-創作BL-

□水の中の花
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水の中で
身体が溶けてくみたいだ
液体化した細胞が
染み出てなくなってしまうような


The flower in the water
水の中の花



消えてしまうかと思った。
見下ろすと蒼白い月。
深く水の底にただ居る。空を沈めて、ただ深く、何処までも、地よりも底へ沈む空。
水面に映る。

手を伸ばせば反射した光が、腕に。
不確定に揺れる白い光。
かき回す。散る光の影。ぼやけて歪む。形を崩していく。
俺みたいに。


水面を覗き込む。顔に水影が映っている。光の反射だ。それがあまりにも碧くて一層、血の気さえ奪う。

生きているのか死んでいるのか区別もつかなかった。瞬く。

座り込んで、溜まった水に足を漬けた。透明な水だ。綺麗な、汚れさえない。

この辺りは川が綺麗だから、その溜まりになっているこの池も、汚れが入らない。泥さえ舞い上がらない。水は澄んで、ただ静かに碧く、生の鼓動一つ感じさせない。

死んでいるんだ。

こんなにも静かに。音もなく、生きているように、死んでいる、この池は。

ここじゃ魚一匹見かけはしなかった。
ここは、生きてるものが来る場所じゃないから。

ここに流れ着くものはみんな死んでいる。
冷え切って、体温さえないまま、地に帰りたがっているものだけが。

服を、脱いだ。
学ランを脇に置いて、ワイシャツのボタンを外した。

裸足で、ズボンのまま、数歩進む。音も無く波紋が立つ。透けるような冷気。冷たさが足に触れる。

このままもっと冷えていたいと思った。
体温が奪われていく。静かに。死んでくみたいに。何もないように。

溶けてく。体中の水分が、肌から抜け出していくような錯覚。
身体は溶けて染み出してく。浸透圧のまま、水の中に。

後ろから、声をかけられた。振り返る。
青年が立っていた。
茶色の短い髪と、高い上背。今年社会人になったばかりの彼は、幼馴染に似ていた。
顔を見る。ただ、意識は別の方へ飛んで頭を支配する。

肌の匂いを感じた。実際に匂いなんてしなかったけれど、気配が。
その、体温とか、あるいは、心音とか。生きている温度。彼を見ていると、そういうものを、思い出す。

幼馴染にはない、温度を知っている。
幾度も触れた、肌の温度。生きている、唯一の、頼り。ただ、不愉快に怖いような、嫌な温度。

彼が居ないと生きてはいけないだろう。

ただ、求めるほどに拒む心。

触れるたびに壊れていくような恐怖。戻れないほど頭が侵されていくような恐怖。

彼の体温が唯一自分をこの世と繋ぎ止めていた。ただ、同じくらい感じる不快感と恐怖が、頭を支配して。

気分が悪くて倒れそうになった。
水を被る。

水は、綺麗だ。いらないものを流す。身体の汚れも、心の汚れも、もっと、様々なもの。
水に触れている間は、死んでいられた。

水の持つ冷気は身体に死の匂いを纏わせた。安心する。それは、怖いけれど、彼と居るときよりはほっとした。

「香澄」

声。
静かな。
この水のように。
もう一度ゆっくり振り向いた。彼は手を伸ばす。

「恭兄」

彼の手。
それが腕を引いた。
実に的確に、無駄の一つもない動きだった。

恭の手が傷に触れる。左手首に残った傷跡。古いものから、まだ血の滲んでいる痕まで。それが、嫌で、腕を払った。
この傷が全て、彼のせいだと言ってやりたかった。無性に嫌な気分。

ナイフがあればいいのにと思った。その胸に刺してしまいたい。切りつけて。もっと、血が流れたらいいんだ、恭は。
ずたずたに切り裂いて、殺してしまいたかった。滅茶苦茶にして、俺の前から居なくなってしまえばいいのにと思った。

死んでしまえばいいのに。

俺みたいに。

多分、好きなんだ。鬱陶しいほど。
好きだから、どうしようもないから、おかしくなりそうだ。

それが嫌だ。だから、殺してしまいたいんだ。
引き裂いてしまいたいほど。

「何しに来たの?」

「お前こそ何してる」

死ぬ気かって、訊かれた。ここで死ねると思うのと返した。

「死ねないって?」

「死ねないよ。――足でも縛って沈めば別だけど」

反射する水面を見る。
揺らぐ月。綺麗な。
身体を沈める。心地いいほど刺すように冷たくて。本当にここで死ねると思った。
死ねたらいいと思う。でも、恭の前で死ぬのは、ちょっとな。
この人に死体を見られるのは、なんだか、癪だ。
その前に殺す。きっと。

