ビヨンド・ザ・サンセット

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昔々、あるところに悪逆非道だと国内外から恐れられた国がありました。
国民は虐げられ搾取され、他国は非情を以って侵略される。

人々は口々に言いました、『あの国は、悪の国だ』と。

そして人々は言いました。悪の国の頂点に君臨する、齢14になる可愛い可愛い王女さまのことを、


『悪ノ娘』


と。





広い広い謁見の間は、床と壁は大理石、柱は並んだ兵士たちの顔を映せるくらいに磨かれていた。中央を割るように通る赤絨毯には埃一つ、染み一滴もない。その先は壇上まで続いていて、終着地点には金で縁取られた豪奢な椅子がある。

そこに座れるのは、この国でたった一人だけだ。

お城で働くメイドのひとりにすぎないヘレンは、震える指先を懸命に揃えて、壇上にいる『彼女』に向けて頭を赤絨毯に擦りつけていた。

「貴女なの?」

可憐な、それでいて突き刺さるような鋭い声に、ヘレンは体を震わせた。

「あたしのお気に入りの壷を割ってくれた、大馬鹿者は」
「申し訳ありません・・・っ!!」

震える喉を叱咤して、ヘレンは遠い壇上に叫んだ。本当は体裁を取り繕わず泣き出したいくらい怖いのだが、それに同情する相手ではない。

ヘレンは午前の清掃中、この謁見の間に向かう廊下に飾ってあった壷を不注意で割ってしまっていたのだ。
「・・・わたくしの家は貧しく、昨晩も遅くまで内職をしておりました。ですから午前中は、その、集中力が欠けておりまして・・・」
「それが言い訳?」
「!!」
びくりと、ヘレンの肩が跳ねた。もちろん、こんな言い訳で『彼女』の同情が引けると思えなかった。何しろヘレンの家の貧しさは、『彼女』の暴政ゆえなのだから。
ヘレンに同情する気があるのなら、とっくにこの国に同情しているはずだ。それでも言い訳をしたのは、そうしていないと一秒後にでも首が飛ぶんじゃないかと思ったからだ。

「もういいわ」

興味を失ったような、覇気のない声が離れた上方から降ってきて、ヘレンは思わず顔を上げた。

高い高い壇上に燦然と座っているのは、まだまだあどけなさの残る、可愛らしい少女。

その子が、ヘレンに向かって追い払うかのように手を振った。


「斬首。家族も一緒によ」


「!!」
それだけ言うと、椅子から立ち上がる。もう退出するつもりなのだ。その証拠に脇に控えていた大臣たちも道を開けようと身じろぐ。
「お待ちください!王女様!!」
ヘレンは思わず、叫んだ。壷を割った瞬間、絶望感に包まれると同時に、自分の首が飛ぶことは簡単に予測できた。王女を呼び止めたのは他でもない、最後の言葉だ。
「家族は、わたくしの失敗とは関係ありません!!・・・・・横暴です!!」
赤絨毯に並行するように並んでいた、両脇の兵士たちがざわついた。

「この、無礼者」

静かに、王女は言った。遠い壇上だが、ヘレンには分かった。
王女がその氷色の瞳で、ヘレンを睥睨していることを。

「貴女のような愚か者を産み、育てた家族も同罪よ。当然でしょう?」

謁見の間の気温が一気に下がる。水を打ったような静けさ。立ち上がった王女は、煌びやかなドレスの裾を翻しながら大臣に向き直る。

「家は、塵一つ残さないでちょうだい。あんな人の家が、あたしの国にあるっていうだけで吐きそう」
「かしこまりました」
大臣が規律に則った角度で頭を下げた。王女はもうヘレンを見ることなく、退出していく。

「ああ、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

王女はいない。大臣もいない。
両脇に並んだ物言わぬ兵士たちだけが、置物のようにヘレンの慟哭を聞いていた。



3日後、城前広場にて、刑は執行されていた。
断頭台の前には、みすぼらしい格好をした娘とその親らしき老夫婦、そして娘より少し年上と思しき青年の4人。
涙など枯れ果てたのか、4人とももはや恐怖や絶望というよりは、疲れ果てた様相をしている。断頭台の周りには、彼らと同じ表情の国民たちが集まっている。
誰かの首が落ちるところを、見慣れてしまった者たちだ。次が我が身ではないことを祈りながら、哀れな同胞の末路を見守りに来るのだ。
大臣が彼ら家族の罪状をとうとうと読み上げるが、そんなものは広場を臨むバルコニーにいる王女ですら、聞いていないだろう。王女はバルコニーから広場に集まった国民たちを見下ろしていた。

「ねえ、レン?」

白い小さなテーブルの傍に静かに立つ、自分と同じ顔をした少年に王女は呼びかける。王女と同じ顔をしていながら、給仕服を着込んだ召使いは王女の呼びかけに視線だけで応えた。
「ああやって国民たちが集まっている様を見ると」
クスリ、と花の蕾のような唇から笑みがこぼれた。


「雑草みたいね」


レンはしばし、王女の無邪気な横顔を見つめて、目を伏せた。

「そうですね」

広場では、ついこの間までこの城で働いていたメイドが、断頭台に頭を突っ込まされていた。その時、広場に面して建っている教会の鐘が、穏やかに鳴った。

リーン、ゴーン・・・

広場が絶望の色に染められていくように、レンには見えた。遠い遠い地上で、ひとりの娘の頭が落ちる。後ろ手を縛られた老夫婦が発狂したように泣き叫んだが、全ては穏やかな鐘の音の向こう側。

リーン、ゴーン・・・

鐘の音はまるで、このバルコニーと広場を隔てた、見えないベールみたいだ。それくらい、違う世界のようだった。王女は鐘の音をしばらく聞いて、ふと思い出したようにレンを振り返った。

「あら、おやつの時間だわ」

王女の期待のこもった顔を見て、レンは黙って頭を下げた。

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