瞼の裏に今も鮮やかに残る、桜色。
ナツ。
ジェラールは、目を閉じて暗く閉ざされた中に一つだけ光を放つ存在に思いを馳せた。名前を聞いた時、それはジェラールの中に一つの感情を呼び起こした。それが合図だとでも言う様に。
身体の奥底からゾクリと這いあがってきた何か。それは異様としか言えない感情だ。
澄み切った空のような彼を、這い蹲らせて、ドロドロに汚して、許しを乞わせて、彼の瞳から光を奪ってしまいたいだなんて。これを異常と言わずどう言えばいいのか。
ドロリとしたそれは、確実にジェラールの感情を蝕んでいった。それが、記憶のある頃の自分のものであると気付いたのは、実際にナツと対峙した時。深く募る、甘く苦しいこの感情をどう表現すればいい。
もし仮に、記憶が戻ったとして、その時自分はいったいどうしてしまうのだろうか。
冷徹で、残忍で、狂気を孕んだ自分が、ナツに何をしてしまうのか。
ナツにこんな淀んだ感情を向けている自分が、もし、記憶を取り戻したりしたら、何をしてしまうのだろうか。
彼を前にして甘く澱んだ憎執を滾らせる俺には、酸素すら死んでいく深界の牢獄がふさわしいのだ。
END
title/ヨルグのために