創作物

□恋のドレス
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シャーロックは、不機嫌だった。
こんな場所は好きではないと思うことを、隠すことなく表情に浮かべている。
久しぶりにロンドンに来てみれば、母に連れられて貴族の屋敷を訪ねることになったのだ。
どうやらお茶会らしい。
貴族の紳士、淑女たちが微笑みながら会話を楽しみ、また庭の花を鑑賞しようと、広い庭を散歩しているものもいる。
自由にしているようでも彼らは貴族だ。
人との付き合いや、周りの人々の様子を常に気にしている。
ここはお茶会という名の社交界なのだ。
シャーロックも貴族として生まれたからには、社交界に飛び込む覚悟はしていたが、こういった回りくどい付き合いは好きではなかった。
ビジネスはビジネスで考えたい。
そのほうが集中できると、シャーロックは思うが、ほとんどの貴族は身分にかこつけてあまり商売というものを気にしていないように思える。
最近では、やりくりに失敗して破産する貴族も少なくないと聞く。
いつだって必死になっているの上ではない。上に登ろうとする者ばかりだ。
「シャーリー?」
愛称で呼ばれ、顔をあげると母がたしなめるような表情で見つめていた。
きっと不機嫌な表情の息子を、信じられないという思っているのだろう。
母の目的は息子の自慢なのだから、シャーロックがぶっきらぼうにしているのを少々残念に思っている。
見目麗しく、また学生時代の成績も、プリフェクトも務めたことを思えばお墨つきだ。
シャーロックが社交界で注目を浴びるのは、必然だった。
「もう少しいい顔は出来なくて?せっかく美男子に産んであげたのに」
「母上。この顔で産んでくれたのは感謝していますが、ここに俺を連れてきたことは恨みます」
「ロンドンにきたんですもの。母の助けだと思って、シャーリー。それにロンドンの淑女たちでさえあなたの姿を気にしているのは、この母の喜びです」
にっこりと微笑む姿は、少しの嫌味もない。
さすが、というべきだろうか。
母は淑女の中の淑女なのだ。いつだって、彼女は淑女としての姿を息子であるシャーロックにさえ見せる。
「庭でも見てきます」
そう言い残すと、シャーロックは母をおいて外に出た。
室内の扉は開け放たれ、庭へも自由に行き来出来るようになっている。
日に焼けるのを避けるように多くの淑女は、室内で談笑している。
庭を歩く女性であっても日傘は手放さないらしい。
何人かはシャーロックを意識して、視線を送ってくる。
それは女性だけでなく、男性のものも混ざっていた。
由緒あるハクニール公爵家の長男と、親しくなっておいて損はないからだ。
人目のない落ち着いた場所をさがそうと、シャーロックはどんどん庭の奥へと進んでいく。
こうも注目されていては、息がつまる。


