創作物

□ゴシップ
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いつもどこにいても目立つ金の髪の彼。
きっとそれは煌めく髪のせいだけではない。彼の身のこなしや、端正な顔、それに何よりも彼が醸し出す雰囲気が人を魅力するのだ。
自分を魅せる方法を一番知っているのは彼自身であるし、その思惑ははずれることはない。
リディアも彼の魅力に引き込まれた一人だ。
長い間、彼の求愛を受け入れられなかったのは、嫌いだったからではない。初めて会ったときから、魅惑的な彼の雰囲気に引き込まれていた。
今でこそ、そんな自分を素直に認められる。
「ねぇリディアさん。アシェンバート伯爵のもとで働いていらしたというのは本当?」
リディアはローデン姉妹に囲まれながらお茶を嗜んでいる。まわりに誰もいないことを知ってか、目をきらめかせて問う。
「えぇ。いまも仕事は続けてるんだけど」
きゃぁと声を上げると、彼女たちは顔を見合わせて微笑んだ。
「なんて素晴らしいのかしら」
「リディアさんが伯爵邸に通われていたときに見初められたということね」
「あら、リディアさんがあの伯爵を落としたのよ」
個々に言いたいことを言う彼女らに、リディアは少し顔を赤らめた。
自由に振る舞う彼女たちは、まだ子供らしさが残る。彼女たちの勢いにリディアはいつも圧倒されていた。
「それにしてもあの伯爵が…」
「よほどリディアさんにご執着なのよ」
まるで恋愛小説を読む女の子が恋に憧れをもっているよう。
「それにしても、私たちの悪戯に顔色一つ変えない人は伯爵くらいよね」
「あ…あと従者の男の子」
結局のところ彼女たちは恋よりも遊ぶことに夢中なのだろうか。悔しそうな表情でコソコソと何やらたくらんでいる。
「きっとその二人には何をしても驚いたりしないと思うわ」
姉妹の企みにくぎを差す。
彼らに悪戯するな、とは言わないがリディアにはわかっていた。たとえ何をしてもさらりと流されてしまうだけだ。
蛇やカエルでは眉一つ動かさないだろう。
「リディア?そろそろ、帰ろうか」
ローデン姉妹の狙いの的がサロンに顔を出す。
その表情は、少し寂しげに見える。
彼が外套を手にした様子をみると、リディアは慌てて立ち上がった。
「そうだわ、父さまと食事の約束を…」
ローデン姉妹に挨拶をして二人は馬車にのりこんだ。
「どうかしら…」
「上手くいくでしょうか」
「それにしても表情が見れないのは残念ね」
馬車を見送る彼女たちの顔は淑女のそれではなかった。



カールトン家のダイニングでエドガーとフレデリックと三人でディナーをいただく。かしこまった晩餐会ではなく、リディアの慣れ親しんだいつものカールトン家の夕食だ。
フレデリックはいささかエドガーをこのような質素な夕食に誘うのには抵抗があるようだが、当の本人は少しも気にしてはいない。
食事は貴族に比べれば質素だが、エドガーの振る舞いをみているととてもそうは見えない豪華なもののように見える。
「いかがですか、伯爵。その…お屋敷でいただくものほどではないとは思いますが…」
ずれた眼鏡を押さえながらおそるおそる尋ねた。
「とてもおいしいですよ。うちのシェフではこうはいきません。リディアさんもこちらの料理の味の方がお好みでしょう」
彼の視線がリディアに注がれる。
「え…ええ。屋敷で食べるのとは違って懐かしいし、好きよ」
むしろ伯爵邸での豪華な食事のほうが、気持ちが張り詰めてしまう。
「そうか。久々に帰ってきたんだ。ゆっくりくつろいでおくれ」
「えぇ、父さま。ありがとう」

