FT短編2

□嘘は箱に詰めて2
1ページ/1ページ







鈍色の空の下、こんなにも鮮やかな桜色を見逃すことなど出来る筈がなかった。

グレイは目を見開くと、それが誰なのか瞬時に理解しすぐに駆け寄った。


「ナツ……?」


様々な感情のまま叫びそうになった名は、足音に気付いて顔を上げたナツによって酷く弱々しくなった。顔も濡れてしまっていて分からないが、グレイには泣いている様に見えたのだ。

こんな所で何をしているんだと、言いたい事聞きたい事は沢山あった。それを問いただす前に、沸き上がる感情から衝動的に細い腕を掴み、彼女の眼が驚きに見開かれることも構わずに力強く引っぱり上げた。反動で自然と立ち上がった彼女は全身に雨を受けて制服から水が滴り落ちている。転げ落ちている傘を拾い、ナツの戸惑いの声になど耳も貸さずそのまま強引に彼女の手を引いて歩き、やがて見えてきた自宅のドアを開け、そのまま中に上がり込みナツを浴室へおしこんだ。


「なにすんだ!」


扉の向こう側から、ばんと叩く大きな音。扉を押さえつける背中に振動が伝わってくる。


「いいから風呂にでも入ってろ!」

「は、ぁ!?何言ってんだっ俺は帰る!」


扉一枚隔てた向こう側から、ナツの声がダイレクトに耳に伝わる。


「んなずぶ濡れのまま帰せるか!タオルは後で持ってきてやるから早く入れっつの!」

「……っ、」


納得がいかないとでも言う様な間。扉の前から梃子でもどかないというグレイの意思を感じたのだろう、諦めた様な溜息が聞こえた。

次いでシュルリと紐解かれた制服のリボンの音を耳が拾う。


「……タオルの他に服も貸せよ。あと、覗いたらぶん殴るからな」

「だ、誰がお前みたいな幼稚体系覗くか!」

「……!!」


扉の向こうの空気が揺らいだ気がした。は、と自分が口にした事を頭の中で反復し、マズイと顔が引きつる。

扉を蹴破られるだろうか、そうしたらグレイは床と熱い口付けをかわさなくてはならなくなる。思わず身構えるが、いつまでたっても予測した衝撃が襲ってくる事はない。


「……ナツ?」


そっと呼びかけると、パタンと浴室の扉の閉まる音が聞こえ、強張っていた肩から力を抜いた。


「なんなんだ……」


調子が出ない。

いつもだったら予測した通りの反応が返ってくるはずなのに、今日はやはり様子がおかしい。

グレイはズボンのポケットに手を触れる。布の奥に感じる僅かに堅い感触。先ほど拾ったそれが、ナツの不調と関係があるのだろうか。


(そんなに大事なモンなのか?)


雨の中蹲るナツは、泣いているのが勘違いだったとしても、気落ちしているのが目に見えて分かった。いつも周囲を明るく照らすような彼女をあんなにも苦しめる原因を考えると、グレイもまた胸を締め付けられるような苦しみに襲われる。

ナツが苦しいと自分も苦しいなんて、もう否定するまでもないのだろう。

ナツの事をこんなにも恋しく想っている。
苦しめるすべての事から解放してやりたいと、腕の中に囲って全部守ってやりたいのだと、自分がそんな風に他人を想うだなんて。


(好きだ……)


溢れる気持ちを心の中で吐き出して、グレイは扉に背を押しつけながらずるずると座り込み、頭を抱えた。




***




ナツが脱衣所から出てきてすぐに、グレイは自室へ通した。

別にリビングでも良かったのだが、そうするとナツはすぐにでも帰ると言いだしそうで、玄関からなるべく遠ざけたかったのだ。


「結構片付いてんだな」


ナツを自室に通すと感心したように言われ、まぁな、と返す。

ナツがシャワーを浴びている間に大急ぎで片付けたとは言えない。元々片付いている方だったのは否定しないが、やはり見られたくないものの一つや二つはあった。

つぅっと滴が首筋を伝っているのがやけに目につく。うっすらと上気している肌を見てドキリと心臓が疼いた。


「ちゃんと髪拭けよ」

「ああ、わりぃ」


肩に掛けたタオルで襟足を軽く拭きながら床に座る。貸したのは自分とはいえ、ダボダボのTシャツから覗く白くて細い腕が目に毒だ。横から見たら、胸が見えるんじゃないかなんて思ってごくりと喉が鳴る。

直視する視線に気づいたのかナツと目が合って、反射的に逸らした。不自然に思われただろうか。ナツはそれほど気にしてはいないのだが、グレイは気が落ち付かなくて仕方なかった。

