創作物

□恋か愛
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「いやだ」
リディアの前でスッと立つ姿は優雅で、瞳の色は透き通るような灰紫。
彼との距離が狭まるにつれて、心が揺さぶられる。
「あなたしかはずせないのよ…そんなの」
身勝手だわ。
スラリと伸びる綺麗な指が唇をなぞり、リディアは言葉を飲み込むしかなかった。
紅もひいていない、そのままの唇は敏感に彼の熱を感じる。
「僕はきみをあきらめる気はないんだ」
いつものようにふざけた様子なら、リディアも声を荒げて彼を拒むことができるのに。
彼の指に遮られて言葉は何も出なかった。エドガーはそんな彼女のあごに手をかけて唇をよせた。
リディアを見つめたまま端正な顔が近づく。思わずぎゅっと目を閉じて、体を強ばらせた。
ふいに、エドガーの指が離れるのを感じた。
「リディア…」
おそるおそる目を上げると寂しげな表情で見つめられていた。
「僕が怖い?」
「そんなこと…ない、わ」
「僕は卑怯な男だから、この指輪を外すつもりはないよ。まだ…ね」
先ほどリディアの唇に触れた指でリディアの手をとり、唇をあてる。見せつけるように。
「か…帰るわ」
強引に手を離すと、リディアは部屋を後にした。
残されたエドガーはソファに、とさりと座り込んだ。タイを緩めて、シャツのボタンを外す。
いつもはきちんとした服装でいるのに少しも違和感はなかったが、今だけは我慢ならなかった。
「エドガーさま、お茶をお入れしましょうか」
エドガーが脱ぎ捨てていた上着を手にとりレイヴンは尋ねた。
さきほどのやりとりを見ていても彼は二人に決して干渉することはない。常に従者としての役割をまっとうすることに努めている。
「あんな顔されたら、キスのひとつもできやしないなんてね」
金の髪をかきあげながらつぶやいた。
「リディアさんは今までエドガーさまが出会われた女性とは違うそうです」
真面目な顔でエドガーに進言する。
「誰がそんなことを?」
「リディアさんです。エドガーさまの甘い言葉に乗せられる女性ばかりではないとおっしゃられていましたから…」
レイヴン自身、ここまでエドガーが積極的に攻め寄っても彼を拒否しつづける女性を見たのは初めてなのだろう。
「なるほど。でも、だから彼女に執着するんじゃないよ」
まるで恋のゲームかのように、振り向かない相手を追いつづけて落とそうというのではない。出会ったときに、世間知らずの妖精が見える少女に興味をそそられたのは事実だ。何度も己の陰謀のために利用さえした。しかし…。
ふぅとため息をつくと、レイヴンに紅茶を入れてくれるように告げた。
「希望…か」
子供のときにすべてを失ってから初めて、自分の意志で生きるようになっていた。当たり前の生活、当たり前の身分、きっと公爵家の嫡子としての自分も偽りだったのだ。もしあのままの人生だったとしても、それは今のエドガーとは違う。
絶望を知って、ただ復讐のために突き進んだエドガーが見いだせた未来は彼女にあった。エドガーがようやくありのままのエドガーとしての幸せのために望んだものだ。
自分で選んだ道を進んで、彼女を包む優しさに魅せられた。
それを失っては未来はない、と思わずにはいられなかった。



スコットランドの家の庭で、リディアもよく知る妖精たちが、嬉しそうに野花を運んでくる。
わいわいガヤガヤ楽しくお喋りしながら踊っている。
「おめでとうございます、お妃さま」
「われらと親交あるあなた様がと知り、なんと素晴らしいことだ、とここいらは歓喜に踊ってますぞ」
「そりゃもう。ものすごいお祭りで」
それぞれがリディアを囲んで、贈り物の野花を差し出していく。
「え…ええ。ありがとう」
楽しげな妖精たちとは反対に伏せられたリディアの瞳は何も語らなかった。
ここまで広まっているなんて…まさかこれもエドガーの策略?
もらった花を花瓶にそえてリディアは、一心にそれを見つめる。
さきほどまで小さな妖精たちがリディアの足元にまとわりついていたが、いまはもう去ってしまった。森の大木の幹で宴会がある、とニコが言っていた。みんなそちらに行ったのだろうか。
「結婚なんて…しないわ」
声にならないほどの小さな音がかすかに唇からこぼれ落ちた。
信用できないもの…。


自室でリディアはムーンストーンの指輪を見つめていた。青騎士伯爵のムーンストーンはどこかあたたかい。
「気に入ったのか」
声のほうに目をやると、タイを締めた猫がスコッチのはいったグラス片手にソファでくつろいでいた。飲んで帰ってきたにもかかわらず、またお酒をたしなんでいる。
これほどまでに酒好きな猫はいないわね。
たとえ妖精だといえど、彼ほど酒好きはない。
「あいつはやめとけよ、リディア。女好きで信用できない貴族なんてもんは、最低の相手だぜ」
「わかってるわ。けれど自分では外せないんだもの。だからってこのムーンストーンに罪はないわ」
ムーンストーンのぬくもりは、リディアに心地よさを与えてくれた。
窓からのぞく本物の月もあたたかい光でリディアを照らす。
二つの月に包まれながらリディアはいつの間にか眠りについていた。





金の眩しい髪が、さらさらとリディアの額をなでる。長い指が頬にふれる。
目を開けると、慣れしたんだ綺麗な瞳がリディアを迎えてくれる。
「おはよう、リディア」
なめらかな声がまだ眠気をむさぼるリディアをくすぐる。
「起きて。ランチにしましょう」
小さなリディアの体を抱き起こす。
「その前に父さまを呼んできてくれる?あなたが呼べば聞いてくれるわ」
「わかったわ、母さま。そのかわりあたしの好きなもの多めにしてね」
ゆっくり頷いてリディアの条件をのむと、笑顔で彼女を送り出した。
リディアは書斎の扉をゆっくりあけると、仕事に熱中している父親の様子をうかがう。好きなことが仕事である彼が、他のことに目向きもせずに取り組む姿をみるのは嫌いではない。
「父さま」
大きな背中は少しもリディアの声に応えない。
父親のそばに寄ってみるが、彼は机に突っ伏して眠っていた。
疲れているのだろうか。
起こすべきか悩んでいると、フワリと毛布が掛けられた。
「あ…」
口元で人差し指をたてて、リディアに声を立てないように促す。リディアの手をとってアウローラは部屋を後にした。


焼きたてのパンを手にとってお手製のジャムを添える。口に運べば甘い香りが広がる。
「おいしい?」
あくせくと口に運ぶリディアを微笑ましそうに見つめる。
「父さまもこればよかったのにね」
「仕方ないわね。お仕事でお疲れなのよ」
パンにジャムを塗り、サンドイッチを作って包んでおいた。
「あんなに石が好きな人はいないと思うの」
リディアが食べこぼしたパンクズを小妖精たちがひろっていく。食卓にはリディアとアウローラのふたりしかいないが、足元をいくらか妖精がまとわりついている。
「そうね。でも父さまはすごく優しいのよ」
「それはわかるわ。でももっとあたしともお話してほしいの」
リディアはうつむく。
キャラメル色の髪を撫でながら、アウローラは言う。
「父さまのこと、好きなのね」
「好き。母さまみたいに、あたしもけっこんするの。父さまみたいに優しい人と」
「そうね…」
リディアを見つめるアウローラ。その瞳はとても優しくて…。




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