創作物

□冷たい指先
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湯浴みは嫌いじゃない。リディアは湯の暖かさに心地よい面もちで、すべらかな肌に触れた。ロンドンの空気はスコットランドに比べるときれいではない。田舎では、草原で寝転んだりして汚れてしまった体を洗っていたが、ここロンドンでは都会すぎる空気を洗い落とすように湯を浴びる。もともと湯浴みは嫌いではない。普通の貴族のレディの私生活はよくわからないが、それほど今までの彼女の生活と異なっているようには思わない。それもすべて彼の度が過ぎるほどの配慮のおかげたろう。彼はいつもありのままのリディアを望んでいるからか、彼女の望むようにすべてを許してくれている。それでいて、レディとしてリディアを完璧にエスコートすることも忘れない。
しかしリディアにはフェアリードクターとしての立場がこの伯爵邸には存在する。二つの立場はリディアを煩わせることはない。多少の困惑はあったとしても、彼女にとってはたいした問題ではない。
「ふぅ」
髪を濡らしようやく、全身が清められたようが気がする。リディアはもう少し湯の暖かさを味わおうと手ぬぐいを手にとり肩を覆った。湯にたらしたオイルがリディアの鼻孔をくすぐる。
ケリーは侍女としては完璧で、それでもリディアの望むように配慮することも忘れない。貴族の暮らしに馴染めないリディアは、一人で湯浴みをすることにしているし、ケリーも無理強いはしない。そんな彼女の優しさに、リディアはケリーへの信頼をどんどん深めている。


部屋の外からかすかな声がきこえる。ケリーだ。
もう着替えの用意を持ってきてくれたのかしら。
リディアは扉に視線をやった。しかし彼女の思惑とは異なり、扉を開けたのはエドガーだった。
彼の灰紫の瞳はあきらかにいつもの穏やかなものではなかった。その不思議な雰囲気にリディアは呆然と動きを止めてしまった。本来ならば、たとえ夫であってもこのような場に入ってくることは、褒められたものではないはずだ。
「リディア」
名前を呼ばれてはっとする。リディアは手拭いで体を覆った。どうしていいのかわからない。いつものふざけた様子なら、声を上げて彼をたしなめることもできたのに…。
「エドガー?」
彼女の呼びかけに灰紫の瞳は様子を違えることはなかった。普段見せることのない透き通るような瞳がリディアを見つめる。彼の瞳には逆らえないとリディアはいつも思う。初めて会ったときから、彼の灰紫の瞳に翻弄されてばかり。
エドガーは後ろ手に扉を閉める。
ぱたんと音がすると、部屋には二人きりだと思わせられ、ドキリと全身がこわばった。
しかしエドガーはそのまま扉にもたれかかったままだ。いつものような正装ではない。彼がこんなふうにシャツ一枚で、しかも胸元がはだけたままでいるのは珍しい。
酔ってるの?
その雰囲気にリディアものみこまれてしまっている。こんな所に、無断で強引に入ってきた彼を諫める言葉がいまだ出てこない。
「いい眺めだね。すごく綺麗だ。」
艶っぽい声。いつもにもまして…。
手拭いでは体を隠しきれない。リディアのキャラメル色の髪がすべらかな肌にまとわりついているだけ。エドガーにこんな霰もない姿を見つめられて、全身が熱くなる、。リディアは顔を赤らめながらようやく震える唇を動かした。
「いや…出てってよ」
「いやだ」
どうして…と唇だけが言葉を紡いだ。
エドガーは無駄のない紳士の動きでリディアに近づくと、そのままキャラメル色の髪に口づけを落とす。社交界の紳士の仕草でリディアの手をとり再び口づけた。触れた唇は熱いのに、彼の指は冷たい。湯で温まったリディアには、彼が凍えるほどに冷えているのではないかと思うほどだった。
「きみは暖かいんだね」
彼のすらりと長い指が頬に触れる。その冷たさに、ピクリと体を揺らすともう一度、体をエドガーの視界から隠そうと身じろぎした。
「湯を使っているんだもの。それより、あの、どう…」
そこまで言いかけた言葉は、エドガーの熱い口づけにかき消された。
「ん…」
熱い。頭がクラクラするほどのキスを受けてリディアはエドガーの腕に手をかけ崩れ落ちないように体を預けた。エドガーの冷たい指先と熱い唇がリディアを襲う。
「ごめん、リディア」
そういうとエドガーは部屋をあとにした。部屋に残されたリディアは、熱い唇を押さえながら彼の後ろ姿を見送った。

エドガーがあんなふうに触れて口づけするのは、心に何か抱え込んでいるのだとリディアは思う。いつも囁く甘い言葉も、彼の本当の気持ちだとは知っている。けれど、エドガーの真剣な表情を見ると、彼の心の奥深くを覗いたような、複雑な気持ちがリディアにのしかかってくるのだ。
リディアは急いで体を拭いて、寝間着を身に付けた。


「リディアさま、申し訳ありませんでした。旦那さまをお止めすべきだとは思ったのですが、その…」
「いいの。ケリー。それにしても様子がおかしいわ。あんなエドガー見たことないし…」
ケリーは濡れたままのリディアの髪を優しく拭いてくれた。
「ケリー、エドガーはどこに?」
「執務室かと…少しお酒を召されている様子で…」
やっぱり…あんな酔い方はあまりよくないのではないだろうか。
「ありがとう。今日はもう休んでいいわ」



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