神様の珈琲

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「あれ、カイ兄じゃない?」

近所のデパートのフードコートで立ち止まったリンが、ふいに雑踏の向こうに視線を投げたので、メイコもレンも振り返った。3人の視線の先には、ひょろ長い青い影がいる。
「本当だわ」
メイコは特に何を思ったでもなさそうに言った。
「でも、ウチのカイ兄じゃないね」
レンも言った。彼らと同居している『KAITO』は、今日は家に居るはずだ。
「珍しいよね、外でカイ兄見るの」
リンが言うので、一緒に住んでいて失礼だとは思ったが、メイコもレンも頷いた。自分たちボーカロイドが人間にとって高価だということは、感覚では分からなくても知識として理解している。だから認知度は高いが普及しているとは言いがたく、人の中に混じれば当然のように目立つし、他のボーカロイドに会うこともほとんどない。しかも『KAITO』は兄弟姉妹(シリーズ)の中では、需要の少ない型だった。
それを考えれば、自分たちを揃えておいて1番人気の『初音ミク』だけ持っていない彼らのマスターは、やはり少し変わっている、と3人は同時に思った。
「でもさカイ兄、この間迷子の『KAITO』を駅まで送ったって言ってなかった?」
「言ってた言ってた!自分と同じ顔と話すのは、変な感じだったって」
しかもその後帰ってきた彼らマスターが、大学で他の『KAITO』と出会って、素直な良い子だったと話していたのを思い出して双子がきゃいきゃい言い出す。

「・・・・ひょっとして、そのカイトじゃないの?」

メイコの一言に、騒いでいた双子はぴたりと黙り、3人は示し合わせたようにお互いの顔を見合わせた。そしてニヤッと笑うと、ひょろりと立っている青い影の方へと走り出した。


フードコートに立ち並ぶ様々な店の内、カイトはファーストフード店の前で並んでいた。マスターの環はすでに席を取りにフロアにいる。カイトはメニューを見上げながら首をひねる。
環からはアイスティーを買ってくるように言われている。そしてカイトも好きなものを買ってよいと言われた。しかしファーストフードに初めて来たカイトは、何を選べばいいのか分からない。そう環に言えば、『何でもいいから、興味が向いたものでも選んでおいで』と背中を押された。
もうすぐカイトの順番がまわってくる。
(どうしよう、選べない)
何でもいいような気もするし、どうせだったらおいしいものを選びたい気もする。席に着いた環を振り返れば、小説を読みながら待っていてカイトには気付かない。
(むぅ・・・、ホットチリサンド・・・は、やめたほうがいい気がする)
妙に赤く彩られたポスターを見て、カイトは目をそらした。
(僕らはおなか減らないんだし、僕も飲み物にしようかな。・・・うーん、バニラシェーキ、かな)

「うn、げふっ!!?」

とりあえず決められたことに安心していると、急に腰辺りに横からガスンと衝撃が来た。あまりに重い衝撃に、カイトは列からはみ出そうになったが、何とか反対の足を踏ん張ることで耐えた。
「な、なに・・・っ!?」
驚いていまだ重い自分の腰を見下ろすと、白いリボンが揺れる黄色いものが引っ付いていた。
「え・・・」
それが何か一瞬認識できずいると、それがぱっとカイトを見上げた。

「カーイ兄♪」

あどけなさが残る可愛らしい笑顔が、見合った可愛らしい声を出した。その顔を、カイトは知っている。

「鏡音、リン!?」

「えへへ、あったり〜!」
何が楽しいのか、鏡音リンはニコニコと笑ってカイトを見上げる。そして近寄ってくる人影に顔を上げてみれば、リンとそっくりの顔をした鏡音レンとMEIKOがいた。

「鏡音レン、MEIKO・・・」

何が何だか分からず、カイトはただ呆然とその名前を呟いた。
「フルネームで言われると何か他人行儀だなー、他人だけど」
「ふふっ、・・・はじめまして、よね」
メイコがとりあえず挨拶のように問えば、カイトは混乱を残したままアワアワと頷く。
「あの、・・・初めまして?」
カイトは何故3人が自分のところに来たのか分からないまま、環に最初に教えてもらった通り挨拶しながら手を差し出した。
「カイト、です・・・」
相手の意図が分からず、口調からは普段からない覇気がさらに抜けていく。
一方で3人は差し出された手をきょとんと見つめ、しばらくしてからメイコが握った。

「本当に、ウチのカイ兄とは違うねー」
「何て言うか、マスターの教養の違いじゃね?」

感心したようにカイトの腰にしがみついたままリンが言うと、レンも失笑しつつ言った。
メイコはいまだ頭上に『?』を浮かべているカイトの手を離した。

「ウチにも1人、『KAITO』がいるのよ。外で他のKAITOを見るのが珍しかったから、声をかけてみようってことになって」
「え、KAITOが?」

自分の名前が出て、初めて怪訝そうな顔から表情が動いた。

「そのあたしたちのカイ兄がね、この間迷子の『KAITO』を駅まで送ってあげたって言ってたの」
「え」
「しかもその後帰ってきた俺たちのマスターが、忘れ物を大学にまで届けにきた健気な『KAITO』に会ったって言ってた」
「え」

