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□指先は酷く冷たかった。
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外は相変わらずの大雨で、もう気が狂いそうなほどだ。
それでもやはり閻魔大王の私室ともなると防音もばっちりされていて、窓を開けでもしない限り雨音なんて聞こえてはこないのだが。


そんな快適空間にいるにも関わらず、ふたりの間の空気は外と同じくらい鬱々としていた。


「何を言い出すかと思えば、」

大王は地獄逝きを告げるのと同じ口調でそう言う。大王秘書の地位に就いてからその声が一度たりとも自らに向いたことはなかったため、正直少し怯んでいた。
目を逸らしてしまいそうになるのを必死にこらえながら見つめる彼のそれは赤々としていて、彼が普段苦手だと言っている血を連想させる。
その赤の放つ殺気やら威圧感やらに、仕事着の裾を強く握って耐えていた。

「…鬼男くん?」

強く握りしめすぎて小さく震える右手に気付いたのか、大王は嘲笑うような口調で僕の名を呼ぶ。
その声にびくりとしながらも、装飾の多い寝台に腰掛ける大王のすぐ目の前に向かい合う形で立っているので、成る程震える右手はすぐにばれたのだと、どこか頭の隅で呑気に考えていた。

「俺と向かい合ってるだけでこの様なくせに、よくも生意気な口が聞けたものだね?」


するりと右手の甲を撫でられる感触に背中がぞわりと粟立つ。
この人の言うところの「生意気な口」とは、先程僕が提案した「罰を大王と共に受ける」と言うことだった。
否、提案というよりも願望に近い。毎日毎日、この人が銅で焼かれ肉を裂かれ、あらゆる苦痛を味わわされるのを見るのに、僕が堪えられなくなっただけだった。ならばいっそ僕も共にと。
開かれた大王の口からは、先程とは打って変わって随分と優しい声色が出された。


「君が俺を憐れんでそう言ってるってのは知ってるよ。でもね、これは譲れない。」

これ、と大王は昼間に新しくついた火傷に触れながら言う。

「…痛みならいくらでも堪えます。僕には貴方が傷つくことの方が堪えられない。」

立場逆転、僕の手を大王のそれに重ねた。しかしそれは緩慢な手つきで、だが確かに退けられる。

「……好き同士だからってなんでもお揃いにしたがる歳じゃないだろ。」

「そんなことを言ってるんじゃないでしょう。」

「同じさ。要するに自己満足。」


皮肉気に言った大王の顔は本当に辛いもので、僕の身を案じる故の虚言ではないと理解できた。

「では今から先受ける苦痛は一欠片たりとも僕に譲る気は全くないと。」


「うん。」


「何故ですか?僕の知る限り大王は痛め付けられて悦ぶ部類の人間では無かったはずですが。」


言えば大王は少し眉尻を下げて困ったように笑った。

「そうだね。俺もそんな趣味を持った覚えはないなあ。いくら死なない身体だからって、痛覚はちゃんと働いてるわけだしね。」


「なら…っ、」


どうして、という言葉は出なかった。
今まで小さくとも湛えられていた笑みがさっぱりと消え、射抜くような瞳をこちらに向けたからだ。


「痛いからこそ価値があるんだ。罰なんだから。」

「…え、」

不意に出た僕の声は震えていて、なんとも弱々しいものだった。

「ある程度の規定があるとはいえ、審判を下すのは俺なんだ。亡者たちだけに裁きが下るのはおかしいだろ?俺だって人間を不幸にしてるのに。」

「そんな、それは自分の意思でやっているわけじゃないのに、」

「ふふ、今日も一人そう言った男を地獄に送ったよ。彼ね、あの時は殺さなきゃ逆に俺が殺されてたんだ って、仕方なかったんだ って最後まで言ってた。」


「それでも……っ、」


それ以上何も言えなくなり俯いた僕を、大王は寝台から立ち上がり抱きしめた。

「良いんだ鬼男くん、これが俺の救いだから。」

耳元で囁いた言葉は僕に止めを刺すためだったのか、自らの罪を確認するためにだったのかわからなかった。
それでも言われたありがとうとごめんねに、僕もせめて一番辛い選択に堪えようと決意する。



「いつか、貴方が幸せに生きていける日々を願います」



背に回された両手の平に、少しだけ力がこもったのを感じた。
雨は未だ強く地面を打ち付けている。






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