-小説-

□座敷牢
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 もう、話し掛けないでくれ。

 言ったはずだ。僕は朔月だ。他の誰でもない。僕はお前じゃない。分かっていることだろう?紗月。お前がここに居ていいわけない。そう、僕は一人で十分なのだから。

 僕の前に紗月が現れるようになって、僕の姿で、僕の声で、彼は別の名を名乗り、別人のように振舞う。彼は、僕の中から突如生まれた、剥離した、別個の、気味の悪い有害なものなのだ。

 いつもふと気付くと彼の声が頭の中で聞こえた。
 僕の言葉で、僕の身体で彼は僕を蝕んでいく。

 ああ、頼むから、僕の前から消えてくれ紗月。もう限界なんだ。

―――消えてくれ紗月――?
――消えるのはお前だ朔月。

――俺は最初からここに居たんだ。お前は、俺の記憶を全て引き継いで俺から出来た偽者だ。まだ逃げているのか?認めたくないからそうして己の殻に閉じこもっているのだろう?お前は俺なんだよ朔月。俺の中の一部に過ぎないのさ。

嘘だ。
それはない。それはお前の方だ。

――違う。冷静になれよ、お前はだれなんだ?お前はここの当主か?本当にそうか?
なんのことだ。

僕は……?僕はだれだ?僕は――。

――お前は朔月。志賀朔月?そうなのか?本当にそんな奴はこの家に存在するのか?

何を言ってる?そう、そうだ、僕は朔月だ。ここの当主だ。

――ここの当主は清隆だ。お前じゃない。家政婦の奴がそう言ってただろ。お前の名前は最初から遺言状に書かれてなかっただろう?

嘘だそれはない。
そんな事あるはずない。確かに見たんだこの眼で。

――……どの眼で?



「来てくれてよかった」

清隆は奥の間に利明を通すと茶を入れてくれた。
もともと茶など殆ど入れたことがないのだろう、ひどく薄かった。
利明は茶には手をつけずに、少し穏やかな表情を見せる清隆の様子を窺った。

兄・朔月の容態が良くないのは明らかだ。
若くして亡くなった父の遺言状では、朔月は確かに後継ぎとされていた。

当主と財産権を無断で変えてしまうようなことは普通有りえない。
つまり普通の生活を送るのが既に困難なほど、兄の様子は悪いということだ。朔月は本来ここの嫡男であるというのに。

利明がもの言いたげにしていると、清隆は黙って立ち上がった。まだ帰ってきてからゆっくり話もしていないのに、彼は直接朔月に会って欲しいと言った。

「弟のお前に会えば、少しは良くなるかも知れない。あいつはずっと独りだったから」

「――そう――」

暫く会っていなかった兄が今、苦しんでいるなら助けてあげたい。
都会に出てから家からの知らせは良くないものばかりだった。一体どうしてしまったのだろうか。
昔は――あんなではなかったのに。
利明が僅かに俯くと清隆は少し苦笑いを浮かべた。

「そうしていると本当にそっくりだな――朔月と。――十年前のあいつは丁度、そんな感じだった」

兄弟だな、と後ろを向くと襖を開ける。清隆の静かな物言いが、今の利明にはとても痛かった。
本音を言えば、朔月よりも清隆の方がずっと主に向いているように思えた。
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