創作物

□花につく虫
1ページ/2ページ



あまり目にすることのない光景を目の当たりにして、リディアは多少驚いた。それでもふらつく 彼を支えようと、とっさに手を伸ばす。
「あ…」
いつもはどんな動きも仕草も優雅な彼が崩れ落ちる姿は、また彼がリディアを騙しているかと思うほど珍しいものだった。
結局、リディアだけでは支えられず、二人して床にひざを突く。
「エドガー?」
伏せられた目蓋がリディアを不安にさせる。
金の髪からのぞく額にほんのりと汗が浮いている。
こんな…どうして。
リディアはエドガーの額に手を当てる。
熱い。
「熱があるじゃないの!」
驚いて声を上げた。
いつものようにリディアが仕事部屋にこもっているところに、彼が訪ねてきたのだ。
お互いに忙しくしているときは、エドガーのほうが必ず顔をみせにきてくれる。リディアなら、邪魔してはいけないと思って、遠慮してあまり彼を訪ねない。
エドガーもそれを分かっているからこそ、自ら動いて来てくれるのだ。
しかし、今日はいつもと違う。
ふらりと揺れた体に、不安を覚える。
エドガーが熱を出すなんて。
「ごめん、リディア。ちょっとふらついただけだよ。何も心配ない」
そう言う顔は青白い。
なによ…。
「こんなに熱があるのに?お願いだから休んで」
すかさずレイヴンを呼ぶと、彼も驚いたように二人を見てから、主人を抱え起こす。
「レイヴン。エドガー、熱があるの。お医者様を」
こくりと頷くと、レイヴンはエドガーを抱えたまま仕事部屋を出る。
「レイヴン。いいんだ。たいしたことない」
「いいえ。エドガーさま、リディアさんのおっしゃるようにすべきです」
かつては決してエドガー以外の言葉には耳を貸さなかったレイヴンが、今はニコやリディアにも、親しみを感じている。
主人夫妻の言葉が対立すれば、レイヴン自身が考え、意に介する方の味方につくこともある。
今がその例だ。
プライベートルームの扉を開け、ベッドに腰掛けさせる。
「まいったな」
着替えを取りにレイヴンが姿を消すと、エドガーはつぶやいた。
こんなつもりじゃなかったのに。
ただリディアに会いたかっただけ。それがこんなことになろうとは。
「エドガー」
扉が開くのと同時に、リディアのキャラメル色の髪がふわりと覗く。
「大丈夫…じゃないわよね」
心配そうに触れてくる。いつもはこんなに無防備に触れてくれることはないのに。
「きみが心配してくれるなら、つらいふりくらいはできるんだけど」
本当にたいしたことない。
エドガーの横にリディアは腰掛ける。プライベートルームという空間はリディアにとっては安心できる場なのだ。
まだ昼間なのに、不用意にエドガーに近づく。いつもは、求められるのに不安で逃げ腰のリディアも、今の彼に近づくことになんの抵抗もなかった。
「エドガー…あなたがさっきみたいに倒れるなんて、めったにないことだもの。お願いだから、ゆっくり休んで」
汗ばむエドガーの額に手を当てようと、彼の金の髪をかき上げた。
ふいに灰紫の瞳に見つめられ、どきりとする。
「エ…エドガー」
色っぽい。
男の人なんて、ゴツゴツしていてどこもなめらかではない、と思っていた。
しかし彼はリディアの知るどんな人よりも綺麗だ。
素手で頬に触れられればぞくりと体が震える。
指先がいつもより熱いのは熱のせい…。
そのまま彼に求められそうでリディアは身じろぎした。
そんな彼女を後ろから抱き留める。
「リディア…」
首筋に吐息がかかればリディアも頭がくらくらしてくる。
このまま…流されてしまいそう。
それくらいエドガーはリディアを魅了していた。
「失礼します」
レイヴンの声にリディアはエドガーから体を離す。
ほっと一息ついて、彼を招き入れた。
「まもなく医師がこられます。それまでにお召し替えを」
しぶしぶといった様子でエドガーが服を脱ぐ。見慣れた素肌が露わになる。
「手伝ってくれる?」
エドガーのいたずらなセリフにはっとなると、リディアは顔を赤らめる。
「いいえ!」
そう言い残した言葉は先ほどとは打って変わって、少し乱暴だった。
そう後で反省したリディアだった。


ようやく医師がやってきて診察をすませると、彼が言ったのは、「お休みさえ取られれば大事ないでしょう」という一言だけだった。
「ね、だから言ったろう。たいしたことないって」
いちおうガウンに身を包んで、ベットに横になっているエドガーはにっこりと言う。
「それでも、休むように言われたんだから、そのとおりにすべきよ」
「リディア。今日は夜会に招待されてるんだ。行かないわけにはいかないだろう?」
そうだった…忘れてた。
とうに出席の返事をした公爵の夜会に、いまさら行けないだなんて言えない。
「でも…」
エドガーは立ち上がると、ガウンを脱ぎ捨て着替えようとした。
大丈夫だと、彼はいうけれどこのところ忙しくしているのを知っている。
夜会ではもちろん辛いそぶりなどみじんも見せてはいけない。
それなら…
「あ…あたしが行くから」
お願いだから、休んでほしい。




次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