-掌編小説-

□少年 水槽
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 目を覚ますと冷たいコンクリートの廊下が続いていた。教室の扉は閉まっていて、人の居る気配はしなかった。
周りは薄ぼんやりとぼけて、所々に白濁した霧がかかっている。
それは緩やかに流れ、辺りを霞ませてはまた明瞭にした。


 静かに半身を起こした。月明かりが窓から射して来る。空気がひんやりと澄んで肌に触れた。
 雨が降っているのだろうか。珍しい。
月が見えるのにさあさあと水の音が聞こえた。


 しばらく歩く。廊下は足音さえしない。裸足だったからかも知れない。三階から二階に続く階段を下りてまた廊下に出た。
一つ、教室から明かりが洩れている。他は何もなかったから、そこへ近づいた。

 近づくとそこは生物室だとわかった。ドアは開けられていて中が窺えた。
 覗く。前には、一つ、大きな水槽が置いてあった。


「君は――誰」


 水を湛えた体が弱い光の中で僅かに光った。調整されたぬるぬるする水を滑らせるその肌は何か違う生き物のように両の腕を水槽から出した。


「――カスミ?」


 香澄はそこからずるずる這い出してくると目の前まで来て座った。彼は何も服を着ていなかったけれど、その体はどこか人間離れした感じがした。黒髪が宿す青色の色合いは確かに幼馴染のそれだった。


「ミサキ」


 彼は、短く言った。
 こちらの事を覚えているようだった。手を差し伸べると、しがみつくようにして立ち上がった。
 粘性の液体が深咲の学生服に染みた。


「月を見たの」
「月」
「満月だった」


 香澄の眼が死んでいた。
 薄青の眼が虚空を見るように彷徨った。深咲はその視線の先を追った。

 廊下の窓越しに、白い月が見えた。

 半分に切れた月が真っ黒い空の中ではっきりと見えた。

 それから香澄が正気を失っている事もわかった。



 ああ。



 そして目が覚める。


 朝の光がカーテンを透過してきた。
 香澄が死んだのを聞かされたのはその日の昼。


 最後に見た香澄は、真っ白な顔をして、たくさんの水を飲んだんだと思った。




 きのうは満月。

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