FT短編2
□さらば、不可侵の青よ
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騒がしいギルドの中心から外れて、エルザはカウンターの隅で久々に落ち着いた時間を過ごしていた。
ここ最近長期に渡ってクエストをこなしていた為か、ギルドの空気が少し懐かしくも感じる。それほどギルドを空けている期間が長かったと思えばそれも仕方のないことだろう。
ふと見渡してみると、ギルドにあの珍しい深い青がいないことに気付き、どこか安堵している自分。口に含んだ珈琲がいつもより僅かに苦かった。
彼がこのギルドに入ってから幾許かの時間が流れていた。
にもかかわらず、エルザが彼と顔を合わせたのは数える程度。仕事に出ているとはいえ、それほど顔を合わせないと言うのは珍しい事だった。それはエルザが故意に長く掛かりそうな仕事をもぎ取っていたからに他ならない。
何度もきちんと会おうとは思った。このままではいけないとも思った。けれど、会って顔を合わせてそれからどうすればいい。
そんなことが頭を何度も巡り、答えがでないままずっと先延ばしにしていた。楽園の塔の一件からはかなりの時間が経過している。しかし仲間たちのように、彼を受け入れ、談笑する自分が想像できないのだ。
幾年もの間積み重なったものは、それほど受け入れ難いものだった。
せめて想いが憎しみだけだったなら、昇華することもできたかもしれないというのに。
(私はどうすればいい……。このままずっと立ち止まったままでもいいのか?)
自分自身に問いかけても、その答えが返ってくる事はない。
こんなにもうじうじと悩み続けているのは、自分らしくないと分かってはいる。それなのに。
陶器のカップをソーサーの上に戻すとかちゃりと音が鳴る。それと同時にギルドの扉が揺れる軋みが耳に入り、無意識に視線を送る。
瞬間、ドキリと心音が乱れた。
カップに触れていた指先から温度がなくなっていく。
そこには彼が――ジェラールの姿があった。
頭の中が真っ白になり、ジェラールから目が離せずにいた。そんな時、深い青の後ろから見慣れた桜色が見えて極度の緊張に晒された身体から力が抜けていく。
(ナツとジェラール……何時の間にあんなに仲良くなったんだ)
ナツがジェラールに笑いかけると、ジェラールもまた優しく微笑む。その姿を仲睦まじいと言わずしてなんと表現すればいいのだろう。
(違う)
仲間同士で仲がいい、とは少し違う。何かと鈍いといわれる事が多いエルザだったが、この時ばかりは何かを感じずにはいられなかった。
(いや……そうか)
ジェラールがナツに向けるあの眼。
愛しむような、相手を想う優しいあの眼の意味をエルザは知っている。
(そうなんだな、ジェラール)
それはかつて、幼いころにエルザが好きだった眼だった。
「エルザ、少しいいか」
来ると思っていた。
先ほどまで視界にいれるだけで身体を震わせてしまったというのに、今は不思議と何も感じる事はなかった。
***
ギルドの裏手の方へと回り、二、三歩離れた距離でお互い向かい合う。離れている距離が、今の二人の心の距離の様でもあった。
「久しぶりだな」
ああ、とエルザは返事を返す。きっとジェラールはエルザがギルドを空けていた理由に気付いているのだろう。昔から察しのいい男だった。
「君には……いや、俺に関わった人々に償えきれない程の罪を犯してしまった」
言葉を失った。
今のジェラールは記憶を失っていた筈だ。人づてに聞いて、それについて口に出すならなんら不思議な事はないが、何処か他人がした事のように思ってしまうのは当然だろう。覚えがないのだから。
しかし、何処となくだが、まるで自分のしたことを覚えているように、ジェラールは口にしたように聞こえた。
「お前、まさか記憶が」
戻ったのだろうか。あのどす黒い記憶が。
しかし、エルザの考えに反してジェラールは首を横に振った。
「全部は思い出していない。夢の中で少しずつ断片的なものを見るんだ」
それはどれだけ辛いのだろうか。ジェラールが、エルザの知るままのジェラールなら、それを苦しいと思わない筈がない。こうしてエルザと直接対峙することもできるかどうか。
ギルドで、ナツに向けていた眼差しが蘇る。
「ナツに救われたんだな」
ああ、と肯定する声が聞こえて、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「あの子は私にとってもとても大事な子なんだ。大切にしないとただではおかんぞ」
それだけでよかった。
謝りもせず、許すとも言わず、ただそれだけで不思議と心は軽くなっていく。
(私たちは似た者同士だ)
だから、惹かれるものもおのずと似てくるのかもしれない。
(きっと私とジェラールでは幸せにはなれない)
どんなに時間がたっても、過去のことが頭から離れる事はないだろう。不幸が連鎖するばかりで、終わりは見えない。
だからこれでいい。
「ああ、必ず――」
浮かんだ表情にエルザの時はしばし止まった。
誓いを含んだ強い眼差し。それを見るのはもうどれくらいぶりだっただろうか。エルザが最も惹かれた、希望を捨てぬ強い眼だ。
(さようなら、私の―――)
去っていく背中と共に別れを告げたのは、心に残った最後の想い。