日和
□マイナス二度の手の平とサイドテーブルのグラス
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浮遊感が気持ち悪い。
-マイナス二度の手の平とサイドテーブルのグラス-
ごほ、と自分の掠れた咳で意識を現実に引き戻した。春先という季節故か否か、とにかく久しぶりに風邪を引いた。
今日は朝、親に学校休むと一言告げてからずっとベッドの中。重い瞼を持ち上げてサイドテーブルに視線を持って行くと3時と20分を指した時計とケンジが目に入る。
「って、えええええええええなんでケンジが居んのっ、げほ」
「ほら急に騒ぐからだよ馬鹿だなあ藤田。」
ケンジは咳込む俺の背中をさすりながらもそう指摘する。
急も何もお前が原因だろうという文句は咳のせいで発せられることはなかった。
「げほ、ってか、なんでケンジが俺ん家に居んの。なんで普通にベッドの横に座って俺看てんの。」
問い掛けると、ん、と渡されたプリントの束。
「今日の分の。担任がどうせ家近いんだから持ってけって。」
「…で。」
「俺来たときちょうどおばさん買い物行くとこで、ちょうど良いから帰ってくるまで藤田見ててって言われた。」
「あんの母親…」
そう言いながら何も考えずにケンジを部屋に上げた母親に怒り半分感謝半分。風邪で寝込んでる時の顔なんて見られたく無かったが、やはり起きてすぐ恋人に会えるってのは嬉しいもんだ。
そうかと返事をしたところで視界が揺らいだのでまた目を閉じ布団に埋まった。
「…藤田?」
「…眩暈してきた。気持ち悪い。」
視界を真っ暗にしても尚揺れ続ける脳みそに吐き気を感じ眉根を寄せた。
「何、お前熱あんの?」
「…朝計ったら38度あった。」
えー!と大袈裟に騒ぐケンジの声が頭に響いて眉間のしわが増える。も、良いから黙ってて静かにしてて、なんて言えるわけないんですが。
そんな頭痛とケンジの声とでぐるぐるしてる頭が急にひやりとした。
心地好いその温度にうっすら目を開けると案の定ケンジが俺の額に手を乗せている。
「わ、ほんとだあちぃ…」
「…あ、」
離れていった温度に思わず声が漏れる。しまった、と思った時にはもう遅かったらしく、その声はケンジの耳に届いていた。
「ん、ああ、薬か?おばさんが置いてったぞ。藤田起きたら飲ませといてって。」
「え、」
ぐるぐる揺れる頭で必死になって言い訳を探していた俺に助け舟を渡してくれたのはケンジ本人だった。
ああ、薬ね。そうそう薬薬と慌てて返事をした俺はサイドテーブルに置かれていた薬を一気に水で流し込みながら、ケンジに甘えるきっかけを失ってしまい少し残念に感じた。
「どう、楽?」
「…そんなすぐ効かねえだろ」
そんなやり取りをしている間にも俺の視線はケンジの手に釘付け。もっかい手、乗せろなんて念を送ってみても届かない。
風邪を引くと心細くなると聞いたことがある。その時の俺はまさにその状態であって羞恥心や自尊心その他諸々は熱によって溶かされていたんだと思う。つまりは念が俺の掠れた声となって零れ落ちた。
「……ケンジ、手…」
「…あ?」
「頭、に置いてて……」
布団から腕だけを出してよく見知った学生服の端を掴んだ。
「っ、お前…」
そう言って全く動かないケンジを不思議に思い見上げようとするが熱のせいで溢れてくる涙でケンジはぐにゃりと歪んで見えた。
「涙目でそんな言動するなんて恐ろしいよ藤田。俺に病人襲わせる気かよ…」
「…お前の方が恐ろしいわ」
そんなことを言いつつも額に当てられた温度が心地好くて、そっと視線を下に降ろした。
「そんな気持ちいいか?俺そんなに体温低い方じゃねえんだけど…」
「ん、…気持ちい、よ、ケンジ…」
その低くはない温度に段々と意識を持って行かれていた俺は、夕日が反射してきらきら光るサイドテーブルのグラスを見たのを最後に夢の世界へ旅立った。
だからあのケンジが顔を赤くして治ったら覚えてろよ、なんて恐ろしい事を言っていたのを俺は知らない。
-マイナス二度の手の平と サイドテーブルのグラス
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