ビヨンド・ザ・サンセット

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ミクはしばらく、何が起こっているのか全く理解できなかった。


夜中に突然、町中に警鐘がけたたましく鳴り響いて、ミクは飛び起きた。夜着の上に薄い上着を羽織っただけの格好で、何事かと慌てて外へ出てみれば、立ち並ぶ建物の向こう側が赤く染まっていた。

燃え上がっている。

ミクは呆然とした。店が面している広場を、様々な人が慌てふためいたように走り回っている。その中に自国の兵士を見かけて、ミクは声をかけた。しかしミクが何かを尋ねる前に、兵士はミクの腕を取る。驚くミクに、兵士は早口で言った。

「『悪の国』が我が国に突然侵攻してきました!」

ミクは凍ったように立ち竦んだ。まさか、と小さく呟く。この間、交渉が上手くいったと新聞で読んだばかりなのに。

「我々が国境付近で、何とか敵兵の足止めをしています。どうぞ港へ向かってください」
「港?」
「事情を知った青の国が、救民船を派遣してくれるそうです。明日の朝には船が来て、青の国へ脱出できます」
「青の国が・・・」

ミクの脳裏に、青い髪の愛しい人が浮かぶ。そうだ、あの人が迎えに来てくれると言った。それまでは、死ねない。ミクは強く頷いた。
「お嬢さん、どうぞご無事で」
兵士がミクの腕を放し背中を押すので、ミクは振り返って答えた。
「御武運を」
そして後は振り返らずに、港へ向けて走り出した。



広場から路地に入る。薄暗いその細い道を、気味悪いと思う暇もなくミクは駆け抜けた。かすかに、潮の匂いが鼻をつく。細い路地から、僅かな光が差した。灯台だ。
ミクはまろぶように路地から港に飛び出した。

「・・・え?」

飛び出して、ミクは立ち尽くす。

救民船が明日の朝来るのだと、だから皆港に向かったのではないのか。

「どうして・・・」

ミクは震える声で呟いた。
灯台が遠くを照らすだけ。薄暗く肌寒い港には、ミク以外誰も居なかった。
「どうして、誰もいないの・・・?」


「いつ、青の国がこの侵攻のことを知ることが出来る?」


暗闇から、声がしてミクは思わず飛び上がる。辺りをきょろきょろと見回したが暗い海が広がるばかりで、どこからその声が響いているのかよく分からない。

「だ、誰・・・?」

声が更に震える。ただでさえ、薄い上着一枚で港に立っているのだ。寒いうえに、恐怖でさらに血の気が引いていく。

「答えは、『出来ない』。明日の朝になっても、昼になっても、青の国から救民船など出やしない。青の国がこの国の惨状を知るのは、この国が民と共に死に絶えた後だ」
「!!」
「貴女が港へ行くよう誘い出すために、貴女の国の兵士も雇った」

先ほどの兵士を思い出す間もなく、ミクは言葉を失った。その声が言った内容もだが何より、暗闇からすっと現れたのは、数日前に店に招待した金の髪の少年だった。

「貴方・・・、レン君・・・?」

直接名前を聞かなかったが、あの双子の少女が店に入ってきた時、少年のことをレンと呼んでいたのをミクは覚えていた。その後、カイトの見送りにも来てくれた。

「どうして・・・」

さすがにこの状況で、レンが緑の国の国民で、敵兵から港まで逃げてきたのだとは思えなかった。いや、彼の発言を汲むなら。

「レン君・・・、あの国の人間なんですね」

しかもおそらく、苦しめられている国民ではなく、王宮側の人間だ。
レンは一度目を伏せると、再びミクを見据えた。

「リン女王陛下の命により、貴女の命を頂戴する」
「!?・・・リン、女王陛下・・・?」

彼と同じ顔をした少女が、レンの後ろに見えた気がした。
「じゃあ、あの子が、悪の娘だっていうのですか!?」
レンは応えない。ただ黙ってミクを真っ直ぐに見つめている。だがそれが、肯定しているように感じた。

「どうして、あの子が私を・・・」

ミクは震える足で一歩さがる。それに合わせるように、レンが一歩前に出た。

「女王陛下は、カイト殿を慕っていたのです」

ミクの目が一瞬驚きに彩られたが、すぐにどこか納得したように落ち着いた深い色を湛えた。
「そう、だったんですね・・・」
ミクの店で、最後にミクを振り返った時の、少女の顔は確かに憎悪を表していた。
「・・・私を殺せば、カイトさんの心が手に入ると?」
「いいえ。ただ、貴女が妬ましいのでしょう」
「・・・子供ですね」

「・・・・・ええ」

挑発するようなミクの嘲笑まじりの言葉を静かに肯定するレンを、ミクは不思議そうに見つめた。
何故だかミクは、自分を殺すと宣言したレンを、もう怖いとは思えなかった。
「・・・あの子が王女なら、貴方は王子?」
「・・・いいえ。俺はただの召使いです」
レンが一歩前に踏み出した。ミクはもうさがらない。自分は逃げられない、とどこかで分かってしまった気がする。

「悪の国は、滅びますよ」

ミクが強い瞳で言った。王女の治世は、子供の遊びと変わらない。砂で築いた綺麗な城ならば、いつかは新しい波にさらわれて崩れてしまう。レンはどこか遠くを見つめるように笑う。

「俺も、そう思います」

ミクが眉根を寄せる。レンは首を振った。

「俺も悪い。王女がカイト殿を慕っていると、気付かなかった。気付いていたら、カイト殿の見送りになんて行かなかった。いつもだったら気付いたのに、・・・・俺も、自分のことしか考えられなくなってたんです」
「・・・・」
「俺も貴女のこと、好きだったから。・・・だから、王女のことに気付かなかった」

驚いたように、ミクが息を飲んだ。レンはまた一歩ミクに近寄る。ふとレンが自分の背中に手を回したかと思うと、小さなナイフを取り出した。ミクの視線がナイフに移る。

「けれど、王女の願いなら俺は叶える。それがどんなに罪深いことでも、俺はやる。誰を敵に回しても、俺が守る」

灯台からこぼれた光が、レンの真摯な顔を照らした。そしてナイフが光を反射した。それを見たミクの瞳から、一筋涙が伝う。

「俺が、怖いですか」
「いいえ。・・・・たった今、貴方が私の店で言ったことの意味が分かりました」


『あいつは、俺にとって、0でもあるし、1でもある』


レンが苦い顔をする。ミクは一筋涙を流したまま、レンににっこりと笑いかけた。それは、ミクが彼女の店でレンに見せたものと同じもの。

ただただ、優しいばかりの笑顔。

「残念だけれど、私は貴方に殺されてはあげない」

レンがはっとした時には遅い。ミクは身を翻して駆け出していた。追うレンを軽く振り返ると、手を振り明るい声で言った。

「もしまたカイトさんに会うことがあったら、どうか伝えて」
「待て!そっちは・・・っ」


「『誰も、悪くない。私、待っています』って」


引き止めるレンの声も届かない。ミクは格別の幸福に包まれているような笑顔で、


暗い海に身を投げた。

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