食事を終え、リディアは馴染み深い家のソファに身を沈めた。
少しはしたないかな、と思いながらもかつてそうしたようにくつろぐ。
「リディア。お茶を頂いてきた」
エドガーはトレイを片手に持ってやって来た。その慣れた手つきは、貴族らしくなかった。
エドガーは自分の思うように、相手に印象付けられる。貴族でも悪党でも、下町の青年でも何でも演じられる。
「やだ、エドガー。そんなことあなたがしなくても」
慌てて立ち上がろうとするリディアを制して、エドガーはお茶を入れ始めた。
いつもはレイヴンがやる仕事だが、エドガーも十分器用にこなす。
「僕がやりたいんだ。だからなんの問題もないだろう?」
「そんなこと、伯爵さま、はしないのよ」
エドガーがこうしている様をみると、リディアは切なくなった。
「僕は、本当の伯爵じゃないんだよ」
温かな湯気がたつカップが手渡される。
「…でも」
言葉が出てこない。
今となっては、エドガーは正真正銘の伯爵だ。それでなくとも生まれは公爵の家なのだ。
すべてを奪われたからと言って、中流階級とは違う。
困惑して固まるリディアの隣にエドガーは腰掛けた。
古いソファがきしむ。
こうして近づかれるとリディアは身構えてしまう。
「リディア」
肩を引き寄せられ、灰紫の瞳に自分の顔が映るのに、リディアは気づいた。
「…と、父さまは?」
慌てて顔を伏せる。
「書斎に。話をしていたら、突然なにやら思い出したとか。そのまま部屋にこもられたよ」
エドガーはリディアを逃がしてはくれない。
頬に触れられ、そのままうなじに手を差し込まされる。
「あ…」
唇が触れ合う。
「これで我慢しておくよ」
エドガーは悪戯気に微笑んだ。
リディアが外ではエドガーとふれあうのをためらうことを気遣ってか、触れるだけのキスだった。
温かな感触がやけに印象づいて、リディアは胸が高鳴った。
「今日はありがとう」
「なんのことだい?」
自分で淹れた紅茶をすすりながら、エドガーは尋ねた。
「うちに来てくれて。父さまも、あなたのこと嫌いじゃないみたいだもの。たまにこうして様子を見にこれて、私はうれしいわ」
嫌いじゃない?
それは誉められた言葉ではない気がするが、あの教授がエドガーのすべてを知って彼を拒否しないことはありがたかった。
「そんなこと?僕こそうれしいんだ。こうして君の家を堂々と訪ねられて。今度またスコットランドにもいこう」
リディアはそっとエドガーの手に自分のそれを重ねた。精一杯の行動だった。まだ自分から彼の望む愛情表現はできない。
それでもエドガーは満足だった。
少しでも彼女が自分を見てくれているのがうれしく感じるからだ。

父が書斎に閉じこもってしまったときいて、リディアは相変わらずの様子だと、安心していた。
結婚してからは、なかなか顔を見ることもできなかったが、こうして訪ねるといつもの様子にほっと胸をなで下ろす。
母親がいなくなってから、ずっと親娘と一匹の生活だったのだ。父が寂しいのではないかとも思ったりするが、鉱石の研究に勤しむことが彼の生きがいだったと思えば、父への罪悪感はいくばくか薄れた。

夜も更け、リディアは父の書斎を訪ねた。そろそろ帰る時間だ。
「父さま?」
コンコンと扉を叩くが、返事はない。
しかし、それはいつものことだった。
ゆっくりと扉を開けると、熱心に書物をあさっている父の姿が目に入る。「父さま、あの…」
「ん…あぁ。リディア。すまない。わざわざ訪ねてきてくれたのに」
ずれたメガネを直して父は顔をあげた。
「もぅ帰るのか」
「えぇ」
「気をつけて。あまり無茶はするんじゃないよ。伯爵はおまえには甘いようだが、彼は、その…いや、杞憂だな」
父の机の上にあるゴシップ新聞が目に入る。
それはリディアも知っていたことだ。
エドガーに関する記事が載っている。あることないこと書かれるということは、分かっているが、頭と感情は切り離せない。
「今日ね、メースフィールド公爵夫人に呼ばれたのよ、エドガー。でも記事にあるようなこと…」
「何もありません。ムーンストーンに誓って」
声のほうに振り向くと、エドガーだった。
「公爵夫人はリディアを可愛がっていらっしゃる。彼女を傷つけるようなことがあれば、こうして夫人は僕をお叱りになる」
「エドガー」
本当に何もない。
記事にはエドガーが有名な女優のパトロンで、愛人関係だと、騒がしく書いてあった。
結婚しても落ち着かない、との見出しが大きい。
あるパーティで彼女をエスコートしたことが記事のきっかけだろう。
ちょうどリディアが熱を出して出席できなかったときだ。
社交界で力を持つ貴族に言われれば文句は言えなかった。
それがこんな裏目に出ようとは。
フレデリックはそれ以上何も言わなかったし、誰もこの話題に触れようとはしなかった。




