オリジナル
□優しい声
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薄くお化粧までしてもらって、バスルームを出ると、さっきの部屋とはまた別の部屋に通された。
食堂みたいで、真っ白なテーブルクロスがかけられた長いテーブルに、さっき見た人たちが並んでいる。
私の席はその端、そこにいる全員から顔が見える席になっているようだ。
そこにだけ、朝食の皿が用意されている。
すぐ傍に、さっきの黒髪の人が座っていた。
「私達はもう済ませてしまったから、君は朝食を食べてくれ」
その人がぶっきら棒に言ってからメイドに目配せすると、料理が運ばれてきた。
スクランブルエッグに、かりっと焼かれたベーコン、クリームスープ。
ほかほかと湯気の立つ朝食を前にして、私はひどく空腹なのに気付いた。
さっとナプキンを膝の上に載せて、私はパンを手に取った。
焼きたての香ばしいパンは、すごく食欲をそそる。
私は最低限のマナーは守ろうと気をつけながら、怒涛の勢いで食べ始めた。
スクランブルエッグを一度、スープを二度おかわりして、私の胃はようやく落ち着いた。
そして、食事の最中は気付かなかったのだが、同席している人全員が、コーヒーを飲んだり紅茶を飲んだりしつつも、じっと私から目をそらさないのが気になった。
落ち着かない。
「話を始めても、いいか」
隣の人が、相変わらずぶっきら棒な口調で言いながら、アンバーの瞳で私を見た。
私は無言で首を縦に振った。
「言いづらい事だが・・・君の両親は、一週間前に無くなった。ギャングが、屋敷に爆弾を投げ込んだらしい」
思考が、一瞬止まった。
冗談かと思って、少し笑いながらアンバーの瞳を見返したけど、どう頑張っても、それは冗談を言っている人の瞳には見えない。
ぐるぐるする。ぐらぐらする。
吐き気がした。
「火事が起こって、数人の使用人のほか、君の家族のうち、君だけが助かった。今日まで眠っていたんだ。勝手ですまないが、煙でやられていた目は、そこにいるドクターに手術してもらった」
そうか、あの包帯・・・。
唐突に、目の奥に、朱色が踊った。
うねっている。
踊って、踊って、踊り狂って、私の周りを囲いかけた。
足をすくませた私の手を、使用人が引っぱる。侍従の一人だ。
目がかすんで、前が見えない。見えない。
長机に並んでいるはずの顔が、見えない。
尻餅をついた。どうやら、椅子から落ちたらしい。
いや、それよりも、目だ。
ぼんやりとした輪郭しか、見えない。
ピントのずれた望遠鏡のようだ。
気持ちが悪い。車酔いよりも、もっとひどい。
胃の中のものを全て吐き出した。
それでも気分は一向によくならない。
黒い髪の輪郭が近づいて、私の顔に触れた。
赤い口らしきものが、何かを言う。
何故か、その瞬間、気持ち悪さは消えた。
どこか、懐かしい声。
私の・・・待っていた、声?
すう、と、意識が凪いだ。
私は泣いていた。
理不尽に両親を亡くして、突然独りぼっちになって、寂しくて、泣いていた。
顔を覆って、泣いていた。
こうすれば、何も見えない。
見えない。
見えない。
これ以上、悲しいことは、知らなくてすむ。
「どうしたんだ」
優しい声が、大きな手のひらが、私の頭を撫でた。
「怖いの、とても。寂しいの」
私が言うと、その人はそっと、蹲る私を抱き上げ、膝の上に乗せた。
あたたかい。
自然と、涙が止まった。
「大丈夫。私が居る。ずっと、君のそばに居る」
私の体にそっと手を回し、抱きしめる体。男の人だ。
私みたいな歳の女の子が、男の人に抱きしめられるなんて。
涙は出なかった。悲しみたいのに。
悲しいはずなのに、一滴だって出なかった。
大丈夫、大丈夫と、呪文のように囁く声につられて、私は目を覆っていた手をそうっと退けた。
灰色のスラックスを履いた足と、シャツを着た腕、それに、光の溢れた庭園が、見えた。
「きれい」
「よかった」
嬉しそうな声。
どこかで聞いた事があるような、そんな声だった。
いや、ほんとうに、どこかで聞いたのかもしれない。
すっかり忘れてしまっているだけかもしれない。
「ねえ、私、貴方とお話した事があったかしら」
「・・・ああ。昔、な」
ちょっと躊躇うように言った。困っているみたい。
頭を、胸に預ける。
男の人の顔は、見ようと思えば見られたけれど、なんとなく、見る気はしなかった。
私の行動に驚いたのか、今や私の背もたれになってくれている人は一瞬体を硬くして、すぐにまた緩めた。
「私、貴方のこと、好きみたい」
自然と口から出た言葉に、自分自身が驚いた。
だけど、それが本心である事は確かだった。
「・・・ああ」
私の背もたれが、そう言った。
そんな事、もうずっと前から知っていると言わんばかりのそれに、私は何故か安心した。
目を閉じた。
私の瞼に、柔らかい何かが触れる。
不快感はない。
特別胸が高鳴ったりもしない。
安心感。
「愛している」
「私もよ」
閉じた目を、開いた。
包み込むような優しい夢から、覚めた。
「起きたか」
目を覚ますと、今朝眠っていたベッドにいた。
ベッド脇には黒い髪の男の人が、椅子を持ってきて座っていた。
窓の外に見える空には分厚そうな雲がかかっている。
どうも、霧雨が降っているようだ。
「すまなかった」
「いいえ・・・」
私が起き上がろうとすると、
「吐いて、その上倒れたんだ。まだ起きるな」
と言って、私の肩をマットレスの上に戻して、布団をかけ直してくれた。
「やたらべたべたしてきたあの連中は、お前の両親の遺産を狙ってるんだ。お前を引き取れば、それが転がり込んでくると思っている」
私がじっとその顔を見つめると、それに気付いたその人は、ふっと笑った。
笑うと、急に顔が幼く見える。
その笑顔を見て、私は、ああ、と思った。 懐かしい顔。
「どうした?ああ、そうか、名乗ってなかったな」
「知ってるわ、私のロジャー」
驚いた顔をした、私の恋人。
「待っていてくれて、ありがとう」
私は笑う。彼は、今笑った。
「どういたしまして、私のナータ」
彼は昔と変わらぬ、優しい声で言った。
そして、私の頬にそっとキスをした。
彼の服から、懐かしい薔薇の香りが、微かにした。