「帰ってよ。水浴びをするんだ。それとも俺の裸が見たいって言うほど、恭兄は変態だった?」

「――酷い言様だな。お前みたいな精神不安定なやつを水辺になんか野放しにしておいたら、大変になると思ったんだよ」

「大変って恭兄が?それとも地元の人?ここで死なれたら町のイメージダウンって?」

足で水を蹴った。恭の身体にかかる。
跳ね返したかった。突っぱねて。攻撃的になる。
この人と居るときは、自分が、暴走していく。滅茶苦茶な気分。全部壊してしまいそうな。壊れてしまいそうな。

恭は冷たいな、と言うと、結局縁の石のあるところに腰掛けた。
その冷たいは態度に対してか水のことなのか分からなかった。恭の姿を少し睨む。

「――言っとくが、ここに居るのは俺の勝手だろ?お前が帰れって言ったってそんなの知らない。俺も悪いがこの後水浴びしたいんでね」

嘘つきだ。水浴びなんかしないくせに。

ふいと目を逸らして無視することにした。仕方ないからそのまま服を脱いだ。ホントに水浴びするのかって訊いてくる。それも無視した。

水に手を漬ける。透明な青。足元の砂が見える。

本当に魚の一匹くらい居てもいいのに。

後ろでカチ、とライターの音。煙草吸うんだろうか。俺と同じ、銘柄の。
煙草なんて嫌いだ。でも、それを俺に教えたのは、恭。

煙草も酒も、何もかも、恭から習った。いいことも、悪いことも。
彼は自分の弟にすら教えないことを、俺に教える。俺と彼だけ知っていることって、結構あると思う。

まるでこの人自身が俺に染み付いてしまったような。風呂上りの煙草の煙みたいに。
俺は言った。

「ホントに帰れば?深咲が心配するんじゃない?」

自分の兄が仕事が終わっても一向に帰って来ないんじゃいかがわしくも思うだろう。残業なんて殆どないんだから。

「大丈夫だよ。深咲は慣れっこだから」

「慣らさないでよ。夜遊びしてると思われてるんじゃないの。自分の兄貴が毎晩夜遊びしてると思ったら最悪」

「その相手がお前だって分かってんだから問題ないじゃん」

「自分の兄貴の夜遊びの相手が幼馴染だって分かったらもっと最悪」

はは、と恭は笑った。

「まあ、別に変なことしてる訳じゃないんだし。ただ夜にちょっと外で会ってるだけだろ」

「それが人気のない水辺で一人は裸、て時点でもう怪しいよ」

その状況を作り出したのはお前だろって言われた。恭が帰ればそんなことにはならないのに。そう思ったけど結局また黙った。

身体を動かすと立つ波紋。月明かりが不安定に煌いた。微かにぱしゃ、と水音。
掬い上げた水を指の間から零した。

「――水の中って、何か楽なんだ」

恭が顔を上げる。俺はそっちには目を向けないまま。恭の視線が身体を這うのを感じる。

硫酸みたいに、熱く身体を溶かしていくような。このまま突き抜けてしまったらどうしよう、と思うような、視線。

「身体が、このまま溶けるみたいな。体中の水分が抜けてくみたいなんだ。俺の体中の液体が、浸かってるうちに、外に出て行くような感じ。――恭兄が傍に居ると、余計そう思う」

「何だそれ?」

「恭兄が居ると、俺が壊れてくんだ。――溶けて、身体もドロドロになって、体液が溢れ出す。――そういう感覚」

水を掬って、頭からかけた。冷たい。銀色に煌く雫。その飛沫が肌を濡らしていく。

「――でも俺、恭兄になら、全部見せられるよ、きっと。そのうち、――ホントにそういう日が来る。恭兄が居たら俺は壊れるんだ。そして流れる。涙も、血液も、精液も、全部」

「せ、――は?」

「恭兄が俺を殺すんだ。俺を壊して、俺が恭兄を殺す。恭兄が死んだら、俺は自分で死ぬ。だから俺は恭兄に殺されるんだ」

妄想だ。言葉の全ても。先に進みすぎる。ただ、そういう予感はしていて。だから、言葉になる。怖いくらい。それは怖くて幸せな。

妄想。

恭はえーっと、と頭を押さえて唸った。俺はその姿を黙って見つめる。
駄目だ、彼と居るときはいつまでも思考が纏まらない。激動する。考えも言葉も頭も追いつかない。
先ほどまでの攻撃的な思考さえ幾分治まっていた。

恭は俺がお前を壊すって?と訊いた。

「そうだ」

「そんなことはしないよ」

「壊してよ」

バシャンと水を切る。歩いて恭の前に立った。恭の顔に水をかける。それから、座り込んでその身体を抱きしめた。
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