桜が咲いていた。
薄紅色の世界の中に見た苺色がとても綺麗で、脳裏に焼きついて離れない。
だって、あの色が欲しくなってしまったの。
忘れられなくて、この広いキャンパスを見渡した。
バスケットゴールがひっそりと立つ草むらの奥。
若草色に輝いた世界のその先に見たもの。
愛なんて知らなかった私が、息を潜めるくらい大切にしたいだなんて。
あなたの愛になりたいだなんて。
『その先に見たもの』
1章 勿忘草
―1―
ああ、音が氾濫している。
横切る広場の階段を登りながら、そんなことを思った。
昼休みのキャンパスは人混みがあちらこちらに固まっていて、それぞれがそれぞれにわいわいがやがや。
ゼミのレポートの締め切りだとか、別れた彼女の香水のことだとか。
そんな雑音を振り払うように早足で歩きながら、
あの人なら、こんな時に何を感じるんだろう
なんてことをふと思う。
…やめよう、今考えるのは。
思わず立ち止まった両足に気付いて、右足を踏み出した。だって、考えたって答えなんか出ないんだから。
そしてそれは次の左足が地面に着いた瞬間。
「始まるぞ」
誰かのそんな声と一緒に、スピーカーを通したアカペラが、大学内に響き渡った。
低くて掠れて、だけど甘い声。
ワンフレーズ、…私は動くことも出来なかった。
入ってきた楽器の音にも紛れたりしない、艶めいた言葉とメロディが紡がれて、どうしたって私の耳から振り払うことが出来ない。
横目でちらりと人だかりの向こうを見たら、一際高い位置に苺色の頭が覗くのがはっきりと判ってしまった。
息が止まる。
気付いたら、私の足は彼を取り囲む人の塊に向かって走り出していた。
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