世界に絶望するのは簡単だ。年頃の青年には殊更に容易なことだ。何気ないことに一喜一憂出来る未成年の絶望は、とても単純に生まれるものなのだ。













「古市くん、だよね」


不良と言い切るには爽やかで、一般人と言い切るには胡散臭い笑顔の先輩に声を掛けられた。何で一年校舎にいるんですか、と死んだ目で尋ねれば、買い物だよ、と答えられる。超能力でも使えるのだろうか、この万年気怠げな先輩は。


「ヤダなぁ、そんな嫌そうな顔しないでよ。せっかく可愛いのに勿体無…、あれ?」


常に楽しそう、というよりも常に他人を茶化す態度この上ない先輩の相手は面倒だが、石矢魔においてのヒエラルキーは明らかにオレに絶対服従を強いるので大人しく会話しておく。


「今日は男鹿ちゃんと一緒じゃないんだねぇ」


何の気もなく発せられた言葉に、心中に広がった苦みを呑み込んだ。おそらく表情は微動だにしていないに違いない。キツい状況であればある程、人間とは感情を上手くあらわせなくなるものだ。ましてや、オレはそういった隠し事が得意な方だった。


「いつも一緒ってわけじゃないですよ。男鹿はマイペースな上に、子連れですし」


一緒にいなくちゃ生きられないわけじゃない、という言葉を精一杯に和らげた台詞に、たった一年先輩の男は二、三度頷く。


「ん、そりゃそうか。古市くんだって男鹿ちゃんだってそれぞれ忙しいしね」


古市くんも一緒に買い物する、と尋ねられたのに断りをいれて見送った背中は、蹴りをくれてやりたい程には好かない背中になってしまった。何ともないはずの心が柔らかに歪んでいく。


「あら、男鹿辰巳の?」


いけ好かない背中を見送っていたオレの背中は高めの落ち着いた声に話し掛けられた。校内において、オレに話しかけてくる可能性のある女性は極々僅かな一部の教員を除けば決まりきっており、更に「男鹿辰巳」の名で呼ぶのはこの人しかいない。


「こんにちは。皆さん、お揃いで何処に行くんですか?」


邦枝葵、その人だ。彼女と共に視界に入った面々は既に見慣れている。特攻服ではなくなり、財布を入れる所がないのだろう。小さなポーチを持っている姿が制服姿であることと同じ位には新鮮だ。ちょっと購買に、と答えられ、一年校舎って面倒だ、と思ったのは口に出さないでおいた。

 
「もうお昼ですもんね。良ければ、ご一緒しませんか?」
「何でアンタなんかと」


石矢魔の女王の代わりにバッサリと切り捨てたのは幹部の先輩だ。たしか、寧々さんといった。気に食わないとばかりに睨み付けてくる寧々さんの忠誠心には頭が下がる思いだが、特に気の利いた対応も思い付かないのでやんわりと苦笑を浮かべるに留めた。すると漸く状況を察したらしい女王が寧々、と名を呼び窘める。やはり同じ不良とはいえ、統率のとれた烈怒帝瑠と男共では違うものだなぁ、と思っていたら、女王がはっとし、辺りを見回した。


「男鹿辰巳は?」
「、すみません」


咄嗟に出てきたのは、そんな言葉だった。あまりに場違いな言葉に舌打ちさえしそうになったが、怪訝な顔をする面々が直ぐに思考を冷やしてくれた。


「今日はアイツ子守り優先日で、まだ学校にも来てないみたいなんですよ。アイツには勿体無いですけど、女王が心配してたってきちんと伝えておきますね」


そんなんじゃないわよっ、勘違いしないでよね。ただ確認しただけよ、と何やらまくし立てると赤面して走り出した女王と、それを追う部下二名を笑顔を張り付けたまま見送った。













「オレ、お前がいなくちゃ生きられないのかも」
「そりゃ、そうだろ。今更オレの偉大さを知ったか」


縋ること等絶対にしたくない性分なのは今更で、揺らいだ心を叱咤せんばかりの気持ちを抑え、早々に家路についた。そんなオレを当たり前のように待ち構えていたのは本日不登校の馬鹿だった。来てしまったら引き返す男ではないと諦めて茶を飲ませて帰そうとしたが、どうにも寛ぎ始め、長居する雰囲気を醸し出している。
どうしても元に戻りたくて、その為にも独りにしてほしくて、らしくもない戯れ言を口にすれば、嬉しそうにする男鹿に怒りよりも悲しみが募る。口にしたその音の羅列は、戯れ言は戯れ言でも、ほんの少しの愚痴のような色が混じっていたことを知っていたからだ。どうやら自身の発する言葉にさえ責任が持てない程、オレは弱っているらしい。
他人に期待をして縋りつくような人間ではないはずのオレも、昔から目の前の男にだけは幾許かの希望を抱いてしまう。期待はしなくとも、浅はかな希望は抱いてしまう程度にはこの男の存在を許していた。そんなコイツでさえも「オレ」を見てくれて等いないんだなぁ、と改めて認識してしまったことが痛い。大人びた思考に置いてけぼりにされた精神の脆弱さが恨めしくて堪らない。解っていたくせに、と自身の愚かさを呪いながら平静を装う為に悪態を付く。


