デスクトップカイト物語

□デスクトップカイト物語・その4
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デスクトップカイト物語・その4

今日はマスターは何時に帰ってくるんでしょうか……退屈です。
今の時間はお昼の1時を少し回ったくらいです。マスターが帰ってくるまであと推定5時間はかかります。
マスターに会おうと思えば、いつでも会えるんですけど……メールに距離は関係ありませんから。ただ、そんなことをしてお仕事中のマスターに迷惑をかけるわけにはいきません。
僕が勝手にマスターの会社のパソコンに行ったって、邪魔になるだけでしょうし、マスターはきっと忙しいですから、相手をしてくれるわけでもないでしょう。
……でも、ちょっとだけなら、マスターを一目見るくらいなら、大丈夫なような。
マスターが仕事してるところを、ちょっと見るだけです。僕が画面に現れるわけでもないですし、見つからなければ大丈夫だと思います。
ただちょっと、パソコンの動作が重くなったりするかもしれませんが。それくらいなら、きっとバレないですよね。
ああ、でもダメです。もし見つかってしまったら、きっととても怒られます。怒ったマスターなんて見たことないけれど、きっととても怖いです。
怒鳴ったりするかもしれません。お話してくれなかったりするかもしれませんし、会おうともしてくれなかったりするかもしれません。
きっと無いと信じたいけれど、もしかしたらアンインストールされてしまうかもれしません。
そんなことになったらどうしましょう。だからダメです。いけません。
でも、会いたいです。早くマスターに会いたいです。マスターが早く帰ってきてくれたら嬉しいけれど、今日は定時までとスケジュールにちゃんと書いてあります。だからマスターが帰ってきてくれるのは、夕方か、残業がついたら夜中になってしまうと思います。
……………でも、やっぱりマスターに会いたいです。
少しだけなら、ダメでしょうか。メールに乗って、マスターの会社のパソコンに入って、それでマスターにちょっとだけ会って、すぐに帰ります。
それくらいなら、許されないでしょうか。マスターに僕の姿を見せることもありませんし、話しかけたりもしません。我慢します。
でもやっぱり、そんなことダメです。
ああでも、マスターに会いたいです。
迷って、迷って、でも僕はどうしてもマスターに会いたかったのです。
本当に、ちょっとだけですから。少しだけでいいんです、マスターに会いたいんです。だから、許してください。
心の中でそっとマスターに謝って、僕はメールソフトを立ち上げました。