リディアはふと気がついた。
目の前に小さな妖精たちが集まってなにやら話をしているのに。
花の妖精だろうか。
以前会ったことのあるマリーゴールドたちが思い出される。
人に見えるようにしているわけではないので、彼女たちはとても小さい。ふわふわとした体に透き通るような羽が背中から伸びている。
リディアはお茶菓子としてだされていた金平糖をころりと手のひらに広げる。
甘い匂いに敏感な彼女たちのことだ。すぐにリディアの周りに集まってくるだろう。
そう思っているうちに、妖精たちはリディアと金平糖の甘い匂いに気づいたようだ。
「わたくしたちが見えるんですか?」
驚いたようにリディアの前にふわりと舞う。
視線をあわせると、確信したように微笑んだ。
「珍しい方ですのね」
「私はフェアリードクターだもの」
リディアは金平糖を妖精に手渡す。
「お近づきのしるしよ」
妖精たちは受け取った金平糖をちろりと舐めた。甘さが口いっぱいに広がると、幸せそうに笑った。
花の蜜を好む妖精は、金平糖の甘さも気に入ったようだ。
リディアは金平糖を他の妖精たちにも渡そうと差し出したけれど、彼女たちは視線をリディアとは逆に動かすと、姿を消した。
彼女たちが本気で姿を消したなら、いくらリディアでも見えない。
どうして急に…。
顔をあげると、そこには漆黒の髪の青年が立っていた。
はしばみ色の瞳に上品な服装。
貴族…よね。
リディアの知らない男性だった。
いくらか社交界に顔をだしてはいるが、まだまだ覚えていない人は多い。
社交界には貴族だけでなく、裕福な家の上流階級の人たちもいる。
すべての人が貴族とは限らないが、目の前の青年は、貴族らしさを醸し出していた。
「あの…」
茫然と立ちすくむ彼をみてリディアは、不安になった。
見られていた?
妖精の姿が見えない人にとってリディアが妖精たちと関わっている様子は奇妙にしか見えない。
青年はリディアをまっすぐに見つめている。
歳はエドガーとさほど変わらなさそうだ。
端正な顔立ち。
漆黒の髪が印象的に、風に揺れる。
綺麗な男の人だ、とリディアは思った。
「あ…いや。失礼しました。レディ」
ばつがわるそうに慌てて彼は、視線をずらした。
人を、しかも異性を見つめるなんて、失礼な行為だったと彼は素直に反省の色を浮かべた。
「私はシャーロック・ハクニール。父は公爵です」
貴族がするように名を、そして家の身分を述べる。
名乗られたら、名乗らないわけにはいかない。
「私はリディアといいます」
ラストネームは名乗らなかった。
どこからどうみても貴族の男にまずいところを見られたかもしれないのだ。
エドガーの迷惑になることは避けたかった。
アシェンバート伯爵夫人が、奇妙な方だと言われればせっかく築きあげてきた居場所がなくなってしまうかもしれない。
みんながみんなメースフィールド公爵夫人のように、妖精を理解してくれるとは思えない。
「失礼ですが、お父上は?」
名前しか名乗らなかったことに、彼は不思議に思ったのかさらに尋ねてきた。
初対面で、身分を聞くなんて。
失礼なひと。
彼が、ここまで直接的に訪ねてきたことに驚きを隠せないとともに、リディアは不満に思う。
中流階級出身のリディアにとって、身分がものをいうこの世界はいささか奇妙に思える。
「フレデリック・カールトン。大学教授をしています」
フレデリックはリディアでさえ、変わった人だと思うのだ。親子ともに風変わりだと思われても、父親にはたいして迷惑にならないだろう。
今は結婚してアシェンバートの姓を名乗っているが、このやり取りではリディアはただ自ら言わなかっただけで、嘘をついたことにはならないだろうと考えていた。
彼が、リディアのことを知る前に今のこのことを忘れてくれればいい。
シャーロックは乱暴に告げたリディアの態度にはまったく気にしていない様子だった。
それとも無表情なのは、性格だろうか。
「あぁ、それで」
ひとり合点がいったという顔で、シャーロックはその場を後にした。
ろくに挨拶もなく去っていたのは、リディアが貴族でないとわかったからだろうか。
公爵の息子なら、そういう態度をとるのは当たり前かもしれないが、リディアは少々寂しく思えた。
やはり社交界はリディアを歓迎していないのかと。
彼の視界から消えたことを確認すると、リディアはおもむろに腕を組んで横目でシャーロックの姿が見えなくなるのを見つめていた。
このロンドンの社交界では、リディアが知らない相手でも向こうから寄ってきたり、噂話をしたりすることはあった。
しかし、今日のようにぶっきらぼうに扱われたことはない。
きっとそれはエドガーのせいだ。
初めから社交界でリディアがうまく立ち振る舞えるように根回ししていたのだ。
それにエドガーは敵を放っておきはしない。
彼が敵を作るとしたら、エドガー自身が敵として認識したときだけ。
社交界には敵らしい存在はいないのは、敵は残さず潰してしまうからだとリディアは思う。
せいぜい彼に対する妬みを持つくらいだ。それ以上の負の感情を持たせたままでいさせてくれるほど、エドガーは他人に優しくはない。
彼が築いてくれたリディアの立場を壊すわけにはいかないのだ。
あの青年は…貴族なのだ。
リディアが中流階級出身だからこそ彼はああいう態度をとったのだ。
身分の差は社交界では大きい。
そう思えば、エドガーはやっぱりちょっと変わってるかもしれない。
女性だけには親切だもの。




「どうだった?」
メイフェアの屋敷で、いつものようにリディアはエドガーとお茶を飲んでいた。
「どうって言われても」
「僕がエスコートできなかったんだ。きみがどうしていたか不安でたまらなかったんだよ」
そう言って、リディアのキャラメル色の髪を一房とって口づける。
すでに休む用意を整えているため、結った髪も自由にさせて、ゆったりとした寝間着に着替えている。
エドガーもそうだ。
少し湿った金の髪は、湯を使ったからだろうか。
こういう時の彼は、昼間とは違ってくだけた様を見せる。
そういう、人に見せない彼を見ることができてリディアにうれしく思っている。
決して口にはしないけれど。
この貴族らしからぬ所を持っているのは、エドガーが名前もすべて奪われたから?
いいえ、あんなことがあったとしてもエドガーはエドガーのはず。
「昼間のお茶会よ。いつもそんなに変わらないわ。あ、でもお庭に妖精がいたわ」
そのことを思い出してリディアは顔を煌めかせた。
「覚えてる?マリーゴールドみたいな花の精だったわ」
妖精のこととなると、生き生きとする彼女をみて、エドガーは微笑んだ。
リディアがいつまでもこうしてほほえむことのできるようにしなくてはいけない、とエドガーは心に決めている。
「あぁ、可愛らしいお嬢さんだった」
「また、そういうことを…」
マリーゴールドたちと出会ったのはムーンストーンがきっかけだった。
あのときにエドガーはリディアにプロポーズをしたことをふと思い出して、リディアは顔が赤くなった。いつもリディアの周りには妖精がいて、なにやらトラブルを運んでくる。
ムーンストーンの指輪も、婚約を承諾する以前からリディアの左手の薬指におさまっている。
「リディア」
急に顔を近づけてくるので、リディアは思わず後ろに下がった。
結婚前から、必要以上にリディアに触れようとする彼への警戒心はなかなか消えない。
「な…なに?」
彼が本気になると雰囲気が変わるし、リディアは緊張せざるをえないのだ。
避けると彼が悲しむのを知っているし、それでも恥ずかしくてリディア自身容易に受け入れられなくで困ってしまう。
「逃げないで」
すでに腰にはエドガーの腕がからみついているし、逃げられない。
うれしそうに微笑むエドガーに見つめられると、大人しく口づけをうけるしかない。
髪に指が差し込められ、深く求められる。
「…っ」
そのまま抱きかかえられる。
エドガーは知っているのだ。
こうして一度体を触れ合えってしまえば、リディアは逃げないことを。
プライベートルームへとつつく廊下を歩くリズム以上にリディアの鼓動は早くなっていた。






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