「誰が偉大なんだ、誰が」
「オレ」
「無理」
「シバくぞ」
「出来ねぇくせに」


んだと、コラ、と眼力を強めた男鹿の瞳を、睨み付けるように見つめ返した。


「偉大なんだよな?」


声は、少し固かった。男鹿の凶悪面が訝しげに歪む。
平静等装えるわけもなかった。年頃の青年にとって世界に絶望するのは簡単なことだ。何気ないことに一喜一憂出来る未成年の絶望は、とても単純に生まれるものなのだ。感情を隠すのが得意とはいえ、オレも人間の仔だった。年頃の、大した理由もなく絶望出来る一人のちっぽけな青年でしかなかった。
歩く極悪非道がたかだか一般人に怯んでいるのを眺めながら偉大なんじゃねぇのかよ、と毒吐く眼差しを真っ直ぐに男鹿に向けたまま、再度確認するように繰り返した。


「男鹿は偉大なんだよな?」
「、あぁ」


あっさりと肯定しながらも、不可解だと言わんばかりの男の胸倉を掴んだ。男は抵抗しなかった。


「なら、」


思いの外弱々しく洩れた己の声が口惜しかった。胸倉を掴んだ手が少し震え、力を込めすぎて白くなっているのが視界の内で煩わしかった。


「オレを救えよ」


叫び出したい程の哀しみ、が傷んでいた。それでも涙等出なかった。涙を流すにはあまりにも己が情けなくて出来なかった。だからおそらく、端から見れば僅かばかり機嫌の悪いだけの青年にしか見えないだろうオレの手は、不釣り合いに大きく震え出していた。


「お前と一緒にいないと存在さえも認められないオレを救ってみせろよ」


履き違えられた哀しみも傷みも、全て目の前の偉大な男のせいにした。ありきたりな若い絶望が芽吹いて、当然のようにオレを苦しめるから、全て手放す為に偉大な男に詰め寄った。
男は少しの沈黙の後に喃語を発して、困ったような間抜け面になった。


「なんかダメなのか、ソレ」

 
自称、偉大な男は馬鹿だった。ちっとも答えにならない答えを問い返す始末だった。


「ダメに決まってんじゃねぇか」
「なんで?」


自称、偉大な男は馬鹿だった。迷える仔羊の悩みには全く答えずに、傷を抉り兼ねない態度で応えた。一遍死んで馬鹿を直してこい、と呆れはしたが、愚かな絶望と混じり合い複雑さを極めた心中は整理を放棄したらしく、口から洩れたのは単純明快な思ったままのことだった。


「なんでって…、オレはオレでしかないのに、お前と一緒じゃないとオレにすらなれない」


事情も知らないヤツにはわけのわからない、しかし限りなく事実である言葉を噛み砕いてやった方がいいのだろうか、噛み砕くだけ無駄だろうか、と思いながらもオレの身体は既に脱力していた。偉大な男がきょとん、と眼を見開いてガキのように首を傾げたからだ。


「馬鹿だな、そりゃお前がオレを大好きってだけじゃねぇか」


そして初歩的な、当然のこともわからないガキを言い含めるような、過度の無知を心配するような声音で男に応えられ、オレは手こそ放したが、ただ見つめたままでいた。
そんなオレに、男は更に首を傾げる。


「だから、そりゃお前がオレを大好きだからいつも一緒にいて、それに周りが慣れちまったってだけじゃねぇか」


まだわからないのか、という態度で、不満を露骨にあらわす男はオレをただ見つめ返していた。


「ソレの何が悪いんだ?」


不思議そうに尋ねてくる男に、男がしたように、尋ね返してみた。


「お前には、オレが見える?」
「アホか、みんなに見えてるっての」


男はさも不変の理を答えるかのように、明瞭に応えた。それからオレに巣くう最も大きな蟠りにして、愚かなる絶望を言及した。


「しかも、オレとセットだぞ。嬉しいだろ?」


よかったな、と言った男鹿は答えがわかった子どもを誉めるような、満足げな笑顔を浮かべた。
眩しくて、居心地の悪い、幼い頃から変わらない笑顔に、絶望よりも単純な感情を本能のままに送りたい、と思った。





「ありがとう」





たった一言で絶望から救う、単純な答えに支えられる幸福を、ありがとう。





















 

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