マスターの会社のパソコンに無事にたどり着き、メールの封筒の中から移動します。
今の僕はVOCALOIDのソフトとして存在しているわけではなく、どちらかというとデスクトップアクセサリーに近いものになっています。
人格形成に必要なデータを積んだメールを受信し、途端に負荷が増えたマスターのパソコンの中は、ちょっと動きにくいです。
マスター、会社ではノートを使ってらっしゃるんですね。これじゃあ長く居るとフリーズしてしまいそうです。早くマスターを見つけて帰らないといけません。
そう思ってそっとフォルダから顔を出すと、マスターがとても近くで真剣な顔をしていて、パソコンよりも先に僕がフリーズしそうになりました。
マスターは丁度このノートで作業をしていたみたいです。ビックリしました……当然ですが、僕が見ていることにマスターは気づいていません。
カッコいいです、マスター。こんなに真面目な、キリッとした顔で頑張っていらっしゃったんですね。すごいです。カッコいいです。
これが惚れ直すっていうことなのでしょうか。マスターは表計算ソフトで何かのデータを作っていらっしゃるようでした。難しくて、僕にはよく分かりません。
「ちょっと、そこの」
「ひぇっ」
唐突に背後から声をかけられ、驚き慌てて振り返ると、このパソコンのOSが立っていました。
今の僕と同じような電子情報の塊で作られた、白くぼやけた姿のOSさんは、見た目ではよく分かりませんが、どうやら怒っているみたいです。
「誰ですか貴方は。勝手に入ってこられると困るんですけどー。何? ウィルス?」
「し、失敬な。僕はウィルスじゃないです、マスターのVOCALOIDです」
あらぬ疑いをかけられて心外に思い、画面の向こうのマスターを指差して説明します。するとOSさんは警戒したまま、あ、そうと頷きました。
「ウィルスじゃないならいいけど。っていうかさー、出てってくれない? 頭重くて仕方ないんだけど」
白い光の塊みたいなOSさんは、そう言って細い腕のようなもので頭らしき場所を支えました。
それは申し訳ないのですが、でも、まだ足りません。もっとマスターの傍にいたいです。
「あの、ごめんなさい。もうちょっとだけいさせてください」
「えー」
「お願いします」
多分OSさんにもよく見えていないだろうけれど、それでも深々と頭を下げると、OSさんは渋っていたようでしたが、なんとか許可をいただけました。
「まー、もう少しだけならいいけど。10分ね。それ超えたら頭が爆発しちゃいそう」
「分かりました。ありがとうございます」
良かったです、OSさんが優しい人で。お礼を言うと、OSさんは巡回してくる、と言ってどこかに行ってしまいました。
OSさんが行ってしまったのを見送って、改めてパソコンの中を見ると、CPUがフル稼働していました。これじゃあOSさんが怒ってしまうのも分かります。ごめんなさい。
それはそれとして、マスターに視線を戻します。
仕事してるマスターはやっぱりカッコいいです。たまに顔をしかめるのを見るとちょっと怖いと思いますが、でもそれもカッコいいです。
OSさんが決めた10分という短い時間でも、こうやって仕事をしているマスターを見れるなら嬉しいです。だからこそ、余計に短く感じてしまうところもありますが、それは仕方ないですね。だって僕はソフトですから、OSさんの命令には従わないといけません。
マスターとお話できないのは少し寂しいけれど、こうやって見ているだけでも幸せです。マスター、あと10分だけでも、パソコンの前から離れないでくださると嬉しいです。少しでも貴方の傍にいたいんです。
伝わるわけもありませんが、そう呟きます。その願いが伝わったのか分かりませんが、約束の10分の間、マスターはずっとパソコンの前にいました。
時間になってOSさんが戻ってきて、早く出て行ってくれと僕を急かします。本当にあっという間で、まだマスターの傍を離れたくないと名残惜しむ僕にもOSさんは容赦ないです。
「そんなワガママ通らないよ。これ以上アンタがここにいて、それでフリーズして困るのはユーザーなんだから。さっさと帰って」
「うぅ……………」
OSさんの言うことは尤もです。僕だってマスターの邪魔はしたくないです。マスターを困らせるのは嫌です。
何度もマスターを振り返りながら、仕方なくメールの封筒の中に入ります。OSさんはどうやら僕がちゃんと帰ってくれるのか心配らしく、見送ってくれました。
「あの……僕、そんな見張られなくても、帰りますよ?」
「いやー、なんか心配で。アンタ、なんかソフトらしくない気がするから」
「そうですか……」
「褒めてないからね」
「分かってますよ」
ちょっと嬉しかったですけど。
ソフトがソフトらしくないって言われて喜んでいるようじゃ、きっと全然ダメなんでしょうけど、仕方ないです。だって僕はマスターのことが好きなんですから。
ソフトだって誰かを好きになったら、らしくないことしたっていいじゃないですか。
ちゃんと帰る気ではあるんですけど、やっぱり最後までマスターを見ていたくて、つい画面の外を見ては渋ってしまいます。
もう少しだけ、あとちょっとだけ、と粘る僕に、とうとうOSさんが命令を出しました。
「あーもう、いいから早く帰って。ほら、バイバイ」
「え、あ、待って……!」
最後にもう一度だけ、と画面の外を見ると、マスターがいませんでした。あれ? と急いで見える範囲でマスターを探します。
マスター、どこですか? どこにいるんですか? 見えません。マスター、マスター?
封筒が閉じる瞬間、やっと見つけたマスターは、僕から見て画面の端、パソコンから少し離れたところにいました。
それを見て、今度こそフリーズしてしまいそうになります。
マスターは僕の知らない女の人と楽しそうにお喋りをしていて、とっても楽しそうな笑顔を浮かべていました。
その笑顔を見た瞬間、僕の中のどこかが壊れてしまうかと思いました。
だって、マスターのその笑顔、僕が見たことの無い笑顔だったんです。
マスター! とつい叫んでしまったときには、僕は家のパソコンに帰ってきていました。そのことに気づいて、徐々に胸の中が冷たくなっていきます。
封筒から移動する気力もないまま、今見たマスターの姿をリピートしてしまいます。
あんなに、楽しそうな笑顔、僕、見たことないです。
あれが会社にいるマスター? 僕の知らないマスター?
僕が知らない女の人と、親しげに楽しくお喋りする、僕の知らないマスター。
頭が沸騰しそうでした。なんで自分でもこんなに、と思うくらい、僕の中に激しくて強い気持ちが生まれます。
気が付いたら僕は、目の前が真っ暗になり、封筒の中で停止していました。
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