ビヨンド・ザ・サンセット

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「ねえ、レン」

いつもの無邪気で可憐な声がレンを呼び、レンは持っていた花を手早く花瓶に活けると王女のところまでやってきた。

「街に降りたい」

自分の部屋とは違うバルコニーから街の様子を見つめながら笑う王女に反して、レンは眉をひそめた。
「ここは他国ですよ。危険な行動は極力控えてください」
王女とレンは今、隣国の『緑の国』を訪れていた。名前の通り自然が豊かで、農業で栄えている国だ。そのためか穏やかな国民性を有しているが、考えうる危険はやはり出来るだけ避けたい。
「だって、お話は終わったでしょう?農作物をもっとくれるんでしょう?」
今回は、緑の国から毎年『もらっている』農産物の量を増やすよう言いに来たのだ。その旨を伝えると、この国の王は二つ返事で了承した。それで今年の平穏を買えるのなら、安いものだろう。

「後は帰国予定の日まで、退屈なだけじゃない。大丈夫、あたしの国民だって、あたしの顔を知らない者ばかりじゃない。普通の服を着れば、この国の国民だってあたしのこと分からないわ」

そして、『そうでしょ?レン』と無邪気に笑った。レンは諦めたような苦笑をもらして、『お召し物をお持ちします』と頭を下げた。




「レン、囚人服をあたしに渡してない?」
「街を歩くなら、それくらいが普通なのです」
自分の格好を見下ろす王女に、レンは淡々と応えた。髪に合わせた黄色い服は、いつものようにサラサラの肌触りも、豪華な刺繍も、贅沢な重ね着も無かった。
街の娘たちは皆それを着ているのだが、王女は基本的に王族や大臣、貴族としか会わない。知っている質素な服といえば使用人たちに支給している、規定のメイド服や給仕服ばかりだったのだ。
「ふーん、まあ、いいわ。ともかく、行きましょ!レン!」
王女に手を引かれて、レンは部屋を飛び出した。



城を抜け出して、二人はともかく人が多いところへと向かった。
「サーカスでも来ていたら、面白いでしょうけど」
露店や人が賑わう商店街のような広場に出て、レンは言った。
「残念ながら催し物などはないようですね」
「別に構わないわ。充分興味深いから」
そう言って王女は周囲を見回した。
「レン、あれは何?何をしているの」
王女が指差す先をレンも見る。さっきからこういったことの繰り返しだった。
「あれは、ジャンケンをしているんですよ」
「ジャンケン?」
「何か順番などといった、優先順位を決める時に平民がよくする簡単な勝負です」
一言ですべて自分の思い通りになる女王にとって、順位を争う、ということ自体未知の領域だろう。
「あれは?あの店は?」
そう言って露店のひとつを指差す。
「あれは芋を細く切って油で揚げたものを売っているんです」
芋はどこでも育つ。環境が整っていれば尚更量産できる。平民にとっては味方のようなもの。農業の盛んな緑の国では主食と言っていいだろう。
「食べてみたいわ。レン、買ってきてちょうだい」
「承知しました」
おそらくそう言うだろうと思っていたレンは、笑いながら了承した。王女を近くのベンチに座らせると、揚げ芋を並べている出店へ向かった。

「すいません、二つもらえますか?」
「はい、いらっしゃい」

恰幅の良い、中年の男が人懐こい笑顔で対応に出る。よく陽に焼けていて、ひょっとしたらこの芋自体、この男が作っているのかもしれないとレンは思った。
「お金、大きいものしかないんですが、大丈夫ですか?」
レンは一番額の高い紙幣を渡して、申し訳なさ気に芋を受け取る。
「お、金持ちだな。・・・しかし、釣りの札があったかな・・・・。ちょっと待ってもらえるか?」
男はしゃがんで、露店の下に消える。揚げ芋は高価なものではない。普段から小銭で交換されているはずだ。釣りの紙幣などあまり用意していないのだろう。

「待たせたな」

しばらくしてやっと立ち上がり顔を見せた店主は、手に紙幣を何枚か持っていた。
「普段、硬貨しか扱わないから、悪いな」
気まずいのをごまかす様な笑顔で、レンも何となく腰が低くなる。
「こちらこそ、すいません」
「いやいや。ここ一週間の売上全部さらって、札を探したよ。これ、お釣りな」
レンは数枚の紙幣と硬貨を受け取って、またお礼を言った。去るレンに、男は笑顔で手を振ってくれたので、レンは一つ頭を下げた。

男がせっかく作ってくれた揚げ芋。
しかしレンはそれを二つとも地面に落としてしまう。

遅れてしまったことを詫びようと足早に戻ったベンチに、王女の姿がなかったのだ。





ほんの少し、時間は遡る。王女はレンに言われたとおり、ベンチで大人しく待っていた。
「遅いわね」
王女はぽつりと一人呟く。お釣りが足りなくて、レンが少し遅れていることを、王女は知るよしもなかった。退屈で、付いて行けば良かったかしらと後悔していると、ふいに目の前を数人の子供が走り去っていく。
「?」
王女が子供たちを見送っていると、また別の子供たちが走っていく。不思議に感じて王女が広場を見ると、様々な露店に夢中になっていた子供たちが皆、どこか同じ場所へ向けて走っていく。
「・・・何かしら」
気になった王女は、ちらりとレンが向かった方を見たが戻って来る様子がなかったので、ベンチから立ち上がった。
「少しくらいなら、平気ね」
王女は悪戯をする子供のような笑顔を浮かべると、子供たちに倣うように走り出した。

「ねえ、こちらで何かあるのかしら?」

王女は路地を走りながら子供の一人に尋ねた。子供は走りながら、王女を振り返る。
「何だ、姉ちゃん知らねえの?余所もん?」
「ヨソモン?」
何かの名前かしら、と王女は首を傾げたけれど、子供は王女が余所者だと最初から決め付けていたのか、そのまま話し続ける。

「貿易で、最近海の向こうの国から来てる貴族の兄ちゃんが、この時間にいつも、いろんな楽しい話をしてくれるんだ」
「貴族?」
「変わってるよな。あんま高貴じゃないらしいよ、本人が言うには」

王女は更に首を傾げる。王女の周りの貴族はいつも、平民と語ることなどしない。王女だって、退屈しのぎのお忍びでなければ、平民と会話をしようなどと思わない。平民はみな愚かで卑しい位の人間で、王侯貴族に従うことしかできない、と生まれた時から周りの大人たちが言っていた。

だからこそ、レンを自分の召使いにしたのだ。
自分と同じ顔の人間が、愚民の中にいていいはずがないのだから。

路地を抜けると、そこは港だった。

王女は思わず、息を飲んで立ち尽くした。王女の隣を、先程まで話していた子供が駆け抜けていく。その先に、子供たちが座り込む集団があった。けれど、王女が立ち止まったのは、その集団のせいではない。


青い海。青い空。
港特有の、清々しいまでに青い背景に溶け込む、青い男が立っていた。

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