-掌編小説-

□僕と風邪引きサボテンの日記
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僕のサボテンが風邪を引いた。
名前をクラウスという。
何故、風邪を引いたのかはわからない。
ただ、実際に風邪を引いている。

僕がそれに気づいたのは、いつものように彼を眺めているときだった。
どこにもおかしいところはなかった。
ただ、いつもより少し元気がない気がした。
いつもなら、おはようを言うまでもなく、彼のハイテンションの陽気なオーラが嫌というほど僕を迎えてくれる。彼のポテンシャルには驚かされるばかりの僕である。
しかし、今日の彼にはそんな覇気がない。
なんとなく暗い。
暗いサボテンって表現は微妙であるが、実際普段の彼と比較するとそんな雰囲気なのだ。
水やりはしたし、日光もたっぷりで、栄養剤は秋にやった。
具合が悪いとしたら何かの病気になったとしか思えない。
かといって、カイガラムシがついたわけでもない。うちの子は室内飼いである。
念のため、彼を土から抜いて根っこを調べてみたが、特に異常は見つからない。
頭をひねった僕は、本体が見えないところで腐敗している可能性を考えて、棘と棘の隙間に、頑張って小指を差し入れて触ってみた。
そうして僕は頭を押さえた。
彼は発熱していたのだ。

どうしたらいいのか一しきり悩んだ。
彼は咳もしなければ横になるわけでもない。
当然である。
彼の唯一の無言の訴えがこの熱である。
サボテンが熱を出すなんて話は聞いたことがなかった。
夏場に与えた水がお湯になってしまうことがあると聞くが、今は真冬である。窓辺ではあるが、直射日光が当たるようなヘマはしていないから日焼けでもないだろう。
とりあえず少し横にしてやろうかと思ったが、棘がもろに布団に刺さったので、植え替え時に使用する俗に言うプチプチを下にして寝かせた。
氷嚢を持ってきたはいいが、彼に乗せた瞬間にビニールが破けたので、小さく切った冷えピタを棘を貫く形でくっ付けてみた。
これでいいのだろうか。

悩んだ挙句、結局園芸家の友人に電話してきてもらうことにした。
こういう時のプロである。

友人は来るなり、クラウスをまじまじと眺め、僕が頑張って貼り付けた冷えピタを簡単に剥がした。
根っこの様子も見ていたようだったが、一しきり見終わると、風邪だね!と笑顔で言った。
待ってくれ、サボテンの風邪というのはそんなに珍しくないものなのか。
奮闘していた僕がバカみたいじゃないか。
友人は笑って言った。
「サボテンの風邪なんて初めて見たけど、多分風邪だよ」
初めて見たとは思えない思い切りのいい発言だったな。
大丈夫なんだろうか心配になった。
「多分、外から入ったウィルスを根っこから吸収しちゃったんだね。彼の免疫はかなり落ちていたと見える。君、換気はいいけどサボテンは寒さに弱いんだよ?知ってるだろ。気をつけてやれよ」
まさかの僕のせいであった。

僕は大いに反省した。
僕が熱心に仕事に打ち込んでいる間、彼は風邪を引いたのである。
9時5時仕事の僕は朝起きて換気をし、そのまま小さめの窓を開けたまま仕事に行き、帰ってきて暗くなる前には閉めることにしていた。
しかし最近の冷え込みは確かにひどい。サボテンには酷な環境だっただろう。
彼がウィルス感染するほど弱っていることにさえ気づかなかったなんて、僕はなんという仕事馬鹿であったのだろうか。
ああ、僕は君のためにしばらく仕事を休もう。僕のただ一人の家族(一人暮らしの上で)が、こんなに弱っていただなんて。
会社には家族が危篤だと言っておこう。そしてしばらくは彼に付きっ切りの看病をするのが家族たる僕の義務であろう……。

そんなことを僕が考えているうち、友人は素っ頓狂な声を出した。
「ほら!君!やっぱり風邪だよ!鼻水が出てる」
待て。鼻があったのか。
ここを見ろという友人の手元を覗き込むと、確かに棘の生えている部分から透明な液体が出ている。
これは……。これは鼻水なのか……?
いや、どちらかというと、人間の汗腺に近い気もする。
とすればこれは鼻水ではなく汗なわけで、汗が出ているからには熱がこれから引く可能性も高い。
いや、落ち着こう。
これは鼻でもなければ汗腺でもない。刺座である。
刺座から液体が滲み出るなんて、大変な病気なのではなかろうかと僕は焦ったが、友人は、いや、風邪だよとあっさり首を振るばかりだった。彼はポケットからサボテン用の肥料らしきキャップ付きのスポイトを取り出した。
「とりあえず、この肥料を明日の朝にやってくれ。3日しても治らないようならまた呼んでくれよ。その時はまた違う方法を考えよう」
さすがはプロであった。

笑顔で帰っていく友人を見送ると、僕は暖房を入れて部屋を暖め、クラウスを自分のベッドサイドテーブルに置いた。
そう言えば昔、彼が小さいサボテンだった頃、よくこうして一緒に眠っていた。彼は僕が寂しい時にはいつもそばにいてくれたし、仕事で忙しいときも何も言わず、ただひっそりと僕を見守ってくれていた。
なんという控えめで優しい子だろうか。
それがサボテンという生き物である。
僕は昔よく彼と共に聞いていた音楽をかけることにした。
ショパンのノクターン集である。
せめて、高熱の彼に安らかな睡眠を提供したい。それくらいはしてやるべきだろう。
栄養を取ってたっぷり寝る。これが一番の風邪薬である。
いや待てよ。それ以前に今起きてるのか?寝てるのか?どっちだ。
というか、途中で眠ったとして、どこから寝ているのかわからないぞ。
わからないのでとりあえず僕は、トラックを一周させることにした。
隣で彼の寝顔(わからないが)を眺めていると、なんだか久しぶりに安らかな気持ちになった。
僕は彼から滲み出た液体をティッシュをこよりにして拭き取ってやり、そっと口付けた。

しばらく、僕の唇は棘が刺さって腫れたけれど、そのくらいなら愛の証明である。
彼の愛は、優しくて少し、痛かった。

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