ビヨンド・ザ・サンセット
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「ばかなっ!!」
メイコは届いた羊皮紙を片手に、椅子を倒すのも厭わず立ち上がった。
「緑の国を攻めるですって!?」
市中見回りに出払い、やっと自分の屋敷に帰って届いていた郵便物に目を通していると、王宮からの指令書が混じっていた。
王家の紋章で印が押されているその封を切れば、緑の国を攻めるために、国境であるこの土地からも物資援助と兵士の派遣が指示された指令書が入っていた。
「何故緑の国を・・・!?つい先日、隣国からの献上品を増加させたばかりなのに!」
自分の暴政による貧困の尻拭いをさせておきながら、攻め入るなど、道理に適っているいないなどという問題ではない。しかも、メイコの領民である兵たちや、彼らの生活の糧である物資を差し出せなどと。確かにメイコの領地は、他の街に比べれば備蓄もあるし、兵卒も訓練が行き届いている。だがそれは領民が毎日必死で働き得たもので、兵は父譲りで剣技に秀でたメイコが丹精込めて育て上げた者たちだ。こんな不条理な戦に捧げるために、育てたわけではないのだ。穀物も、兵も。メイコは唇を噛んだ。
何の非もなく滅ぼされるなど、緑の民が哀れだ。けれども、自分の領民を護らなければ。
メイコは領主なのだから。
夜着に着替えた王女が寝台に横になると、レンは毛布をゆっくりと彼女にかける。王女が気持ちよさそうに目を閉じるのを確認してから、天蓋から吊られたカーテンを閉じる。いざ閉じきってしまおうとした時、ふいに王女が目を開ける。
「ねえ、レン」
「はい」
わずかに開いたカーテンの隙間から、レンは応える。
「カイトさんが歌っていたの」
「歌?」
「遠いどこかの国の小さな港で、願いを書いた羊皮紙をビンに詰めて流したら、その願いが叶うそうよ」
「願い・・・」
「レンなら、何と書くかしら・・・」
眠くなって、語尾がぼやけたかと思うと、コトリと王女は寝入ってしまった。レンはカーテンの隙間から手を伸ばして、王女の額にそっと触れた。繊細な硝子細工を扱うかのような、触れ方。レンはすぐに手を引くと、カーテンを閉じた。
そして傍にある椅子に腰を降ろす。
護衛が座るための椅子だ。背もたれもないこの椅子、レンは毎晩ここに座って眠る。ソファで寝てもいいし、実際王女もレンはソファで寝ていると思っているが、レンは必ずこの椅子で一晩を明かす。少しでも王女の傍に居るために。カーテンの閉じた寝台を背に、レンは椅子に腰掛けて給仕服のポケットに手を入れた。
すぐに出した手には、一本のナイフ。
レンはただそのナイフを見つめた。初めて王宮に連れてこられた時に持って来たナイフだ。そのナイフを握り締めて、レンは俯いた。
大臣に緑の国を滅ぼすように命令を下し、大臣が退出すると同時に、王女は泣き崩れた。レンはあまりに驚いて、何も出来なかった。王女が緑の国を滅ぼせと言ったこともそうだが何より、王女があのカイトという青年に恋心を抱いていた、ということが、レンには大きな衝撃だった。
なぜ、気付かなかったのか。
気付いていたのなら、あんな見送りには絶対に行かせなかった。
ミクだ。レンは思った。ミクに恋人が居たことがショックで、王女に心を砕くことを忘れてしまっていたのだ。
レンは強く瞳を閉じた。真っ暗な中に、ミクの笑顔とそれに重なるように泣き崩れる王女の姿が浮かび、やがて暗闇に溶けるようにミクの笑顔が消えていくと、レンは瞼を上げた。
『我が女王陛下』
目元を赤くした王女が顔を上げた。
『どうぞご命令を』
レンが礼に則った角度で頭を下げた。最初は呆然としていた王女だが、その目にほの暗い色をちらつかせて、レンを見つめて言う。
『緑の女を殺してきて』
レンは頭を下げたまま、王女に見えないようにきつく目を閉じた。
『・・・かしこまりました。・・・・かの国を滅ぼしたならば、もうカイトのことも、緑の女のことも、お忘れなさいませ』
レンは顔を上げて、真っ直ぐに王女と目を合わせた。
『誰が貴女の敵になろうとも、私は最後まで貴女のお傍に居ります』
そしてレンはうっすらと笑う。
『だから貴女は笑っていて』
自分の言葉を思い出しながら、レンは手の中でクルクルと回しているナイフを、ただひたすら見つめていた。
緑の国へ侵攻するための軍編成は異例の速さで進み、王女の命令から数日後には王都を出発していた。出征していく兵の目も、見送る国民の目も暗い。
この出征の為に、また生活が圧迫される。出征している兵卒の大部分が、ろくに食事も取っていない者たちだ。
苦しいばかりで意義のない戦。
けれどもそう言葉にしてしまえば、明日には首がない。涙の枯れ果てた目は、ただただ乾いた土のようだった。
王都からやってきた軍隊が、メイコの領地に駐留した。一晩この土地で休んでから、また行進するのだ。そして次の日、軍はメイコの兵たちを吸収して、緑の国へ向かう。メイコは軍に加わって、自分の兵たちと共に緑の国へ進んだ。
馬に揺られながら、メイコは唇を引き結ぶ。
命令を聞く以外に、領民を護る術が分からない。無力な自分が、恨めしかった。誰もメイコを責めたりなどしない。兵も領民も、皆メイコの想いを汲んでくれた。だからこそ、尚更情けない想いは募る。
メイコは空を見上げた。
灰色の雲が重そうに垂れ込めて、メイコの心を塞ぐ。
嵐が来る。
いや、自分たちが嵐なのだ。
お願いだから、とメイコは空を見上げて唇を噛む。
誰か教えて欲しい。
私は、どうすればよかったのか。