長編
□あなたのためにできること4
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ナツが目を覚まして一番に見たのは、よく見知った天井だった。
ぼうっと天井を見上げ、暫くして首だけを動かして辺りの様子をうかがう。するとキッチンのある方から濡れたタオルを持ったハッピーがふよふよと飛んできて、大きな目を更に丸く見開いた。
「ナツー!良かったぁ!やっと起きたようっ」
目を覚ましたナツを見て、ハッピーがタオルを放り投げて飛び込んでくる。それを軽く受け止めると幼児にするような優しい手つきでハッピーを抱きしめた。
「ご、めんな。心配、かけたか」
どうしてか声が枯れているようだ。うまく出せないのを何とか絞り出すと、ハッピーは涙を浮かべながら頷いた。大分心配をかけたらしい。もう一度謝ると頭を撫でて落ち付かせるように背中をさする。
「オイラ水持ってくるね。喉乾いたでしょ」
暫くして落ち付いたハッピーは、ずっと寝込んでいた主人の為にできることをしようと居心地のいい腕の中から抜け出した。
「おかゆも持ってきたよ。食べる?」
「おお、ハッピーが作ったのか?」
「ううん。スティングが作ってくれたんだ。ナツが起きたら何か食べられるようにって」
「スティング……」
名前を聞いた途端、怒涛のように記憶が溢れだしてくる。
触れる大きな手に悦楽を引き出され、惜しげもなくあられもない声を上げた。誰にも見せた事のない姿をすべて暴かれ、スティングを求め腰をくねらせて。
ああ。
収まらない熱に浮かされ、みっともなく助けを求めて、初めて絶頂に至った身体。
でも、スティングは優しかった。あんなみっともない姿を晒していたというのに彼は助けてくれた。
思い出した。全部。
「スティングはどこだ?」
すん、と鼻を鳴らすと部屋の中に少しだけ匂いが残っている。その残り香から今はいない事は分かっていたが、少し前までここにいたのは事実。
「あい、ナツが起きる少し前に出ていっちゃった。でもずっと看病手伝ってくれたんだよ」
「そっか」
あの後、家の方がゆっくり休めるだろうとスティングがあの宿屋からナツを抱えて家まで運んだらしい。しかし、いくら滅竜魔導士とはいえ、意識のない人間を抱えて移動するのは大変だったんじゃないだろうか。しかもナツは丸一日眠り続けていたらしく、その間スティングは一睡もせずナツを看病し続けたという。
随分とスティングに面倒を掛けてしまった。今度お礼を言わないとね、とハッピーは無邪気に笑う。その様子からあの宿屋で起こった事は何も知らないのだと分かり、ほっとした。
「あー……迷惑かけちまったなぁ」
「ナツの所為じゃないよ。あの変な依頼人が全部悪いんだ!」
「そりゃそうだけど、だけどなぁ。あー……」
あい、とハッピーに水を手渡され、こくこくと飲むと乾いた喉にすっと浸透していく。これで少しは掠れた声もマシになるだろう。サイドテーブルで湯気を立てている鍋を見て、腹から小気味のいい音が鳴った。
「食欲あるんだったら、もう大丈夫だね」
ハッピーは今度こそ本当に安心した顔をして、スティング作の粥をレンゲで掬ってナツの口元へと運んだ。熱に強いナツは冷ますことなくそれを口に含む。
「うめぇ、あったけー……」
久しぶりに口にする食事にお粥とは気がきく奴だなと感心する。うっすらと塩で味付けただけのシンプルなものだったけれど、今のナツには何よりのごちそうだ。ハッピーに粥を食べさせてもらうのは何だか立場が逆転したみたいでおかしかった。腹が満たされていく中でだんだんと頭が冴えてきて、あの出来事を鮮明に思い出してしまい、これからどうしようかと考える。
(もう一緒に仕事なんていけねぇよな)
あんなことがあってからでは、スティングも顔を合わせづらいだろう。だからきっとナツが目覚める前に出ていってしまったんだ、と勝手に推測する。ナツもどんな顔をして会えばいいのか正直分からなかった。
からんとレンゲが綺麗に片づけられた皿の上に転がる。
ごちそうさま、と手を合わせるとハッピーがそれを持ってキッチンへと飛んで行く。それを見届けると、ブランケットから足を出して寝台に腰掛ける。
「うおっ」
立ち上がろうとした身体は驚くほど気だるいうえ、膝に力入らず転びそうになった。何とかサイドテーブルに手をついて身体を支えたが、ここまで疲弊しているのは炎以外の魔法を摂取した時以来だ。薬の副作用だろうか、それとも。
(うあああ思い出すなオレ!)
寝ぼけていた時はやってしまったとしか思わなかったが、今になって複雑な感情がないまぜになってナツを襲う。
「ナツ?何ひとりで百面相してるの?」
「うっ!」
熱が顔に集中して、どきぃッっと心臓が大きく鳴った。
見つめてくるハッピーの澄んだ瞳が今は痛い。すごくイタイ。
「ふ、ふろ!風呂入ってくる!」
「あい、お湯はちゃんと沸いてるよー」
わたわたと落ち付きなくバスタオルを掴むと、ハッピーから逃げるように風呂場へ向かった。しかし風呂場でも問題が起き、ナツは脱衣所の鏡の前で混乱を極めていた。
(うわっ、うわっ、なんだこれ……ッ)
辛うじて悲鳴は上げなかったものの、己の裸体を直視しながら居た堪れなさに身体を抱えた。白い裸体に浮かぶ紅い鬱血は昨日の情事を物語っている。快楽を与えられ、だらしない声を上げる自分を熱い眼差しが貫いてこの痕を残したのだ。
ナツは慌てて風呂場に入ると、温度設定を一番低いところにひねって頭からかぶった。
「冷てえええ!」
火照りそうになった身体を冷水が気持ち程度だが静めてくれた。落ち着けと何度も復唱してようやっと冷静になってくる。
そもそもこんな女らしさの欠片もない自分に触れさせるなんて、とんでもなく可哀想な事をさせてしまった――そう思い至って今度は鉛でも降ってきたかのように心が沈みこむ。
なるべく自分の身体を見ないようにしながら湯船に浸かると、膝を抱えて座り込んだ。
これからどんな顔をしてスティングに会えばいいのだろう。もんもんとそればかりを考えながら、また太ももの間の痕を見つけてしまい居た堪れない思いをするのだった。