FT短編2
□文字にできない想い
1ページ/1ページ
文字の羅列がナツの頭を上下左右に飛び交う。目から教材の文字が、耳からエルザの言葉が入って来て、終いには「あれ?これってなんの記号?」と思う位にナツの頭を混乱させていた。すでに文字の羅列が線と線の集合体にしか見えない。
「エルザー休憩しよう、目ぇ回ってきたぁ」
「甘えるな!まだ一冊も終わってないぞ、休憩は10冊ごとにだと最初に言っただろう」
「うぅ……エルザのおにっあくまぁ!」
ギロリと大きな目で睨みつけられ、身体が縮まったような感覚に襲われる。ナツは眉を八の字にさせて、むすっとした顔を和らげることなく、諦めて教材に目を移した。
エルザに森まで引きずられ、自分の身長ほどにまで積み上げられた教材を見た瞬間ナツは気を失いかけた。切り株の前に座らせられてもうどれくらいの時間がたつだろう。この場所に連れてこられた時よりも太陽が大分西に移動しているのを見て、ナツは再び遠くなる意識を何とか繋ぎとめる。まだ一冊の半分ほどしか進んでいない。
「頭から湯気を発している暇があれば、言葉の一つでも覚えろ」
鬼だ。ここに鬼がいる。
エルザは第二のイグニールになると息巻いていたけれど、父ちゃんはもっと優しかった――そんな事を心の中で呟いてみるけれど、エルザに通じるはずがない。
言葉の意味を履き違えるたびにエルザの持つ竹刀が近くの木に叩きつけられ、小気味いい音が鳴り響く。いつ自分が打たれるのかという恐怖心でぐすぐす涙が溢れそうになりながらも、ナツはエルザの解説を聞きながら一生懸命本に目を通した。
言葉を覚えたいという気持ちはある。文字だってもっと書けるようになりたい。自分がバカにされるのが、まるで育ててくれたイグニールまでバカにされているようで悔しいからだ。
(父ちゃん。おれがんばるからなっ)
イグニールはドラゴンなのだ。自分はドラゴンの子なのだからエルザになんて負けるもんか、そう思いながらきゅっと口を結んだのだった。
***
解放されたのはもう日が沈む間際の事だった。夕日が木々の間に消える様の何と美しい事だろう。しかしナツの中では未だ文字が飛び交い、夕日の美しさなど感じる余裕はなかった。
ふらふらよたよたと酔っ払いさながらの危なっかしい足取りで自宅――もとい森の中にあるわらの家に戻ろうとする。
そんなときかさりと葉のなる音が聞こえて、弱り切った目で音の方を見ると、昼間バカにしてきたグレイがそこにいた。
「よ、よぉ」
あまりにも不自然な出現ではあったが、今のナツにそれを察する思考力は皆無だった。
「グレイぃ、こわかったぁッ」
ぼろっと涙腺が決壊してしまったかのように大粒の涙をこぼす。
ぎゅっと思い切り抱きついてグレイの首に腕を巻き付けた。
「な、な、ナツッ!?」
「うぅ〜、もう勉強やだぁ」
まだそんなに経ってない筈なのに、数年も会っていなかったかのような懐かしさに襲われて、ナツはぎゅうぎゅうと抱きつきながらグレイの腕の中で安堵のため息を吐く。あんな地獄の勉強の後だ。誰かに甘えたいという欲求が出てきても仕方がない。それが例え大嫌いなグレイだったとしても。
「〜〜っ」
背中の辺りで宙をさまよっていたグレイの手がそっと背中に回される。抱きしめられているという安心感でエルザの鬼講習によってすっかり強張っていたナツの身体から力が抜けていった。
抱きつかれているグレイが、顔を真っ赤にしながら戸惑っている事など露知らず、ナツは無邪気に微笑む。
「もうお前にバカにされたりしないんだからな!」
「そーかよ」
優しい声が耳に心地いい。
沢山字や言葉を覚えた。言葉が分からないからとグレイにバカにされることなんてもうない。対等でいられる。
「よくがんばったな」
よしよしと、子供をあやす様に頭を撫でられて、ナツはこくりと頷いた。イグニールと比べるとそれは小さい手だったけれど、温もりはそっくりで抵抗することなく身を任せた。
その日の夜、ナツはエルザにもらった練習用のスケッチブックに『イグニール』という文字を書いた。大好きな父の名前。それを見ると胸が暖かくなった。そして、ふと思いついたように、新しいページに『グレイ』と書き加える。
その時の想いをたった数文字の言葉に集約させるのはとても無理な話。ナツ自身それが何なのか分かっていなかった。
真っ白な紙に浮かぶ完成された文字を見て、ふわりと言い様のない想いに心満たされ、ナツはスケッチブックを抱きしめながら眠りに落ちた。
END