同じ顔の少女と少年が交互に言う。目を白黒させるカイトを見てメイコは苦笑し、本人を前にして失礼かと思いつつも、結局口にした。
「『KAITO』は需要低いでしょ?でも最近私たちの家族が『KAITO』に会ってるし、私たちも今たまたまあなたを見つけた。だから、あなたがそうなのかな、って思って」
カイトはやっと、何故自分がリンたちに絡まれているのかを理解できた。

「じゃあ、あのカイトさんのマスターさんが、大学で助けてくれた人なんですね」

そうそう、と黄色い頭が二つ縦に揺れる。
「そしてそのご家族があなたたち、なんですね」
うわあ、とカイトは目をキラキラさせる。


「とても、素敵な偶然ですね!」


そう笑うと、自分にくっついているリンの頭を撫でた。環からはよく撫でられるが、カイトが誰かを撫でたのは初めてだった。
「カイトさんには、本当に色んなことを教えてもらったんですよ。あの時僕は緊張してて、お礼もあんまり出来なくて・・・・、どうしたんですか?」
カイトは3人が妙な顔をしているので、自分はまた何か失態をしたのかと不安になる。すぐに反応したのはレンだった。
「いや、ホントーーーーーーにウチのカイ兄と違って純粋だなあ、と」
「純粋、っていうか温和?」
メイコもむしろ呆れたように呟く。一方でリンは、カイトにぐりぐりと頭をこすりつけている。
「ううーん、いいなーいいなー、こういうカイ兄もいいなー!」
カイトはよく分からず首を傾げた。

「お次のお客様ー」

店から声が飛んできた。そうしてカイトはやっと、自分がマスターからお遣いを言い渡されて店に並んでいたのを思い出した。
「あ、はい!」
リンを優しく引き剥がすと、カイトはカウンターに向き直る。
「えと、アイスティーとバニラシェークを一つずつで」
「アイスティーのレモンとミルクはどちらをお付けいたしますか?」
「え」
笑顔の店員に、カイトは固まる。どっちだろう、とフロアの環を振り返るが、あれだけ騒いでいたにもかかわらず環は小説から目を離してはいなかった。
(マスターすごい集中力)
カイトの中で一瞬、『マスターすごい』と『どうしよう』という想いがごちゃ混ぜになって、カイトは頭を振る。
「えーと」
間違えたらどうしようマスターに怒られるいやマスターなら怒らないけどでもそれってマスターに甘えることになるんじゃ、などカイトの頭はグルグルする一方でまとまらない。


「「「とりあえず、両方で」」」

鶴の一声、と言えるような画期的な一言のように、カイトは感じた。それはメイコとリンレンの三人のハーモニーだった。
「かしこまりました」
店員はぺこりと頭を下げると、準備に向かう。
「・・・・ありがとう、ございました」
カイトは、確かにそうすればいいんだ、と思いながら3人に礼を言った。



人影が傍に寄って来て、環はやっとカイトが買ってきたのだと思い顔をあげて、目を丸くした。
目の前には確かに、トレーを手にしたカイトが居た。そしてその後ろになにかたくさん、いる。
環は彼らに見覚えがある。ボーカロイドの施設で、『彼ら』を見た。いや、実際見たのは『目の前の彼ら』ではないだろうが。

「MEIKOと鏡音リン・レン、だね」

環は小説を閉じて立ち上がる。
「はじめまして、鳥羽環です」
そう言って、カイトの後ろに居るボーカロイドの3人に手を差し出した。すると年少の黄色い二人は、やや緊張した面持ちで環の手を見るばかりで、メイコも躊躇う素振りを見せつつ最後には握手した。

「マスター、彼らは僕を駅まで送ってくれたカイトさんちの方々だそうです」
「へえ、じゃあ善史君ちの子たちなんだね」

バイト先で、人懐こく自分に話し掛けてくる後輩を思い出しながら言えば、メイコは照れたように頷いた。

ボーカロイドは、マスターの影響を強く受ける。
おそらく、マスター自身が思うよりもずっと強く。
それは良くも悪くも、ボーカロイドにとってはマスターが全て、という部分があるからだ。似る場合もあるし、反面教師のように正反対になることもある。そのあたり、人間の子供の成長と変わらないのだ。
磐井家の彼らは、家に来た時からマスターである善史から、鳥羽環に対する憧れを聞かされてきた。彼が鳥羽環を兄のように慕っているから、ボーカロイドの彼らにとっても鳥羽環は特別な存在だった。
ファンの心理、畏敬の念のようなものが若干入り混じっている。

だからこそ、ファーストフード店に並んでいる『KAITO』が、この間マスターが言っていた鳥羽環の『カイト』かも知れない、と思うと声をかけずにはいられなかったのだ。

「君たちがリンとレンだね、よろしく」
環は何故だか3人が緊張していることを感じて、緊張を解さなければとニコリと笑って、握手ではなくカイトにしてきたように、その黄色い頭を二つそれぞれの手で撫でた。すると照れながらも嬉しそうにリンもレンも笑った。
「なんか・・・、分かる」
「・・・うん」
レンが呟けば、リンも肯定する。

「何が?」

環ではなく、カイトが口を挟んだ。カイトは環の二人を撫でる手を見て、若干口を尖らせたが、言葉には出さなかったその代わりに口を挟んだのだ。すると意図を汲み取ったのかそうでないのかは分からないが、メイコは笑った。

「やっぱり、貴方のマスターだな、って。分かるね、って話」

そう言って、3人はくすくすと笑った。

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