短編集

□上
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魂とは何だろう、とミクは考える。

ある人は命と言う。
ある人は志と言う。
ある人は精神と言う。
ある人はその人自身と言う。

そのどれもが正解であり、そのどれもが惜しくも間違っている。

概して言えば、結局、失っては生きていけないものだ。





MEIKOが扉を開けると、そこは小さな部屋だった。
ゴシック調のレトロな調度品が目障りでない程度に飾られていて、壁際には一般家庭ではあまり見かけることのない、立派な煉瓦造りの暖炉が誂えてある。その中で、煌々と炎が揺らめいている。
そのあまり広いと言えない部屋の真ん中には、芸術作品と見紛う程の彫刻が刻まれたテーブルと、細やかな刺繍がしつらえられたソファが向き合っていた。MEIKOと向き合う形で、そのソファに深く身を沈めた少女がいた。
高い位置でふたつに結いあげられた緑色の髪は、波打つようにソファに広がっている。

初音ミクだ。

MEIKOがそう認識するのを見計らったように、薄い笑みを浮かべたミクはゆっくりと立ち上がった。

「こんにちは」

少し幼くもある、鈴を転がしたような声で、ミクは丁寧に腰を折った。
「・・・こんにちは」
MEIKOは小さく応える。ミクはそれにどこか満足そうに微笑むと、やはりゆっくりとした動きで移動し始めた。そして煌々と燃える暖炉の傍までやってくると、煉瓦にそっと手を添えた。
「こっちへ」
まるでダンスに誘うように、ミクが手を差し伸べる。MEIKOは促されるまま、ゆっくりと暖炉へと歩み寄った。

「探し物が、見つからないんでしょう?」

疑問形なのにもかかわらず、どこか断定する響きを感じて、MEIKOは頭一つ低い、よく知った人工の顔を見下ろした。自分は、探し物などがあったのだろうか、と思う。だが、ミクにそう言われると、確かに何かを探していたような気もする。
「ええ」
間を置いて応えたMEIKOに、ミクはまた満足そうに微笑んだ。

「きっとこの中にあるんじゃないかしら」

ミクが暖炉を示す。MEIKOは意味が分からずにミクを見返したが、ミクは何も言わず、しれっとした顔で暖炉を示すばかりだ。しょうがなく、MEIKOは暖炉を覗き込んだ。その瞬間。


ゴウッ


と暖炉の中で、音を立てて炎が爆ぜた。大きく揺らめいた火がMEIKOの顔を赤々と照らすので、何かの生き物のように影がうごめいた。しかし、MEIKOはそれに驚いて顔を引っ込めたりはしなかった。機能停止してしまったように、暖炉の炎をそのまま凝視している。その釘付けになった様を見て、ミクは口端を吊り上げた。

「さあ、きかせてください」

神に祈る乙女のように、ミクは胸の前で両手を組んだ。炎がまた、大きく揺れた。





MEIKOが語るのは、一人の男の物語だ。
男は30代半ばの働き盛りでとても健康的だった。性格は誠実で明朗、楽天的すぎるきらいがあったが、彼を慕う者たちがそれを補っていた。

ある日、男は一人の女と出会う。

女はことさらに美人というわけではなかったが、清楚で大人しく、控え目に笑う女だった。
出会いは、男の会社が社員に義務付けている健康診断の帰り、病院内にある喫茶店で、混む時間帯だったのか相席になったのが始まりだった。
人見知りをしない男は、食事の間気まずくないように、積極的に話しかけた。それは別段その女が気になったから、などではなく、単に男がそういう性格だったからだ。
会話の内容は、費用が会社もちだから診断には定期的に来ているとか、その会社の上司がいつも無茶ばかり言って大変であるとか、どうでもいいようなことばかりだったが、女は大人しい性格らしく、時折くすくすと笑いながら男の話を聞いていたらしい。

どちらから言い出したのかMEIKOは知らないが、食事が終わり別れる際には、連絡先を交換し、そのあと男は頻繁に女に連絡を取った。そしてたびたび二人で出掛けるようになった。ときどき、男の家に女が来ることもあった。

どうやら恋人と呼べる関係になったようだった。

女はいつも穏やかで静かで、彼女の茶色いロングヘアが風になびく様を、男は枯葉が舞うようだ、と喩えた。そうすると女は、詩人だね、と笑うのだった。
MEIKOにはいつも、その情景がひどく物寂しいものに思えていた。

MEIKOにはよく分からなかったが、男は深く女のことを愛していたようだった。女も、言葉少なだったが、MEIKOには男をとても愛しているように見えた。

男は朝が好きだと言った。誰かを愛すると、朝が好きになる、と。

今日もこの空の下、愛する人が生きている。そんな一日の始まりだから、と。



彼女と出会ってから、数ヶ月が過ぎたある日。
急に女と連絡が取れなくなった。

電話には出ず、いつまで経っても返事はない。彼女の住まいに訪ねてみれば、すでに引き払っており不在。大家に行き先を問い詰めてみたが、個人情報の取り扱いに厳しい昨今では、恋人と言うだけでは教えてはもらえなかった。

男は街中を駆けずり回った。MEIKOも一緒に女を捜した。
大声で彼女の名前を呼んで通行人に笑われても、学生にぶつかって難癖をつけられても、それでも女を捜し続けた。

彼の周囲の人たちは、別れを切り出せなかっただけだ。もうフラれてしまったのだから、諦めて新しい人を捜せ。そう彼を励ましたが、彼は受け入れなかった。


女が姿を消して3ヶ月後。
男はいつものように健康診断を受けに病院へ行った。

その帰り、病院から出てくる女を見つけた。
男はすぐに追いかけて、その細い腕を掴んだ。

病院内とは違い、人気のない駐車場で女と向き合う。

どうして急にいなくなったのか。
いままでどうしていたのか。
なぜ何ひとつ連絡をしてくれなかったのか。
男がまくしたてるように言葉を垂れ流しても、気にするものなど女以外にいなかった。

女はうつむいて、しばらく黙っていた。
男はそんな女に、やっと再会できた安心も相まって、冷静さを取り戻し始めた。

俺が嫌になったのか、・・・別れたいのか。男の問いに、女は首を振った。
そして意を決したように、女は口を開いた。



女は、ガンだった。

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