何とか自然に誤魔化したくて、ナツからタオルを奪うとそのまま頭に被せた。


「ぅわっ何すんだっ」

「拭いてやるから大人しくしてろっ」


ごしごしと乱暴とも言える手付きで髪を拭う。僅かに抵抗があったが、諦めたのか途中で大人しくなる。タオルの下で大人しく目を瞑るナツを見て、ようやくグレイも落ち付いてきた。


「なんであんな所にいたんだよ」


部屋の中にグレイの声が静かに響く。
ずぶぬれでしゃがみ込むナツは痛々しくて見ていられなかった。内情に踏み込むことにほんの少し躊躇したが、このまま何も聞かずに帰すことはできなかった。


「……別に、どうでもいいだろ」


僅かな沈黙の後に呟かれたのは、踏みこむ事を許さないという拒絶の言葉。これがもし仲のいいルーシィだったなら、ナツは大人しく理由を話したのだろうか。女と男を比べることの無意味さは良く分かっていたが、そう思うと沸き上がる悔しさはどうしようもなかった。


「……どうでもよくねーよ」

「うるせぇなぁっ。そう言う気分だったんだよ!」


言いながら、頭の上に置いていた手を払い落される。
明らかな拒絶だった。


「このっ、」


むかむかと苛立ちが沸いてきて、頭に乗ったままのタオルを退けようとしていたナツの手首を掴み、引きよせた。バランスを崩したナツはそのままグレイの腕の中に引きこまれ、その拍子にタオルが床に落ちる。

見開かれた目。

息が掛かるほど近くで見たナツの目元が、ほんのりと赤く腫れぼったくなっていた。


「泣いてただろうがっ」


この雨の中、たった一人で凍えるように腕を抱え込んでいた。


「泣いてねぇ、つか離せよ!」

「泣いてた」


腕の中から逃れようと胸を手が押しやる。しかしそれは酷く弱々しく、グレイにとって封じるのは容易いものだった。


「何だよ、グレイのくせに……」


抵抗する気力がないのかもしれない。弱々しく胸を押していた手にはもう殆ど力など入っていない。次第に諦めたように落ちていく腕は、そのままナツの心情を示したようだった。


「――優しくすんな……」


温もりが恋しい子猫の様に身を預けてくる。

ナツはこんなにも弱々しかっただろうか。
いつも食ってかかってくるナツは、明るくて元気で、それでいてグレイにとって酷く眩しい存在だった。そんな所が気に食わないという事もあった――いや、その苛立ちはナツに惹かれているのを認めたくない自分自身に向けてのものだったのだろう。

時計の秒針の音がやけに耳に入る。


「探し物してたんだ……でも、見つかんなくて」


暫くの沈黙の後、ぽつりと呟かれた。


「大事なもんだったのか?」


微かに頷く。伏せられた目は遠い昔を思い出して懐かしく思っているようだった。


「ジェラールが、昔くれた髪留め」


やっぱりそうか。
ポケットの中にある髪留めがやけに存在を主張している。


「何処にもなくて、」


その内に雨の中探している自分がどんどん惨めになってきて、涙が込み上げてきたのだと言う。


「くだらねぇだろ?だから言いたくなかったんだよ、」


弱々しく笑うその姿に、グレイは唇を噛みしめた。


「……くだらなくなんかねぇよ」


くだらなくなどない。


「生徒会長の事好きなんだな、」

「……、わりぃかよ。笑えばいいだろ釣りあわねぇって」

「わらわねぇよ」


釣り合わないなんて思えなかった。以前見た光景が頭の何こびりついて離れない。二人でいたあの時の光景は、言い様のないくらい似合っていたから。


「泣きたいときは泣けばいいんだ、場所くらい提供してやる」

「なんだそれ、」


小さく鼻のすする音が聞こえて、目の端から涙が零れ落ちていた。そっと胸にすり寄る感触が愛おしくて、グレイは抱きしめる腕に力を込めた。

大丈夫だなんて言わない。充分につり合うだなんて優しい言葉はかけない。そんな狭量な自分を醜いと思いながらも、ナツの気持ちがなくなってしまえばいいと心の底から思った。



落ち着いたナツを家に帰してから、グレイはずっとポケットにしまっていたものを取り出した。

渡すことなどできなかった。

この髪止めの様にナツの想いも朽ち果ててしまえばいい、そして自分を好きになってほしい。

グレイは自分が身につける装飾品の箱の中にそれを仕舞った。

シルバーアクセサリーの箱の中に入った唯一つ異質なそれは、純粋な想いに浮かぶ醜い小さな嘘。









END


多分続きます^^



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