デスクトップカイト物語

□デスクトップカイト物語・その1
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デスクトップカイト物語・その1

初めまして、デスクトップ型VOCALOID-KAITOです。
僕はアンドロイド型のKAITOではなくデスクトップ型のKAITOなので、所謂普通のパソコンソフトです。
今日もマスターが帰ってくるのを、パソコンの中で待っています。僕はデスクトップに常に居て、今は草原の壁紙の上に寝転んでます。
作り物の空は、時間とかに関係なく青いままです。風が吹くこともなければ、鳥の声もしない。所詮壁紙なので、僕は一枚のJPEGファイルの上に寝転んでいるだけなんですね。
マスター、早く帰ってこないかな。マスターが帰ってきたら、早くパソコンを起動して欲しいです。そしていっぱいお喋りしたいです。今日は何をしたのか、何を話してくれるのか、今から楽しみです。
僕はデスクトップ型ですが、自立思考は出来ます。だから僕は自分の意思を持っています。例えプログラムだとしても、今の僕の気持ちは本物です。書き換え不可能な感情さえ僕の中には存在します。それが僕はとても嬉しいです。
僕に感情を教えてくれたのはマスターです。僕を買ってくれたのも、起動してくれたのも、色んなことを教えてくれたのも、歌を歌わせてくれたのも、全部マスターです。だから僕は、マスターが大好きです。
好きっていう感情を抱くのがマスターで、僕は幸せです。僕はマスターしかいりません。パソコンの中にはマスターが作った会社の資料や、マスターが好きなちょっとえっちな絵とかゲームとかも入ってます。でも、僕はそんなものには興味ありません。
マスターがいればいいんです。マスターとお話するのが僕の何よりの楽しみで、マスターとお話する時間が、僕はなによりも幸せなのです。これは何者にも変え難い、僕が作り出した僕だけの思いです。
だから、そんな思いを教えてくれたマスターが僕のマスターで、僕は本当に幸せ者です。
電源を切られたパソコンでは外の世界が分からなくて、動き続ける内部時計で僕はマスターがあと少しで帰ってくるということを知ります。
マスター、早く帰ってきてください。早く会いたいです。マスター、マスター。
毎日毎日、僕はいつも待ちくたびれてしまいます。いっそのことメールに乗ってマスターの会社に行こうかな、とも思ったりします。でもマスターはそんなこと望んでいないだろうし、マスターが困るなら僕はしたくないです。
僕は何もできないまま、それに何もしないまま、ただマスターを待っています。マスターと会ったら今日は何を話そう。そう考えると、待っている時間も少しは楽しいです。
デジタル時計が、7:35という数字を示した頃、僕の世界は急に明るくなりました。マスターが帰って来たみたいです。
画面の向こうで、まだスーツ姿のマスターが僕に微笑んでいました。僕は胸の辺りがポカポカしてきて、飛び起きると画面に向かって走りました。
「マスター!おかえりなさい!」
スピーカーから聞こえているだろう僕の声を聞いて、マスターはただいま、と言ってくれました。その声だけで、僕は嬉しくなります。
「今日もお疲れ様でした。お風呂沸かしておきましたよ」
「ああ、ありがとう。じゃあ風呂入ってこようかな。ちょっと待っててな」
「はい!」
マスターはそう言って、やっとスーツを脱ぎました。
家に帰ってきて、何をするよりもまずパソコンの電源を入れてくれたことが、僕に会いたいって思ってくれているみたいで嬉しいです。
今日も疲れて帰って来たマスターに、僕が出来ることは少ないです。ご飯を作ったり背中を流したりしてあげたいけれど、身体のない僕には無理だから、せめてお風呂くらいは沸かしておきます。これは回路から操作出来るので、僕にも出来る数少ないことの一つです。
僕に身体があったなら、マスターのために美味しいご飯を作って上げたり、洗濯物を洗って干したりして、マスターの負担を減らせると思うんですが……。
いつもそう思って、僕はなんでデスクトップ型なんだろう、と思います。どうして僕には身体がないんだろう、と。
マスターが僕を選んでくれたのは嬉しいけれど、大好きなマスターに触ることも出来なくて、そう思うと苦しくてエラーを起こしてしまいそうです。
マスター。僕、貴方のお役に立ちたいです。こんな僕を選んでくれたマスターの気持ちが分からなくて不安です。
マスターは、僕のことどう思ってるんでしょう。ただのお喋りするDTMソフトくらいにしか思っていないのでしょうか。
……駄目ですね。マスターを見ると、嬉しいけれど、その分自分に出来ないことを思って情けない気持ちになってしまいます。僕がこんなにじめじめしてたら、マスターだってうんざりしますよね。
気にすることはありません、だって、マスターが僕を選んで、手に取ってくれたことには変わりないのですから。
だって僕は、マスターのVOCALOIDなんですから。
それだけで、いいんですよね。