昔からいわれなれた言葉が今になって心の傷をえぐるよう。
鉄錆色の髪に、魔女の瞳。
リディアが妖精が見えるから、そう言われるのか、見た目から遠ざけられているのかは分からない。
どんな理由であれ、リディアと親しくしてくれる人はいなかった。
「あ、あの方」
「伯爵夫人ね」
まわりの人の些細な噂話でさえ、今のリディアにとっては気になって仕方がない。
エドガーにエスコートされている今でさえ、不安がよぎる。
こういうときだからこそ夫婦の仲を周りにアピールしなければならない。
「アシェンバート伯爵」
にやりと微笑むんで近づくのはエドガーの友人の一人だ。
「やあ」
「レディ・アシェンバート。ごきげんよう」
そう言って、彼はリディアの手をとろうとするが、エドガーに阻まれる。
「僕の妻に触れないでもらいたい」
「おいおい。ただのあいさつじゃないか」
「君がわざとやっているのはわかる。今は触れて欲しくない」
エドガーの声が低く響く。
「わかったよ。君はまだ夫人に夢中だ。そう周りにふれ回っておくよ」
ひらひらと手を振りながら、彼は淑女の集まりによって行った。
お得意の振る舞いで、淑女たちのご機嫌をとる。
「あいつは本当にだらしない男だな」
「あなたよりも?」
ついつい口にしてしまった冗談が、エドガーにはそう思われなかったのか、顔を曇らせた。
「僕は信用を失ってしまった?」
恭しく両手を握られる。
そのままリディアを見つめたまま、口づけられる。
「ごめんなさい。そういう意味じゃないの」
リディアの伏せた顔を見れば、エドガーはこのままではいけないと感じた。
ふたりとも、負の空気に飲まれている。
「あの…あたし、公爵夫人に挨拶してくる」
そう言って、ぱたぱたとリディアはエドガーから逃げた。
夜会用に着飾ったのに、リディアらしく小走りしていく姿をみると、心がなごむ。
彼女のああいうところが好きだ。
今までに出会ったことのないタイプの女性だった。
どんな言葉にも心動かされない。誠実な心だけが彼女に届く。
どんなに時間がかかったことだろう。

以前訪ねてからあまり日がたっていない。
エドガーは今回のことで、かなりしかられたらしい。
夫人がここまでリディアたちに親身になってくれることがうれしい。母親のいないリディアにとっては、年上の女性との関わりはほっとさせてくれる。
「公爵夫人。こんばんは」
リディアを見つめる彼女の瞳は優しい。
「こんばんは。この間はごめんなさい。急に呼び出して」
「いえ、構いません」
「きっちり伯爵にはいっておきましたから。パーティには出席したけれど、記事のことは事実無根ですって」
そうね。わかってる。
それでもリディアの心は落ち着かない。
胸が苦しい。
「でもね、こんな事になる事自体、ほめられたことではないわ。たとえ事実と異なっていたとしても。伯爵は昔から、記事の常連だったけれど、それは彼もわかってのこと。今は、あなたを守らなければならないの。どんなことがあっても、あなたを傷つけることは許しません」
夫人の口調は強い。
それでも最後にリディアに悪戯気に微笑んだ。
「あの。あたし、どうすればいいか」
「どうもしなくってよくってよ。伯爵は、あなたがいればそれでいいもの」
リディアの手とり優しく握ってくれた。
ああ、この方は…。
なんでもわかってしまうのね。
欲しい。
彼の心が欲しい。
会場に目をやると、まぶしい姿がすぐに目に入る。
この金緑の瞳に映したいのは彼の姿だけ。
目が合うと、微笑んでくれる。
ゆるりと視界が舞う。



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