ビヨンド・ザ・サンセット

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男が着るものは確かに貴族と言うだけあって、彼を囲んでいる子供たちとは違う、飾り気のある小奇麗な服だった。
しかしそれでも、何故か子供たちの中に囲まれる彼は、特異には見えなかった。
彼は、もう子供たちが集まり終わったのを確認すると、息を大きく吸い込んだ。

そして、高らかに歌い始めた。

それは、どこか遠い国の物語。ある男が一人、旅に出て、太陽に出会い、月に出会い、娘と出会い、恋をして、冒険をして、友と誓い、友と別れ、泣いて、笑って、そして最後に小さな港に辿り着く。

その港には昔からひとつの言い伝えがあった。

そんな物語。
聞き入る少女は、男の愛にうっとりし、聞き入る少年は、男の冒険に目を輝かせた。

路地の出口で立ち尽くす王女はただ、歌う青い男の声に、ひっそりと耳を澄ませていた。


やがて、男は歌い終わる。

「はい、おしまい」

歌声よりもさらに円やかな声が言った。子供たちが『えー』という不満を漏らすが、いつも一曲だけなのかそれ以上ねだろうともしなかった。男と2,3言葉を交わす子供もいたが、その内子供たち全てが散り散りに帰路に着いた。
子供が帰っていく中、王女は相変わらず同じ場所に立ち尽くしていた。

初めて聞く、歌声だった。

特別に上手い、というわけではない。時々城に招く、歌姫と名高い歌手の方が数段上手い。それでも、息をするのを忘れそうになるくらい、王女はその歌声に聞き惚れた。
そして、最後の子供を見送った青い男が王女の方を向いた時、王女は思わずビクリと身を固くした。

「君、初めて見る子だね」

男はゆっくりと歩み寄る。
王女は、逃げたいという思いと、ここに居たいという思いが同時に湧いて、足が凍ったような気がした。

「どうしてそんな所でずっと立ってたの?きつくなかった?」

そして、彼よりずっと背の低い王女に合わせるように、腰をかがめて王女を覗き込んだ。青い青い瞳が目の前に現れて、思わず王女の頬が朱に染まる。
「・・・・いえ、」
言葉がうまく出てこない。今まで、こんなことなかったのに。
「ああ、そっか。子供に混じるのは、ちょっと恥ずかしいね」
男は笑った。
「う、うん」
王女はこくこくと頷いた。本当は違うのだが。

空の青と、海の青。
そして彼の青い髪。
どれも同じ青なのに全く違っていて、それでいてとても溶け合っていた。

空と海の青を背景にした彼と、彼を囲む子供たち。
選りすぐりの絵師に描かせた、城に並ぶどの絵画よりも清らかな一枚のようだった。

少し違うけれど、レンを初めて見た時と同じような心境だった。
それを思い出して、王女は思わず手で口を覆った。

「・・・レン!!」

少しだけ、と広場を抜け出したのを今、思い出したのだ。
「どうかした?」
豹変した王女を心配したように、青い男は眉をひそめた。
「・・・連れを、広場に待たせてて」
「え、そうなの?じゃあ、早く戻らないと」
そう言われて、王女は心にストンと錘が落ちたような気がした。レンのところに戻らないといけないのは、分かっている。しかしこの場を離れたくない。いや、この男とこれでさよならなのが、嫌だ。
王女はそっと手を伸ばし、男の手を取った。

「・・・あたし、この辺り詳しくなくて。広場まで、連れて行ってくれない?」

男はきょとんとした後、目を細めて笑った。
「いいよ」
その笑い方は、大臣たちや貴族たちが見せるものとは違っていて、王女の心に落ちた錘を簡単に取り払った。


子供と走った路地を、王女は男の手を握り歩いて戻っていた。
「・・・貴方の名前は?」
「カイトだよ。君は?」
「・・・リン」
「リン?」
カイトはリンを見た。
「何?」
「・・・いや、」
「気になるわ。何?」
王女が唇を尖らせると、カイトは苦笑した。

「確か、この国の隣国の王女様も、リンだったな、と思って」

王女は、一拍おいて『そうだったかしら』と返した。一瞬ばれたのかと思ったが、カイトは王女の様子を気にした風もなく、『偶然だね』と笑った。




レンの手から離れた揚げ芋は、無残にも地面に散らばった。けれど悲しいことに、持ち主は全くそれを気にすることはなかった。

レンは誰もいないベンチを呆然と見つめた。

「おう、じょ・・・さま・・・?」

確かにこのベンチに座っていたはずなのに。一瞬にして、レンの頭の中に考え得る最悪の出来事が駆け巡った。
心臓がひとつ、大きく鳴った時だった。


「大丈夫ですか?」


レンは凍り付いて、そしてゆっくりと声の方向に、体ごと振り向く。
その先には、露店が多い中、きちんと店を構えている花屋があった。すぐ傍にあったその花屋から、扉に付いた鈴の音と共に、一人の少女が姿を現した。

王女に渡したような平民が着る質素なドレスに、花屋だからか白いエプロンをかけている。

「どうかしたんですか?」

落とした芋も拾わずに、呆然としてベンチを見つめていたのだ。何かあったと思われても仕方がない。少女は心配そうな表情を浮かべて、小走りで駆け寄ってきた。
パタパタという、少女の軽い足音に合わせて彼女の長い長い髪が揺れる。

この国の娘にふさわしい、淡い緑の、美しい髪をした少女だった。

「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」

近付くと少女の方が若干背が高くて、レンは覗き込まれる。
「・・・連れが、いなくなってて・・・」
レンは少女から目を背けながら言った。本来なら『困っている』など言わないが、目をそらしてしまった気まずさでつい正直に零してしまった。
「ええ!?それは心配ですね・・・」
「いえ・・・、好奇心の強いお方、あ、いや、強い奴なんで、その辺をウロウロしているのかも」
レンは実際そうかもしれない、と思った。そうであってほしいと思った。そんなレンの考えを分かったのか分かっていないのか、とにかくレンの顔色が優れないのを心配そうに少女は見つめている。
「では少し、私の店で待っていたらどうでしょう?私の店からこの場所は、よく見えますから」
「え・・・」
レンは少女が何故そんな提案をしたのか分からず、言葉に詰まる。
「顔色が本当に悪いですよ。それでは捜しに行くことも出来ません・・・・。どうか、すこし休んでください」
少女はレンの顔をじっと見ながら苦笑した。
「でも、悪いです・・・」
「店の人間である私が言っているんですから、かまいませんよ」

少女が微笑んだその瞬間だけ、レンは不安を忘れた気がした。まるで、少女のまわりだけ陽光が差したような、そんな暖かいものが流れ込んできたのだ。
ぼうっとしたレンはしかしすぐに、正気を取り戻す。

頬に少しだけ差した朱色に、レンは自分では気付かなかった。

「あ、少し顔色良くなりましたね」
「そう、ですか?」

レンは首を傾げて自分の顔に触れる。彼女が言うほどの顔色の良し悪しは、自分ではよく分からない。
頭の上に疑問符を浮かべているレンの手を、少女は優しく取る。レンは驚いたが、不思議と振り払う気にはならない。

「私はミクといいます。とりあえず、お連れの人も心配だし、店に行きましょう?」

レンは断ることも出来ず、少女に手を引かれて彼女の店へと向かった。

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