マスターはお風呂から上がってくると、濡れた髪を拭くのもそこそこに、栄養食品を齧りながらパソコンの前に座りました。
「カイト、元気だったか?」
「はい。マスターこそ、ちゃんと髪拭いてください。風邪、引かないでくださいね?」
だって僕は、マスターの看病をすることもできないんだから。
「はは、大丈夫だよ。俺は結構丈夫だからなー」
そう言って、マスターは笑うけれど。
でも、マスター。僕、マスターがちゃんとしたものを食べているところ、見たことありません。ちゃんと食べてますか?目の下の隈、酷くなってませんか?それに、少し痩せた気がします。本当に大丈夫ですか?マスター。
「なんだ、その目はー?心配してくれてんの?」
「それは、心配します。だって、マスターが苦しそうなところ、見たくないです」
僕がそう言うと、マスターは笑ったまま、マウスカーソルを動かして、僕の頭を撫でました。
「マスター?」
「ありがとな。でも、大丈夫だぞ。俺、昔から風邪とか引いたことないから」
「そうですか?……なら、いいんですけど」
マスターが動かす手のひらは、とっても優しくて、柔らかくて、マスターの手に撫でられたなら、こんな感じなのかなぁ、と思います。でも、マスターの手は、きっとこれよりも優しいんでしょう。
「あ、そーだ。昨日のご褒美」
「?」
右クリックでメニューを開いて、マスターは僕の頭上にアイスを一つ、出現させました。カップアイスが僕の手元に落ちてきます。
「わっ。え、ご褒美、ですか?」
昨日、といえば、マスターが僕の歌を完成させてくれた日です。
その、ご褒美、ですか?
「ん、昨日は頑張ってくれたからな。俺のカイトの歌、記念すべき1曲目。だからさ、ご褒美やるよ」
ニコニコと笑うマスターの笑顔を見上げて、僕はなんだか目がじんわりと熱くなってくる気がしました。
「おいおい、泣くなよ。これくらいで」
苦笑するマスターの声が聞こえても、僕は涙を止めることができませんでした。だって、マスターが、嬉しいことを言ってくださるから。
「そんなにアイスが嬉しかったのかー?」
「ちが、違いますっ」
「違うの?」
「……だって、マスター、俺のカイトって」
それに、昨日の歌を完成させてくれて、嬉しいのは僕も同じなのに。
マスターが、すごく嬉しそうにそう言うから。
「……ま、マスターも、ありがとうございます!」
精一杯、感謝の気持ちを込めたかったんです。僕が知っている言葉は少ないけれど、僕の気持ちを少しでも伝えることが出来たなら。
マスターはちょっと驚いた様子で、それから、僕の頭を撫でました。
「……うん、そっか。カイトにありがとうって言われちゃったー。ヤバイ、すごく嬉しいかも」
「僕も、嬉しいです」
「うん、そうだな。ありがとな、カイト」
「ありがとうございます、マスター」
画面の向こうとこちらで、互いに笑い合って。
もし、僕に身体があったなら、マスターに抱きつきたいです。マスターに一生懸命抱きついて、もっと感謝を表したいです。
でも、いいんです。
液晶の薄い壁一枚が凄く邪魔だと思うときもあるけど、それでも、マスターは優しいから。
大好きです、マスター。
「泣くな、って。もー」
マスターのカーソルが僕の涙を拭ってくれても、僕は嬉しくて、しばらく涙が止まりませんでした。

大好きなんです、マスター。


End.

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