創作物

□茶色の髪ふたたび
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ロンドンには数多くの豪邸があり、そのどれもが貴族としてのプライドがのぞき見れるほどのものである。住居としての役割はもちろん、主に客を招いたり、茶会や夜会を催すのにも使われる。
リディアの住むこのアシェンバート家も、例外ではない。しかしアシェンバート家は久しぶりにこのロンドンに帰ってきたため、屋敷に住むのは当主エドガーとその妻リディアの二人、使用人たちだけである。そのためリディアにはいつもこの広すぎる屋敷のすべてが自分の居場所とは思えないときがある。
仕事部屋とプライベートルームが今のリディアの落ち着ける場所だ。
彼女一人にあてがわれたには広い仕事部屋のデスクで、妖精に関する相談ごとの手紙を読みふけっていた。
何度読んでも、今回の内容にはリディアの知識にはないものが関与しているように思われた。
「ニコ、あなたわかる?」
柔らかなソファに体を預け、アシェンバート家の紅茶に舌鼓をうつ小さな体がうらめしそうにリディアを見上げた。
「いまいい気分で、味わってたのによ。じゃまするなよ」
ケリーが焼いたビスケットに手を伸ばして、猫の姿をした妖精は言う。
「わかることなら、言ってるよ」
「そうね。ごめんなさい」
リディアも紅茶をいただこうと、ニコに向かうようにソファに腰掛けた。
ニコのお気に入りの紅茶だ。
リディアがアシェンバート家に嫁いでから、ニコもこの家に住んでいる。以前から紅茶につられて自ら通っていたが、住み着くことになってからは前にも増して、紳士として振る舞うようになった。それにレイヴンやケリーにまでそう扱うように言っているらしい。
リディアはまるで彼がもう一人の主のようだと思う。
というのも、アシェンバート家の当主がこのところ家を空けることが多いからだ。リディアももう3日も彼にまともに会っていない。
遊び歩いているのか、貴族のつきあいなのか…仕事なのか。
リディアにはわからないが、彼がかかさず送るブーケで少し彼に対するもやもやした感情は抑えられている。ご機嫌とりだとわかっていても仕事部屋に飾れた花が目に入る度に、彼の鮮やかな姿が頭に浮かぶ。
寂しい…のかもしれない。
リディアはニコ好みの熱い紅茶を口に含んだ。紅茶の熱が、リディアの体を温める。
「それより…伯爵はなにしてんだ?」
ビスケットのかけらを口の周りにつけたまま、ニコが言った。そしてもう一枚、手に取る。
「知らないわ」
「知らない?それならあいつが何してるか余計に不安だな。あんたに黙ってるなんて」
レイヴンにそれとなく聞いても、お勤めです、の一言しか聞き出せなかった。きっとエドガーからそう言うように言われてるのだろう。
近頃のレイヴンは自分の意志で行動することも多い。ニコやリディアに言い含められれば、何か教えてくれるとは思うが、無駄に彼を困らせるつもりはリディアにはない。エドガーが隠しているなら、彼本人に問いただそうと思っていた。
「奥様」
コンコンと仕事部屋にノックをするとケリーが入ってきた。ティーセットを下げにきたのだろう。紅茶はそろそろニコ好みではなくなっている頃合いだった。
「ケリー。伯爵のことはおまえも聞いてないのか?」
ケリーならもし知っていれば確実にリディアに報告しているはずだ。最近のエドガーのふるまいに最も腹をたてているのは彼女だろうから。
「存じません。レイヴンさんも何もおっしゃらないのでわかりかねます」
少し声に棘がある。
またタイミングの悪いことに、レイヴンも部屋を訪ねてきた。
皆が彼に詰問したい衝動を押さえて、振る舞うがとうとうニコがしびれをきらした。
「伯爵の姿が見えないな」
「昼間はお忙しくしておいでですが、夜には帰られます」
ということは、エドガーの行動をレイヴンは知っているのだ。
「ええ、夜には。といっても私たちが休んでから帰られて、起きる前に出られてるようですが」
ケリーはレイヴンのほうに視線を投げかけることなく言った。
「……」
リディアもそれには気づいていた。ちょっと忙しくなる、という彼の言葉通り二人の時間はなくなったが、プライベートルームを訪れた形跡はあった。
「起こしてくれればいいのに…」
「いいえ、リディアさま。旦那様にそこまで尽くされる必要はありませんわ」
ケリーほど親身に二人の仲を取り持ってくれる人はいない。それに彼女のいうことは大抵理屈に叶っているし、リディアもケリーの言うことはそのまま受け入れている。
彼を起きて待っているほど、リディアも従順になったつもりはない。
「そ…そうだわケリー。このあとちょっと図書館に調べものをしにいくわ」
そうだ、妖精の問題が解決していない。あとワンピースあれば、この問題は解決できるはず。
「リディアさま…。わかりました。外出の支度をしてまいります」
そそくさとケリーは仕事に取りかかった。
「こんなときにも働くのか?」
「これが私の仕事だもの。エドガーは関係ないのよ」
ちょっと冷たく言ってみたのは、そばでレイヴンが聞いていたからだ。
今日のやりとりをきっと彼はエドガーに伝えてくれるはず。
リディアは一人その様子を想像すると、可笑しそうに顔をほころばせた。


図書館での調べものは予想以上に成果を与えてくれるものであった。
足りないピースがはまった。
リディアは自分の知識不足を呪いながらも、ひとまずは領内の問題が解決することに喜んだ。
家に帰って、さっそく対処法を知らせなくては。小さな妖精のいたずらでも一人との間に大きな溝を生むかもしれないのだ。
ケリーが外出用にあてがってくれた帽子はつばが広く、太陽の光を遮ってくれる。ほどよい光を浴びながら、帰り道を散歩する。
馬車を使うということで、侍女の同行を遠慮したリディアだったが、いったん外にでると我慢が出来なかった。ついつい独りで行動してしまった。
ロンドンの町は都会だが、そのぶん影の部分も大きい。
身なりの良い紳士淑女もいれば、それなりの身分であろう人の影も目に入る。裏の路地には近づかないように気をつけて歩くリディアだが、そういういった怪しげな雰囲気に不安になってきていた。
まだ日も高いのに…。
リディアは帽子を深くかぶり直し、通りを抜けようと足早に歩いた。
ちょっと…不安。こんなことならケリーと約束したとおり馬車で帰れば良かった。
ふと、リディアと同じ年のころか、と思わせる少年と目があった。彼はまっすぐにリディアを見つめているが表情は硬い。身なりからしても身分はそれほど高くない。むしろ…。
目を逸らして、すれ違おうという瞬間。
後方から腕をとられた。そしてそのままつられられて駆けていく…。
リディアは声がでなかった。とっさのことで何が起こっているのかわからぬままに…。
怖い。助けて…エドガー。




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